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    惇操現パロ 続くかも
    2024年の日本が舞台です。

    習作 年度末の煩雑な事務処理のため、土曜の昼下がりに曹操は工房の小さな事務室でパソコンに向き合っていた。と言っても自宅と工房は同じ敷地内にあるので、ゆったりした部屋着とマグボトルのコーヒーで気休め程度にはせわしさを紛らわすことができる。
     窓の外に目を遣ると、鉛色の雲が空を覆っている。夕方からは雪の予報だ。北陸にあるこのS市では、まだあとひと月は雪と付き合わなくてはいけない。

     一世紀ほど前に農閑期の副業として始まった眼鏡づくりはこの町の主要な産業となり、曹操の祖父も、需要に後押しされて戦後に眼鏡フレーム工房を立ち上げた。数年前に二代目だった父が亡くなり、今は曹操がこの工房を継いでいる。小さな会社だがシックで品の良い細身の金属フレームが得意で、セレクトショップに並べられることも多い。

     小一時間ほど、書類を去年のものと突き合わせてみたり税務署のウェブサイトを読み込んだりと格闘を続けていると、工房の裏のドアが開く音がした。予定されていた来客であり、そのために鍵は開けておいたのだ。
    「邪魔するぞ」
     ひどく懐かしいにもかかわらず、ほんのひと月前まで赤の他人だった声は、ぶっきらぼうで男くさく、同時に飾り気のない性根のあたたかさを昔と変わらず伝えてくる。

     入ってきたのは、190に近い長身と厚い胸板を持つ、目つきの鋭いひげ面の大男だ。無骨そうな顔つきに似合わずおそろしく高価なロングコートを羽織っている。人目を引くようなブランドネームが入っているわけでは無い。離れていても一瞥して分かるほど質のいい生地を、体格に合わせてフルオーダーで仕立てているのだ。石油ストーブの匂いが移らなければ良いが、と自らも一人の職人である曹操は思った。
     男は一見するととてもカタギに見えない威圧的な風貌だが、誰もが名を知る大手総合商社の社長、夏侯惇だ。二年前に社長が交代した時は、業界ではちょっとしたニュースだった。創業者一族出身の、三十そこそこの若い新社長の手腕に不安の声も大きかったが、現在は概ね好意的に受け入れられている。見た目に反して情深い人柄も、ビジネスシーンで有益な効果を上げている。

    「よく来たな。忙しい身であろうに。何か飲むか?」
    「お茶を貰えると有り難い。それと、ここで飯を食ってもいいか?新幹線の中ではずっとメールを打っていて昼がまだなんだ」
     その手にはキヨスクのビニール袋が提げられている。
    「ああ、構わん」
    「今日は夕方には博多に着いてなきゃいかんくてな。ここには一時間も居られん」
    「おぬし、そんなぎりぎりのスケジュールで来たのか?」
     曹操は呆れた声を上げながら石油ストーブからやかんを取り上げた。
    「お前に会いたかったんだ」
     とんでもないことをさも当たり前のことのように言う。東京からここまでは片道4時間、ひととき曹操と顔を合わせるためだけにして時間も費用も高く付きすぎる。だが、今も昔も夏侯惇はそういう男だった。現在のおのれの地位や忙しさなどは、曹操という存在の前では簡単に脇にやってしまえる。まっすぐに向けられる慕情に、少しの尻込みすら覚えるくすぐったいようないとおしさが、曹操のすり減ったこころをあたたかく包んでいく。

     二人が出会ったのは、丁度三ヶ月ほど前のことだった。
     目前に迫った北陸新幹線開通に向けて各所でフェアが開かれていた。東京のある老舗デパートでもS市の眼鏡を特集するコーナーを設けており、そこに曹操も、フレームを作る工程を実演する職人として呼ばれたのだ。
     曹操の工房は眼鏡店への卸専門で、普段エンドユーザーとの直接の接点は無い。なので接客自体は出来ないが、小さい工房な分多くの工程を自身でこなしており、持ち込める道具の範囲で出来る作業が多いので度々実演イベントには出たことがあるのだ。

     偶然にも同日、夏侯惇も百貨店に商談に訪れていたのは、やはり前生の縁だったのかもしれない。
     その夏侯惇は、多忙を極める中ふと気まぐれに、催事の様子を見てみたい、と告げて駐車場までの見送りのつもりでいた店長をひどく慌てさせたのだ。特設会場は平日ながら盛況だった。ビジネスでは、常に商機にアンテナを張っておかなくてはならない。商売人ならではの嗅覚を研ぎながらフロアを縫っていく。そうして客や商品を眺めながら歩いていた足が、うつむいて金属フレームを研磨している一介の職人の前で止まった。
     そして、記憶より意識より深く深く魂に刻まれた名が、我知らず唇からこぼれ落ちたのだった。
    「も…う…とく」
     突然名を呼ばれて顔を上げた曹操と夏侯惇は、今生では初めて邂逅する、しかし前世ではおのれの半身であった互いのまなざしに貫かれて、乱世を生きた遠い過去を同時に思い出したのだった。

