ド健全版○○しないと出られない部屋「ハロウィン期間イベント……?」
「そう。エンジニアチームも、ちょっと疲れてるよね」
そう言って、辻の隣で犬飼は笑った。
なんでも犬飼の話によれば、エンジニアたちが今あるワープ装置に捕獲機能を付加出来ないか研究中らしく、その実証実験で、基地内に一定の条件に達した隊員達をランダムにとある部屋に送り込む、というものらしい。それが、辻がボーダー本部に行かなかった日に告知されたとのこと。
ハロウィン期間のイタズラにぴったりだと、あの鬼怒田室長も部下に押し切られたとかなんとか。その話を聞きながら、辻は鬼怒田さんもお疲れなんだなとぼんやり思った。
「でもまぁ出てきたら、御礼にお菓子もらえるらしいよ。良かったね辻ちゃん」
「はぁ……そりゃお菓子もらえるのは嬉しいですけど……何したら出てこれるんですか?」
無条件にもらえるお菓子ならともかく、なにかしらのリスクがあるのは嫌だと犬飼に聞けば、犬飼も「さぁ?」と要領を得ない返事を寄越す。
「いやさぁって……何か説明があったんですよね?」
「それがね、部屋でなにするかはランダムなんだって。……そんなに難しいことではないって言ってたよ」
「へぇ……? まぁ、それなら……」
難しくないなら良いかと思っていたら、隣の犬飼は意外に楽しそうに「辻ちゃんと入れるといいなー」と笑っていた。こういうとき、案外イベントごとを満喫するのが犬飼の可愛らしいところだと思う。辻はつられて笑いながら、「嫌ですよ」と返した。
「なんで!? そこは『そうですね』とかじゃない!?」
「ははっ、嫌です」
*
「……っていう話を、昨日犬飼先輩には聞いてたけど……」
そう言って、辻は溜息を吐き、聞いていた片桐も溜息混じりに「なるほど……」と零した。
今日は片桐と二人で学校からボーダー本部に来ていた。本部内を換装体で廊下を歩いていたら、突然眩しい光に包まれた。そして次に目をあければ、片桐と何も置かれていない白い部屋に閉じ込められていたのだった。
「確かに連絡は来てたけど、ちゃんと読んでなかったから助かった。ありがとう、辻」
「ううん、俺こそ……片桐とで良かった」
クラスメイトで、A級リーダー。仲も良いし能力も高い頼れる人物と不測の事態に巻き込まれたことは、不幸中の幸いだ。
「でも条件はランダムってことは、どうしたら……」
「? 片桐、あれ……」
「ん?」
辻が服の裾を数回引っ張り、片桐は素直にそちらに首を向けた。そこには先ほどまで何もなかったはずだが、いつの間にかモニタのように暗くなっている。二人の視線がそこに集まると、チカッと一気に白くなり、そしてすぐに文字が表示された。
『好きな人』
「?」
「!?」
二人が固まっていれば、しばらくして画面が切り替わり、次の文字が映される。
『を』
時間として十秒ほどだったが、切り替わるまで無駄に長く感じた。まだ続きそうなディスプレイを、二人は固まったまま見つめる。
『言い合わないと出られない部屋』
「は?」
「えっ」
『好きな人を言い合わないと出られない部屋』
最後は某国民的怪盗アニメの演出だと言いたげに、1文字ずつ表示され、最後に全文がドンと表示される。
二人とも画面を睨んだまま数秒固まり、しばらくしてようやく片桐が口を開いた。
「○○しないと出られない部屋って、そういうこと……?」
「どういう……こと……?」
状況が飲み込みきれない、否、理解したくない辻が聞き返し、二人で顔を見合わせた。片桐はいつもと変わらない、冷静な顔で続ける。
「単純に考えたら、お互いが『好きな人』を言い合うしかないだろ」
「っ……」
カチッ、コチッ、とあからさまに動揺した辻に、片桐はしばらくじっと見つめた後、溜息をひとつ吐いた。
「いるのか? 好きなやつ」
「えっ、いなっ……! いないよ!」
両手と首をぶんぶんと左右に振りながら、辻はそう答える。片桐はそれに少し笑いそうになりながら、「そうか」と受け入れた。
「俺もいない。……から、この場合、もう開いても良いはずだけどな?」
「そう……だね?」
けれど部屋はシンとしており、出口が設けられる様子もない。二人で壁や床を触ったり叩いたりしてみたが、無機質な音が返ってくるだけだった。
