19話 未だに心臓がバクバクと大きな脈拍を続けている。
彼女の行動の理由を知った今、なぜあんな事件を引き起こしたかがいやでもわかる。
それと共にあの教皇への不信感が募っていくのが分かった。今ではもう最初の温かさを思い出すことが出来ないのだ。
「聞いたんだね、アルベロから。」
扉を抜けると、そこには思考の中心にいた教皇プランタンがいつもの優しい笑を浮かべこちらを迎える。だが、今はその笑顔すらも心は恐ろしいものと捉えている。
「あの子は君に話したんだね、てっきりヴェロニクにお話しするのかと思っていたけれど⋯そうか、あの子は君を選んだんだね」
聞いてしまったからにはやはり口止めをされてしまうのだろうか。恐怖から無意識に体はこわばり、言葉が喉を詰まらせる。
「あぁ緊張しているのかな、私は別に君を咎める気は無いよ」
「⋯どうしてですか、私が別の人に喋ってしまったら困るのでは?」
「君はきっと話さない、でしょう?」
事実、シラーはこのことを他の者に教える気にはならなかった、この事実を知った時この国の人ならば誰だろうと心を痛めるだろうと見越しての行動だ。
「君は賢い子だからきっと言わない、あの子もそうだった。消して他の子達には言わない。」
「ヴァレンテさんがあれを目にしていたこと、知っていたんですか」
「知っていたよ」
真っ直ぐな返事だった、さも当然だろうと表情一つ変えずに口角を上げるその様子に言葉が詰まりそうになる。
「ヴァレンテさんの思いを知っておきながら放置したんですか⋯?」
「そうだよ、あの子は溜め込み癖があるからね。この事実はあの子には重すぎた」
「⋯まさか、この事を知ることも予言されていたのですか」
憶測だ、なんの根拠もないただの戯言。だが、これこそ戯言で終わって欲しい。ただの自分の勘違いだと、早とちりだとそう信じて口にしてみると、恐る恐る目の前の人に視線を移してみる。
はたりと驚いたように少し開いた口がゆっくりと笑みを持つ。
ぞくりと寒気がした。
「君は、やはり賢い子だね」
「どうして⋯!知っていたならどうしてあれを見せたのですか!」
「どうして?私があの子に聞かせないと言うお告げは頂いていないからだよ」
歩いているのに、その場から進んでいないような、気の遠くなる様な感覚がする。
「だけど、あの子に干渉してこの件を引き起こすことを強制することは予言されていなかった。あの子が他の子に相談するなり、何らかの方法で傷を癒すのも別に構わなかった。でも、あの子はしなかった。自分で抱え込む選択をした。」
それはあの子の責任だろう?と変わらぬ表情で喋りかけてくる様が酷く吐き気を誘う。
正気とは思えない。自身の国に尽力し、剰えその身を捧げ支えてくれた第一人者でさえこの人は"神託"で切り捨ててしまうのだ。
感情がないのかとさえ思った。だが、ふとヴァレンテの言葉が繰り返される。
『あの人は、どこまでも優しく、信仰深い敬虔な信徒で、無慈悲だ。あれ程までに国を率いる王に相応しい人は居ないだろう。』
「"神託は絶対"」
「ヴェロニクがね、あの子の罪の減罪を求めてきたんだよ。元々、そんなに主張の得意な子ではなかったけれど⋯他の子達の前で必死に説得していた」
我が子が頑張る姿を自慢する母のように零す声色に背筋が冷たくなる。
「ま、まさかその主張も⋯?」
「いいや?私はその主張は肯定したよ、あの子は何もしていない。誰一人殺さず、強いて言えば殺人未遂だけだからね」
自分が殺されそうになったことも含め、全ての事柄に興味がなさそうなプランタンは言葉を続ける。
「だからあの子は死刑から免れ、暫くは自宅謹慎になる予定だよ」
「そ⋯そうですか⋯」
気の利いた言葉が思いつかないシラーに微笑みをこぼしたプランタンの杖先が小さく揺れた。
「さて、では私はこの辺りでお暇させて貰おうかな」
そう言い残し、その場を後にしようと振り返るプランタンは思い出したように立ち止まった。
「"黎明の魔女"を探すといい。君の求める答えも、真実も、全てはあの子が持っているよ。」
「君に、"暁の祝福"があらんことを」
数日後、シラー達の耳に届いたのはヴァレンテの死亡の知らせだった。
自宅謹慎中に自宅に咲いていた花蘇芳の木で首を吊ったそうで、丁度彼女の家を訪れていたカルヴェによって発見されたらしい。