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    naco__1616

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    naco__1616

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    書きかけの兼堀が出てきたので供養🙏
    ⚠刀剣破壊の描写があります。
    とても中途半端な所で終わります

     堀川国広が折れた。
     その最期を見届けたのは、和泉守兼定、ただ一振りだけだった。



     駆け出しの本丸、初めての戦場、勇み足の進軍。
     隊が分断されたと気付いた時にはもう遅く、何とか帰り着いた四振りの助けに応じ、救援部隊の準備を急いでいた本丸に帰って来たのは、腹に大きく穴を空けた和泉守たった一振りだった。
    「国広が、折れた」
     その腕の中に大切に抱えられていたのは、堀川国広。和泉守の自慢の羽織に包まれ、小さな鋼の破片に成り果てていた。
     今にもその場に倒れ込みそうな審神者を、加州清光と乱藤四郎が支える。二振りも同じくらいに真っ青な顔をしていた。その隣に立ち尽くす山姥切国広は、表情を無くしたまま、じっと和泉守の手元を見つめている。誰もが息を飲み込み静まりかえった本丸に、和泉守の言葉がぽつりと響く。
    「弔ってやりたい」
     取り乱すことも、泣き出すこともしなかった。低く静かな声だった。



     部隊の手入れを終えた夕暮れ時、皆で堀川を見送った。本丸の裏手、一面に広がる向日葵畑。堀川が随分と気に入って、いつも夕焼けの中せっせと水を撒いていた。 
     ここなら堀川も、きっとさみしくないでしょう。よく一緒に世話をしていた今剣の一言に和泉守が頷いて、ここへ亡骸を葬ることに決まった。

     向日葵に囲まれた畑の真ん中、短刀達が穴を掘る。皆で一掻きすれば充分なくらいに、小さく浅い穴だった。今日は水の撒かれなかった乾いた地面に、誰かの頬から伝い落ちた涙が染み込み、あっという間に吸い込まれていく。

     羽織に包まれたままの堀川を、和泉守がそっとそこへ下ろした。
    「……くにひろ」
     小さな声で一度だけ名を呼んで、粉々になった刀身を優しく撫でた。その指先で、眠る鋼にそっと土を重ねていく。段々と見えなくなっていく浅葱色を、皆が呆然と眺めていた。

     堀川さん、と震える声が聞こえる。前田藤四郎だ。堀川と同じ日に顕現し、いつも同じ部隊で出陣していた。大きくしゃくりあげる鯰尾藤四郎と、ぼたぼたと静かに涙を落とす骨喰藤四郎が、支え合うように立っていた。脇差どうし仲が良く、堀川は時折枕を持って、彼らの部屋へ遊びに行っていた。拳を握りしめたまま和泉守の背をぼんやりと眺めているのは、歌仙兼定。今日の出陣の、部隊長だった。
     悼む声を、悲しむ声を背中に聞きながら、和泉守はただ淡々と手を動かし続ける。すっかり羽織の色が見えなくなって、小さな墓がそこに出来上がった。

     西日の差す黄金色の景色の中、向日葵達が、集う刀をじっと見下ろしている。彼らを世話し、大輪を咲かせた少年は、もうどこにも居なくなってしまった。全てを理解したように、咲き並ぶ向日葵達は皆、揃って頭を垂れていた。