片桐は腕を組み考え込んだ後、「思ったんだけど」と白い壁を見ながら呟いた。辻も振り向いて、片桐に視線をやる。
「ワープ機能をベースにした捕獲装置なら、この空間から出るためには、ドアが開くとかじゃなくて、この空間ごと無くなるんじゃないか……?」
「なるほど……? じゃあドアを探しても意味ないってこと?」
その質問に、片桐は「恐らく」と頷く。
「じゃあ破壊すれば良いってことかな?」
「まぁそれは運営も想定内だろうな。耐久テストも兼ねてるのかも」
「確かに……」
頷きながら弧月を抜刀しようとした辻に、片桐は普段聞かない少し弾んだ声で「まぁでも」と呟く。そして辻の手にそっと自分の手を重ね、弧月を握る手を下ろさせた。
「片桐……?」
「面白いから、このまま乗ってみよう」
「片桐!」
片桐の言葉に、辻はあからさまに表情を変えた。片桐はそれに余計笑う。
「気になるだろ? 何をもって運営側が俺たちの『好きな人』を判断するのか」
「気っ、気にならないよ……!」
「思うに、換装体のバイタルは観測できているから、それを使っての判断だと思うんだよな」
「ちょっと聞いてる!?」
淡々と推理を進める片桐に、辻は必死に抗議するが全く相手にされない。話していたかと思えば、片桐はピタリと止まり、床をじっと見たまま考え込む。辻はそれを困惑した顔で見つめた。
「……辻」
カチャリと、突然顔を上げた片桐から眼鏡の音がする。神妙な面持ちの片桐に、辻は思わず「はい」と返事をした。見つめ合ったまま、片桐は続ける。
「……辻は俺のこと、どう思ってる?」
「は?」
「好き?」
「ぇ、いや、なに? えっ?」
「いいから」
真剣な顔で迫られ、辻はテンパりながらもモゴモゴと口を開く。
「好きか嫌いかで言えば……それは、好きだけど……」
それに対して片桐はフッと笑い、「俺も辻のこと好きだよ」と恥ずかしげもなく言ってきた。
一瞬シンと沈黙が訪れ、辻が恥ずかしくなっている間に、片桐がふぅと溜息を吐く。
「……やっぱりだめか」
「今の何!?」
いつもの落ち着いた様子と違って、辻は小型犬が鳴くようにキャンキャンと抗議する。けれど片桐は全く動じない。
「いや、俺も辻が好きだし、辻も俺が好きだろ? だから嘘じゃないし、これでいけないかと思ったけど……ダメだったな」
「さ、先に何がしたいか、言って……」
今度は辻がはぁと溜息を吐く。片桐が「それもそうだな」と頷き、もう一度考え込んだ。
「…………多分俺と辻はさ、友達としてお互いが好きだろ?」
「多分もなにも、そうだよ……」
呆れたように返す辻に、片桐は「まぁ付き合えよ」と軽く返す。
「……同じ気持ちであれば有効かと思ったけど、そうでもないってことは……あれだな、やっぱり最初に表示された時の『好きな人』を見た時の数値を取られてるのかも」
「……つまり?」
「つまり……『好きな人』の文字を見て思い浮かんだ相手じゃないと、条件クリアにならないんじゃないか?」
「『好きな人』の文字を……見た、時……?」
辻の復唱に、片桐はうんと頷く。辻も、つい十数分前のことを思い出した。
不自然に、長い間表示されていた文字列。
「あ……」
その時自分が考えていたことを思い出して、辻は思わず顔を赤くした。
「あの時に何かしらを測定されて、それと同じ数値になることで、『好きな人』の基準を満たすことになるんじゃないかと思ったけど……」
どう思う? と、淡々とした様子で辻に視線を向けた片桐とは対照的に、辻は縮こまりながら視線を床に落とした。
「………………辻?」
「いや、うん…………片桐の言いたいことは、よく分かった」
辻の様子に、片桐は気付かれないように小さく笑う。あまりにも分かりやすい、友人の動揺。
「つまりは……俺と片桐で、その人を言い合わないとだめってことだよね……」
「まぁそうだな」
片桐の言葉に、辻は丸まったままハァーと露骨に大きな溜息を吐いた。笑ってしまいそうになるのを飲み込んで、片桐はまた話し出す。
「つまり『好き』がどういう『好き』かは判定に含まれてないんだよ。だから俺とお前が今から誰を言おうが、どういう『好き』かは関係ないってこと。それは良い?」
