兄の帰還 言いたいことはたくさんある。あんなに言ってやりたいことがあったのに、いざ相手を前にすると何も言葉が出てこない。
ただ抱きしめることしか出来なかった。
何で勝手に出て行ったんだ。俺を置いて。
でももういい、こうして帰ってきてくれたのだから。
よかった。本当によかった。
兄さん、俺がどんなに貴方を待っていたかわかりますか。
歓喜の中、俺たちは抱擁し続ける。
いや、俺が一方的に抱きしめてるだけだ。兄さんは両手を下にたらしたまま、決して俺の背にはまわしてくれない。
「離せよ。」
兄の口から冷たい音がこぼれ落ちた。そしてまたそれがこぼれそうになったので、俺は急いで自分の口でふさいだ。
ダメだ、兄さんがそんなこと言うはずない!
慌てたので歯が唇を傷つけ血がにじむ。錆びた鉄の味がする口づけを懐かしく感じながら兄さんの口内を舌で確かめていく。
上顎をひとなでした後、舌の表面を擦り合わせたいのに肝心なものが奥に収まっていて出来ない。
兄さんの舌を引っ張り出すため、自分のを絡ませようとするがぬるぬると逃げていくばかりでなかなか出てこない。
仕方ないので、舌の裏側を舐め上げる。
舌小帯と呼ばれる筋を数回はじき、その下のヒダを開くように舐めてやると途端に兄さんの舌は力が抜ける。
ふふっ、ここ好きだよね。かわいい。
もっと可愛がってあげようと、身体を抱きしめていた両手で揺れる兄さんの頭を掴むと、もう一度深く口付けなおす。
その瞬間、両手を振りほどかれた。
「いい加減にしろよ。」
さっきより冷たい音がこぼれる。俺は両手を上げたまま下ろすことができずに、ただそれを聞いているしかなかった。
「お前まだこんなことするつもりか。だめなんだよ、兄弟でしたら。何でわからないんだ。なんでだよ。」
その音は容赦なく耳に入ってきて、鼓膜を突き抜け全身を巡り俺の身体を冷やして行った。
このままじゃダメだ、病院行こう。俺も一緒に行くから。大丈夫だから、大丈夫だからここから出よう。ごめん、ごめんな、
いつまでも鳴り止まない冷たい音は、ついに心臓まで凍らせた。
痛い、痛いよ。やめてよ兄さん。こんな痛いことするなんて兄さんらしくないよ。いや、本当に兄さんなのか。
違う、これは誰だ。兄さんの顔をしているけど、誰なんだ。
「お前誰だ。」
兄さんの顔をした何かが静かになった。
でもこれどうしたらいいんだろう。床がぬれてる。服も体もぬれてる。
ううっ、まだ痛い。
もうあの冷たい音はしないのに、痛いのがおさまらない。
兄さん、助けて。
兄さん、早く帰ってきて。