     衆目があるため、その場では連絡先だけを慌ただしく交換し、後日会うことになった。
     記憶が甦ってみれば、転生したのはなにも自分たちだけではなく、曹操の工房には曹仁と典韋が職人として、荀彧が事務職として勤めていたし、幼なじみの袁紹は商工会の顔役として今回の催事の話を曹操に持ち込んだ張本人ですらあった。夏侯惇の会社にも、今生でも従兄弟である夏侯淵、経理の于禁、営業の李典と楽進、システムエンジニアの荀攸が勤めており、ビジネスパートナーには孫堅もいた。
     しかし今までは、彼らと日々顔を合わせても一度も前世を思い出すことなどなかった。それがたった一目で全てを思い出したというのは、それほど互いの存在が大きかった証であろう。

     突如顕れた丸々一生分の記憶は、二人にとって大きな負担だった。
     時々、今いる時空座標がわからなくなる。転生した知人達に関する記憶も、今生のものと前世のものが混在しあやふやになってくる。タイヤチェーンの音に進軍する将兵がフラッシュバックする。吹雪けば下邳を、長雨には樊城を思い出す。
     何より倫理観人生観があまりにも隔絶しており、どちらかの時代に立てばもう一方の時代が狂気に見えてしまうのが厄介だった。しかも誰かに相談できる類いの話ではない。
     互いしか縋るものを持たない二人は、いきおい急速に親密になっていった。SNSで頻繁にやり取りし、苦しさを吐露し互いをねぎらい合った。だが、時間を作って会いたいと思うものの、中々気軽に通いあえる距離ではない。

    「孟徳、東京に来ないか?」
     東京駅で買ったきり食べ損ねていた弁当をようやく腹に詰め込むと、茶をすすりながら夏侯惇が呟いた。
     曹操は手元の書類から目を上げる。遅かれ早かれ夏侯惇がその提案をしてくるのは予想していた。曹操自身、出来ることならそうしたかった。
    「うちの会社に来るならできる限り厚遇する。もし今の仕事を続けたいのなら、東京に移転するためのサポートは全力でする」
    「夏侯惇、おぬしの気持ちは有り難いのだが、わしはここを離れる気はない。この工房は、わしの半生そのものなのだ」
    「だが、会社は大きくしたいのだろう?お前はこんな田舎で燻っている器じゃないはずだ」
    「いや、わしは今生ではそれほど多くは求めていない。今の日々にそれなりに満足しておる。おそらく前世でやり尽くしたのだろうな」
    「そんなはずはないだろう!未練がないならなぜ、再び生を受けた?なぜ思い出した?」
     急に声が大きくなる。自分自身についてはひどく忍耐強いのに、曹操のこと、特にその覇道のとことなると激し易くなるのは前世と変わらない。ああ、本当におぬしは、と思わず腕に抱き込んでしまいたくなる。
    「それはわしにも分からぬ。だが、案外そういう者は多いのかもしれぬぞ。それにわしはこの時代に成すべき使命を持たぬのだ」

     達観、あるいは諦念と言ったほうが正確かもしれない。夏侯惇に出会う以前よりうっすらと感じていたぎこちなさの理由が、記憶が甦ったことではっきりした。この時代は、曹操を求めていないのだ。
     前世において、曹操が兵を起こしたのはもちろん自らの意志ではあったが、時代に求められている、との自負もあった。そして、歴史の中で最もおのれを輝かせる時と場所を得た記憶があまりにも鮮烈すぎて、今の時代に馴染めずに折り合いの付け方をずっと模索してきたように思う。今さら居心地のいい場所を捨てて人生に波風を立てたくないのだ。

    「そうか。まあ、少し性急な申し出だったかもな。だが、考えておいてくれ」
     現時点でこれ以上の問答は不毛と悟ったらしい。夏侯惇はさっと会話を切り上げた。
    「俺はそろそろ行く」
    「駅まで車を出そう」
     曹操も立ち上がってコートを羽織った。

     外は雪がちらつきはじめていた。
    「昔、お前が眼帯をあつらえてくれたな」
    窮屈そうに助手席に体を押し込んだ夏侯惇が言った。かつて戦で片目を失ったかれに、曹操はなめし革に手ずから針を通し鋲を打って眼帯をあつらえたのだ。欠損を癒やせるように、そしてこれ以上この身からなにも奪われることがないように、祈りを込めて。
    「そうであったな。今生のおぬしは両目とも揃っておって、男前が上がったようだ」
    「今度、時間が出来たらお前のフレームで眼鏡を作りたい」
    「ああ、ぜひ」

     駅のロータリーの端に車を停める。しばらくは忙しくて会えなさそうだ、と車から降りながら夏侯惇が呟く。
    「あまり、無理をするでないぞ」
     今も昔も人一倍責務に忠実な男だ、背負うものも多いだろう。曹操は、背中越しに気休めの言葉を掛けるくらいしか出来ることがないのを歯痒く思った。
     雪を避けすぐに構内に入ると思っていた夏侯惇は、しかし、振り向いて曹操をじっと見つめた。その髪に、肩に、粉雪が舞う。
    「さっき…なぜ転生したのか、なぜ思い出したのか、お前に聞いたな」
     白い息を吐いて一度言葉を切る。
    「俺は、」
     続きは聞くまでもなかった。かつて、ただひとりだけをその隻眼に映して生きた。夏侯惇を夏侯惇たらしめる、雪よりも深い思慕。
    「俺の未練はお前だ、孟徳」
     現世ではその想いに報いるすべを持たない曹操には、なにも答えることが出来なかった。

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