「うん、分かってる……」
分かっていても、自分が『好きな人』と言われて、あの人を思い浮かべてしまった事実が恥ずかしい。と、辻は頭の中で反論した。それを理解しつつ、片桐は続ける。
「とりあえず仮説は揃ったから、立証してみよう。じゃあまず俺から……。俺は、雪丸」
「……………………へ?」
友の口から出た意外な言葉に、辻は思わずガバリと顔を上げた。
「…………何?」
「いや……意外というか、素直でびっくりしたというか…………」
「なんだよそれ」
辻の返しに、今度は片桐が呆れたように目を細めた。
辻から見た二人は、仲は良いがどこか片桐が雪丸に思うところがありそうな、そんな印象を抱いていた。それは嫉妬か競争心か、そういう類の感情に近いと思っていた。それが――。
「……片桐、雪丸くんのこと、素直に好きなんだ」
「あんまり確認されると気持ち悪い。……別に、最初に浮かんだのがあいつってだけだよ」
辻が露骨に目を輝かせるので、反対に片桐は渋い顔を見せた。いつも淡々としている片桐が、そんな表情を見せるのは珍しい。辻としては、友人の思わぬ気持ちを知れて少し頬が緩む。辻にとっては片桐は大切な友人で、雪丸はアタッカーのライバルであり強者だ。付き合いも長いらしい、少し歪に見えた二人が、案外上手く回っていたのだと知って、他人事ながら嬉しくなる。その様子に、片桐は溜息を吐いた。
「なに? 辻から見た俺達、そんなに仲悪そうだったか?」
「うーん……仲悪いとは思ってなかったけど……片桐と雪丸くんは……もっとライバル? みたいな関係だと思ってたから……」
「それはまぁ、ずっと一緒にやってるし……ライバルはライバルだろ。お前と犬飼先輩だって、そうじゃないのか?」
不意に犬飼の名前を呼ばれて、辻は思わずパチパチと瞬きをした。
――犬飼先輩と俺は……ライバル?
意識していなかった関係を提示されて、少し驚く。驚いて、そうかもしれない、と頭の中で飲み込んだ後、でもなとそれにすぐ逆接の接続詞をつけた。
「まぁ良い……とりあえず、俺の番は終わり。……はい、次辻」
「え、あっ、俺?」
惚けているところに突然話を振られ、現実に戻される。辻も頭の中では分かっている。さっき見た片桐みたいに、サラリと告げてしまえたら――――でも。
「あ…………その…………」
そう言って、顔を少し赤くして視線を逸らした。
だってどうしても、意識してしまう。『好きな人』という、言葉の意味を。
頭には最初から一人しか浮かんでいなくて、名前を呼んでしまえば、秘めた気持ちが表に出てしまうんじゃないかって。そう思うと、少し怖い。
完全に口を閉じてしまった辻に、片桐はふぅと息を吐き、「俺って信用ない?」と聞いてみる。辻は慌てて顔を上げ、「え、なんで?」と目を丸くした。
「……だってそんなに言いづらいんだろ? 俺に言い広められるんじゃないかって、心配してるのかと」
「まさか。……片桐がそんなことするなんて思ってないよ」
片桐の言葉に首を左右にぶんぶんと振った。それを見ながら「なら」と片桐は眼鏡を上げながら続ける。
「さっさと言って終わりにしよう。終わったら、お菓子もらえるんだろう?」
そう言って、少しだけ笑う。片桐の言葉に後押しされた辻は、「ぁ、ぅ……」と小さく呻いた後、俯き赤面したまま、ポツリと呟いた。
「犬飼……先輩……」
言い終わった後、ギュッと目をつぶって身を縮こませる。そんな辻を見て片桐が瞬きをして少し笑みを溢せば、聞き慣れた機械的な声が聞こえたきた。
『ミッションクリア。会議室前に転送します』
「「え?」」
余韻に浸る間もなく、シュン、と空間ごと移動させられた感覚がする。衝撃に思わず目を閉じ、そして開いた時にはすでに元いた位置から離れた、会議室前に転送されていた。
「あ……終わった?」
「ここって……」
会議室のドアの横には『ハッピーハロウィン!』と少し雑な字で張り紙がしてある。何人かがそこから何かを持って出てきて、それがご褒美のお菓子だと理解した。
「手が凝ってるというか、なんといか……」
「だね……」
片桐が少し呆れたように呟くので、辻も横でそれに頷く。素直にお菓子をもらいに行こうとすれば、目の前のドアがプシュンと開いた。
