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    ひろの

    @hironoorz

    @hironoorz ちょっと首都圏の私鉄・JRの鉄道擬人化一次創作が
    10年ぶりくらいに再燃してしまったので、垢復活させてしまった。ポイピクはなんとなく外には出さなくていいか、程度の落書きとか妄想置き場にしようかな。
    ※鉄擬一次は、鉄道路線等をオリジナルで擬人化しているジャンルです。
    実在の鉄道路線や各社とは一切関係ありません。個人の妄想です。

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    ひろの

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    【鉄擬】続き:共に歩んで50年……(ありがとぅ……)(さすがに文字多かったんで手書きやめた)兄ちゃんたち二人はいろいろ胃が痛かったろうけど。多摩も最初は受難気味だったしなぁ。ところで気づいたんだけど、1971年に相模原線に改名したんなら、多摩線の免許おりたの1967年でそこから認識できてたとして、お互い数年「多摩」「多摩川原(または多摩川)」ってW多摩で呼んでた時期があったってこと…?

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    Replies from the creator

    recommended works

    oshihamidori

    DONE6/3-6/4こいびとは上官につき展示作品でした。
    樺太道中後半戦、鯉→月ですが、月→鯉なのかは判然としない、そんな微妙な時期の二人を書いております。
    ゆるはらす船 今夜の宿は、往路でアシㇼパ達が世話になったという、ウイルタ民族の天幕になった。アウンダウ、という名の冬の家らしい。アシㇼパと白石の顔を見るなりよく無事だったと歓迎してくれて、酒と食事を振る舞ってくれた。更には一晩だけなら、と一張りまるまる天幕を借りられることになった。我々は礼になるような物品を殆ど持っておらず、唯一手土産の体をなしているのは、月島が豊原で仕入れていた煙草の残りくらいだ。
     たった二箱の煙草を住民は喜んでくれた。日本の煙草は滅多に手に入らないから、と言う。
     この旅が始まってからというもの、あらゆる交渉ごとは月島の担当だ。
     月島を見ていると、言語の習得は重要だなと痛感させられる。同じ言語を解するという安心感が相手の警戒心を解き、結果交渉も上手く行くことが多い。私の陸士時代の専攻はドイツ語で、英語もそこそこは学んでいる。しかし実地での経験がないから、現地でどれくらい通用するかは分からない。月島のロシア語の技倆を目の当たりにすると、言葉の問題だけではなくて、自分には不足が多いなと痛感する。それは杉元に対しても谷垣に対しても思う。
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