18話 初めて人を殺した。
剣が硬い筋肉を切り裂き、臓物を突き刺していく感覚に、自分に飛び散る熱い液体から発せられる強い鉄の匂い。
荒い息で刺された箇所を抑える彼は、憎しみの籠った目でこちらを睨みつけ、力の抜けてきたであろう腕を震わせながらこちらへ抵抗しようとしている。
それはいとも簡単に薙ぎ払うことができた。土にたたきつけられる手は再び起き上がってくることはなく、段々と視線が合わなくなり体が痙攣を繰り返す。しばらくしているとそれの動きも鈍くなり、ついにはピクリとも動かなくなってしまった。
その様子は、当時まだ残っていた恐怖心を煽り深い深い痕を残す。
訓練後、私はそれを思い出して胃の中が空になるまで吐いた。
戦後、帝都に帰還した私へ伝えられたのはあまりにも無慈悲な知らせだった。
ピーニアへ、エルプズュネーテ皇国の兵が進軍していたらしく、粗末な家郡には火が放たれ、その場にいた老人や浮浪児達は殺されていたらしい。
国の端、帝都や聖都のような防御力を持たないため、本土への上陸を目指すなら真っ先に狙われても仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。だが、私はあの子達のために聖騎士になり、戦争へと向かったのだ。
我が国は戦勝し豊かさを手に入れた。
それで、結局私が手に入ったものはなんだ。後に残ったのはあの子達の小さな墓と、汚泥に塗れた数多の勲章、罪を犯してしまった自分自身。失ってしまった方が多い。
凱旋のさなか、国中の皆私を英雄を称えた。鮮やかで騒がしい周りとは隔絶されたように私の中は静かだった。あんなに美しいと思えた街も、大聖堂も今は何も美しいと感じない。
私は、英雄になどなりたくなかった。
国を戦勝に導き、繁栄に貢献したとしてもそれまでに何人の人が犠牲になったのだろう。
皆が私を英雄と慕い、敬われたとて結局は大量虐殺をした殺人鬼である。
戦後から数年後。ようやく気持ちの整理がつきだしてきた頃、今ではなんの用事だったかは思い出せないが、教皇猊下に呼び出しをされた日があった。
「猊下、ヴァレンテです。入室許可を」
しかし中からは返事がない。時間は丁度のはず、今まで呼び出しを受けて不在だったことがなかったこともあり、頭上にハテナを浮かべながらドアノブを回した。
「失礼します」
一人で過ごすにはあまりにも広い執務室は空気が冷たく、あまり人が過ごしているという雰囲気は感じなかった。
見渡しても猊下のお姿はなかった。
どうやら外出をなされているらしい。と判断を下した私が部屋を出ようとした瞬間。がたんとなにかの落下音が部屋に響いた。
咄嗟に振り返れば、執務机の近くに本が落ちているのが見えた。
一瞬敵が潜んでいるのを考えていた心を落ち着かせ、本の近くへとよった。盗み見するつもりはなかったが、ちょうど開かれていたページが目に入った。
──年─月─日──時─分
ピーニアは戦火に巻き込まれ、数多の命が失われる。
福音書だった。
過去の事実が連なる福音書は、大聖堂内に保管されている福音書とは別の代物らしい。
一ページ、もう一ページと捲っていく度に自信が経験した事実が記されている。
これが仮に、過去、戦争前に記されていたことならば、どうして猊下は我々に伝えて下さらなかったのか。
これを知っていたなら失われなかった人命があったと理解した上で黙っていたのか。
まさか、猊下はこれを知った上で我々を戦争へと赴かせたのか。
どうして、どうして、どうして。
今まで見ていた我々を思って微笑んでくださった白い神様の顔が歪んでいく。小さな幼子を撫で、安心させるような声にノイズが走る。
───その日、私の中にいた神は堕落した。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「いっその事、あの時片目だけでなく両目とも視力をなくせば良かった。そうすればあの悲惨な状況を見ることも、勤務を続けてあの忌々しい本の内容も見ることは無かった。」
痛ましい顔で片目を撫でるヴァレンテはしばらく目を閉じた後、小さく息を吐き出した。
「すまないな。暗い話を聞かせてしまって」
「いえ⋯」
言葉を詰まらせるシラー見て、ヴァレンテは申し訳なさそうに口角を持ち上げた。
「私は、復讐をしてやりたかった」
「でも、もう疲れたよ。」
そろそろ時間だったらしい、カルヴェの計らいか外で待機していた聖騎士の一人がヴァレンテの部屋へと入った。
「あの人は、どこまでも優しく、信仰深い敬虔な信徒で、無慈悲だ。あれ程までに国を率いる王に相応しい人は居ないだろう。」
ゆっくりと椅子をたち上がり、ヴァレンテは小さくこぼす。
「どうして、私にこの話を?」
退出する間際、シラーがヴァレンテに問いかければしばらくの沈黙の後ゆっくりと彼女が振り返った。
「君なら、私の気持ちを共感してくれると思ったんだ。」
そう残し、扉の向こうへとヴァレンテは消えていった。