「あ! 辻ちゃん!」
「っ!」
その声に、辻は思わずさっと片桐の後ろに隠れる。渦中の人――犬飼は、それをキョトンとした顔で見た後、切り替えてニコリと笑った。
「……と片桐くん」
「どうも」
手を振る犬飼に、片桐も軽く会釈をする。片桐を挟んで、犬飼が 「辻ちゃ〜ん?」とその背中を覗き込んだ。
「何してるの?」
「いや……何も……お疲れ様です。犬飼先輩が突然現れたので、びっくりして……」
「突然って……ただ部屋から出てきただけでしょ」
「よぉ片桐、辻」
「「荒船先輩」」
犬飼の後ろにいた荒船の声に、二人は揃って返事をする。辻に至っては覗き込む犬飼がいる方とは反対側から顔を出し、表情を明るくさせぺこりと頭を下げた。
「えぇ……なに……? 扱いの差酷くない?」
「日頃の行いだろ」
それに、片桐がうんうんと頷く。犬飼はぷぅと軽く頬を膨らませ、ジトリと後輩たちを見つめた。
「えー? おれ普通に優しいじゃん。……まぁいいや。ここにいるってことは、二人も巻き込まれたんでしょ? お疲れ様。なんの部屋だった?」
「先輩達もですか? 先輩達も二人で……?」
片桐の質問に、犬飼は溜息と共に「そー」と疲れた声を上げる。
「荒船と二人で歩いてたら、突然カッてなって……『叩いて被ってじゃんけんポンで連続三回勝たないと出られない部屋』……だよ?」
「イタズラっていうからどんなのかと思えば……案外楽しかったな」
「どこが!? 荒船本気でやるしさぁ……馬鹿力なんだから勘弁してよね」
「そういうお前もムキになってただろうが」
なんだかんだ仲の良い二人を、片桐と辻はそっと見守った。楽しそうに言い合う姿は、どこか微笑ましい。
話題は去ったかに思われたが、一頻り話した後、先輩達二人は揃ってこちらにぐるりと視線を向けた。
「で、お前らはなんだったんだ?」
「二人で入れられたんでしょ? 例の部屋」
二人は本当に、ただの雑談の延長をしている顔だった。犬飼が「良いなー、おれも辻ちゃんとが良かったー」と荒船に文句を言っている横で、片桐は考える。
「俺たちは……」
そう口を開くと、後ろの辻が肩を持つ手をギュッと強く握った。
「ダメッ……!」
その声に、視線が一斉に辻に集まる。上目遣いの潤んだ瞳で片桐を見つめて、なんなら肩も少し震わせていた。
「辻……」
「片桐、お願い……」
ギュッと、もう一段握る手の力が強くなる。自分より五センチは大きいはずの同級生が、まるで小動物のような顔で懇願してくる。その様子に、片桐だけではなく、荒船も犬飼もキョトンとした顔で固まっていた。
「何、そのリアクション……」
後輩の思わぬ態度に、犬飼も動揺で声が震える。片桐は辻を見た後チラリと視線を犬飼に送り、その姿を捉えた。
――なるほど、こっちの方が……面白いかもな。
そう思って、小さくクスリと笑う。辻が期待した方向と少し異なる方向で、片桐もこの流れに乗ることにした。
「……というわけで、内緒です」
「ハァ!?」
片桐が意味深に笑えば、犬飼が思わずそう声を荒げる。
「内緒ってなに!? 内緒って!」
「内緒は内緒ですよ。……なぁ辻?」
「うん……内緒…………」
辻は、片桐の後ろで大きな身体を小さい縮こませる。その顔は、赤く火照っていた。
「じゃあ犬飼先輩、荒船先輩、俺たちお菓子もらってくるので。……行こう、辻」
「あ、うん……」
歩き出した片桐について行きながら、辻はバタバタと犬飼と荒船に会釈をして去っていく。その姿を見届け、犬飼はやはり身体を震わせていた。
「ナニアレ…………」
隣で沸々と嫉妬の炎を燃やしている犬飼を気にすることなく、荒船は「さぁな」とだけ答える。
「何の部屋に入れられたの!? 片桐に何されたの!? 辻ちゃーん!!」
真相は明かしてもらえないまま、犬飼の叫び声は本部内に響き渡った。
*
「……本当にあれで良かったのか?」
「うん、大丈夫……ありがとう、片桐……」
多分逆効果だと思うけど。片桐は喉元まででた台詞を飲み込んで、「明日もまた一緒に本部まで来ような」と声を掛ける。何もわかっていない辻は「? うん」と返した。
明日と言わず、しばらくはそうさせてもらおうかなと片桐は考える。
その方が――きっと面白い。