        ◇



     自室へ帰り着く。湯浴みを終えた浴衣姿で、慣れた畳の感触を足の裏に踏みしめた。
     灯りをともし、障子戸を後ろ手に閉める。部屋の真ん中には、布団が二組並んで敷かれていた。帰るのが遅くなるかもしれないからと言って、出陣の前に国広が敷いたものだった。
     兼定はいつも使っている奥の布団に腰を下ろし、ため息を吐き出す。まだ湿ったままの、乱れた髪先が目に付いた。いつも湯浴みを終えて自室に戻ると、どんなに遅くなろうともどんなに疲れていようとも、国広が丁寧に手入れしていたことを思い出す。
    「……ちゃんとしねぇとな」
     国広がずっと手を掛けてくれたものを、蔑ろにしたくはなかった。立ち上がり、櫛を探す。ところがどこにも見つからない。鏡台の引き出しにも、箪笥の中にも、どこにも見当たらなかった。
    「どこにしまったんだ?」
     ぐるりと部屋の中を見渡して、兼定は思わず唇を噛み締めた。整頓された箪笥に並ぶ衣類にも、掃除の行き届いた部屋の空気にも、ぴたりと並んで敷かれた布団にも。至るところに国広の気配があった。
     もう兼さん、ちゃんと片付けないと駄目ですよ。これはここにしまっておくから、覚えておいてね。兼さん、おやすみなさい。また明日ね。
     何気ない日常の風景が、ありありと思い起こされる。けれどこの部屋に、国広はもういない。櫛を探す兼定の声に返事が答えることは、もう二度とないのだ。
    「本当に、いなくなっちまったんだな」
     国広が事切れる瞬間を、この目で見た。砕け散った刀身を本丸へ連れ帰ったのも、向日葵畑の乾いた土の中へ埋めたのも、兼定自身だ。
     けれど兼定はこの平和な自室の中で、今更のように、国広の喪失を自覚した。国広はもう、いなくなってしまったのだと。

     櫛を探すことは諦め、灯りを落とすと布団に潜り込んだ。いつも部屋の外に感じる他の刀達の賑やかな気配も今日は無く、本丸はしんと静まり返っていた。
     隣に敷かれた空の布団を視界から追い出すように、ぎゅうときつく瞼を閉じた。



        ◆



    「兼さん」
     凛とした心地の良い声が耳をくすぐる。

    「兼さん起きて、朝だよ」
     肩に触れる温かな手のひら。夢の中をふわふわと漂っていた意識が、段々と身体に戻ってくる。何度も兼定の名を呼ぶ穏やかな声は、耳に馴染んで心地良い。幾度となく過ごしたいつも通りの朝だ。もう少し眠っていたい。けれど兼定を呼び続ける声はそれを許してはくれず、肩が一層強く揺さぶられた。国広は決まっていつもこうして兼定を起こすのだ。そう、国広が。
    「……国広?」
     途端に覚醒した頭で、兼定はがばりと身を起こした。国広がここにいるはずがない。国広は昨日、折れたのだから。
     けれど兼定が目を見開いたその先には、隣に敷かれた布団の上に腰を下ろす国広の姿があった。
    「おはよう、兼さん」
     戦装束を身にまとい兼定の羽織を肩に掛け、傷ひとつない身体で笑う。跳ね起きた拍子に舞った埃が、朝の光に照らされキラキラと輝いている。鳥の鳴く声、澄んだ匂い。あまりにも平和な光景に、国広が折れてしまった記憶こそ悪い夢だったのではないかと思えた。
     ……いや、そんなはずはない。昨日国広が折れる瞬間を見届けたのも、粉々になった刀身をその手で埋めたのも、他ならぬ兼定自身だったのだから。
    「そうだお前、刀は……」
     小さな鋼の欠片になってしまった国広の姿を思い出しながら、その腰に脇差の姿を探す。
     けれど国広は首を横に振って、困ったように眉を下げて笑うだけだった。
    「兼さん、僕の刀身はもうどこにもないんだ。昨日折れちゃった。兼さんも、見たでしょう」
     昨日の光景がありありと思い出されて、兼定はきつく眉を寄せる。やはり国広は折れてしまったのだ。夢でも何でもない。けれどでは、今兼定の目の前にいる国広は、一体何だというのだろうか。
    「じゃあ……、どうしてここにお前がいるんだ」
     兼定が伸ばした指先を捕まえ、国広の手のひらがそっと握り込む。
    「どうしてだろうね。でも、幽霊とかじゃないみたいだよ。こうして言葉を交わすこともできるし、ほら、手を触れることだってできる」
     冷たい鋼に戻ってしまったことが嘘のように、その手のひらは温かだった。けれどいつもとくとくと跳ねていた鼓動は感じることができず、目の前にいるのは確かに国広でありながら、昨日までの国広とは全く違った存在なのだと分かった。

