(仮)お江戸でパラディその2───────────────
夜見世が始まった通りは赤々と灯る提灯に彩られ、行き交う者の期待や欲望も艶っぽく染められる。
利葉偉は懐に手を入れ、ぶらぶらと店を探しているような風情で吉原の張り見世の間を歩いていた。その目は赤格子の奥、着飾って色目をよこす遊女たちではなく、その手前の男たちに向けられている。利葉偉の平素の生業は遊廓の用心棒だった。廓で生まれ、そこで育った利葉偉に取って女とは庇護する相手であって欲望の相手ではなかった。
「兄さん!」
後ろから風炉九が来て利葉偉の肩にしなだれかかった。
「兄さん、丸露を振ったんだって?朝からしょげていやがったよ」嬉しそうに風炉九は続ける。「対してきれいでもない、取り柄もない、ちょっと兄さんが情けをかけただけだったのに天狗になっててさ、いい気味だ」
「風炉九、離せ」懐手をやめ、ぱしりと肩に置かれた手を利葉偉は払った。
「つれないなぁ。わざわざ探しに来たってぇのに」風炉九は大袈裟に嘆いてみせると、利葉偉の行手を阻んで甘えた声を出した。
「ねぇ、仕事なんかほっぽっていいことしようよ。何も起こったりしないだろう?」
「また痴話喧嘩か?」
急にドスの効いた声がして風炉九は驚いて振り向いた。そこにはがたいがよく威圧的な一行が立っていた。
「あ、いや、えっとじゃあ兄さん、またね、用事を思い出したから行くよ」言うと風炉九は風のように姿を消した。
「相変わらずおモテになるねぇ。ちったぁ回して欲しいモンだな」親分格の歩留児が下卑た笑いと共に傍の雷那阿、帯流斗(もしくは鐘取兎、案求む)を見やってからねっとりと利葉偉に視線を移す。
(は、てめえの狙いは別にあるだろ)
やはり他の店に雇われている用心棒の我利阿土一家の歩留児は前々から利葉偉を手籠にしようと狙っているのだった。廓の外で散々男相手に好き勝手の大騒動を起こし、男を趣味とする者は来ない遊廓に押し込められたという経緯がある。本命は利葉偉だがその持て余している精力の向かう先は男であれさえすれば良いと言うくらいで、風炉九が逃げ出すのも無理はない。
「そろそろ靡いてもいいんじゃねえか?一人で立ち回るのはキツいだろ」
歩留児は世の動きにも鋭敏なタチで廓に来るとたちまちバラバラに立ち回っていた用心棒達をまとめ上げてしまった。一匹狼のままの利葉偉は目の上のタンコブでもあるのだ。
歩留児は利葉偉の顎に手を掛け、更なる口説きか脅しかわからないが文句をつけようと口を開きかけた。
と、その時、よく通る声がそれを阻止するように響いた。
「ちょっといいかな」
後ろからの声に気がそがれて歩留児は不機嫌に振り返ったが声の主に気づくとたちまち態度を改めた。
「こ、これは墨須の旦那……!」
背の高い金髪碧眼の美丈夫が、着流しに羽織りを肩掛け、片手を懐手にして立っている。
「話があるのでしばし利葉偉を借りたいのだが」
「いやぁ用があったわけじゃねえんで、どうぞどうぞ。一人居なくたって面倒事は俺たちで収めますんで」
歩留児が急に下手に出るのには訳がある。墨須はこの遊廓で一番の大店の楼主であり、廓全体をまとめる組合の長も務めるいわばこの遊郭の顔役なのだ。歩留児が用心棒たちをまとめ上げるのも墨須の黙認がなければできるようなことではない。
墨須に促され、その場を離れながら利葉偉は舌打ちをした。
「余計なことしやがって……」
「何がだい?話があるってのは本当だよ。座敷にお付き合い願いたいね」
そう言って連れて行かれたのは自分の店で通常なら花魁が使う一番いい座敷だった。女も断り、差し向かいで墨須は利葉偉に酒を勧めた。
「どういう風の吹き回しでぃ」盃を受けながら明らかに利葉偉は警戒していた。
「そう噛みつくな。知らぬ仲ではない、たまにはゆっくり酒を呑むのもいいだろう」墨須はにこやかに応じ、上機嫌で運ばれてきた膳に舌鼓を打ったりしている。
「いいから話せ。まどろっこしいのは好きじゃねぇ」
「せっかちだな。なに、最近念弟(男色の相手)達を切っていると聞いてな」ずばんと本題に入った墨須の目は鋭く光っている。
(チッ)我知らず利葉偉は心の中で舌打ちした。
「だから何だってんだ」
「ふ、そりゃどうという事もない、ただ古い知り合いなのだから、もしや本命でも出来たのかと気になって聞いたっておかしくはないさ」
「……」利葉偉は口を引き結んだ。墨須には逆らえないのだ。
「別に理由なんざねぇ。若い奴らが勝手に牽制しあったり妬いたりしてくんのが面倒になってきただけだ」
「ほう。百人斬りの利葉偉ももう年か」
「何でそうなる」
「歳を取ると何事も面倒になるものだ。色事は何にも増して面倒事だろう」
「まだそこまで枯れきっちゃいねぇよ」
「ふむ。それは是非その身で証立ててもらいたいもんだな」
墨須は思わせぶりに次の間を目で指し示した。
(続く)
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なんか……未知の方向に……。