    「一体どうなってんだ……」
     訳が分からずため息を吐き出す兼定に、国広は少し目を伏せて静かに答える。
    「心残りが、あったのかな」
    「心残り?」
     聞き返せば、国広は視線を上げて小さく頷く。
    「うん。何か心残りがあって、お別れできなかったのかもしれない」 
     心残り。国広の言葉を、兼定はもう一度頭の中で繰り返す。一度折れてしまった国広が、再びその身体を取り戻してまでここへ戻ってくるほどの心残りとは、果たして何なのだろうか。兼定にはそれが思い当たるような気もしたし、全く見当もつかないような気もした。
    「その心残りってのは、何なんだ」
    「うーん、僕にもよく分からないんだ」
     首を捻る国広に、唸るように声を返す。
    「分からねえって、お前」
    「僕にだって全部が分かる訳じゃないからね」
     兼定はその言葉に、もう一度息を浅く吐き出した。そういうものは、もっとこう、明確な意志を持って帰ってくるものではないのだろうか。
     しばらく考える素振りを見せていた国広が、突然はっと顔を上げた。
    「そうだ、替えの羽織を出しておかなくっちゃ」
    「羽織だぁ?」
     予想外の返事に思わず間の抜けた声が出る。そんな兼定に向かって、国広はもっともらしく頷いてみせた。
    「だって兼さん、この羽織は僕にくれちゃったでしょう。次から出陣する時困るじゃない」
     そう言って、肩に掛かった羽織を大事に胸の前で引き合わせる。昨日国広を包んでやった兼定の羽織だ。所々が大きく破けて、泥と血の染みがこびりついている。
    「兼さん、来て」
     国広は立ち上がると押し入れを開いて、中に収められた衣装箪笥の引き出しに手を掛けた。兼定も後ろに続き、その手元を覗き込む。
    「替えの衣装は一式、一番下の段に入ってるからね。前の日にはちゃんと引き出しから出して、衣紋掛けに掛けておかないとだめだよ。ここにしまってある物も説明しちゃうね。上の段は普段使ってると思うんだけど、下着があって、その次に内番着があって……」
    「待て待て、国広」
     流れるように始まった説明を遮ると、国広がきょとんとした顔で見上げてくる。
    「お前、まさかそれが心残りだなんて言うんじゃねぇだろうな」
     確かにこうして身の回りの世話をしてくれることは、とてもありがたい。しかし一度失った身体を甦らせてまで国広が兼定に伝えたかったことは、果たして本当ににこんなことだったのだろうか。困惑する兼定をじっと見つめたまま、国広が口を開く。
    「だってね、兼さん。兼さんにはこれからもずっと、かっこよく強く生きていってもらわなくちゃいけないから。生きていくって、こういう生活の積み重ねでしょ」
     国広はそう言い終えるとまたくるりと箪笥へと向き直って、引き出しのへりをぐっと掴んだ。
    「だから兼さん、ちゃんと覚えててね。僕が居なくっても、大丈夫なように」
     兼定は国広の小さな声を聞きながら、俯いたその襟足をじっと眺めていた。



        ◇



    「手拭いはここだよ。足袋は小さい方の箪笥の三段目にあるからね。新しい下着は、必要になったら洗濯室からもらってきて」
    「……おう」
    「兼さんってば、聞いてるの?」
     部屋の中をくるくると動き回る国広を、兼定はぼんやりと眺めていた。
    「ちゃんと聞いてるっての」
    「本当? しっかり覚えておいてね」
     腕を組んだ国広が兼定の目の前に立つ。そうして顔を覗き込んだかと思うと、その視線がふと上を向いた。
    「あ、そうだ兼さん。髪の手入れも忘れずにね。櫛と椿油はここにあるから」
     国広はそう言って、鏡台の下から竹で編まれた籠をひとつ取り出した。そんなところにあったのかと、櫛を見つけられなかった昨日の夜のことを思い出す。そういえば、あれから手入れをしないままだった。
    「国広。髪、頼めるか」
    「もう、今日だけだよ。次からはちゃんと自分で手入れしてね」
     口ではそんな風に言いながら、頬には隠しきれない喜色が浮かんでいた。籠を抱え、いそいそと兼定の背後へ腰を下ろす。
     道具が竹に当たる音が響いて、すぐに櫛が髪に通された。時折触れる指の感触も、背中に感じる体温も、身に馴染んで心地が良い。まるでこの日常が明日からも途切れず続いていくような、そんな錯覚を覚えそうになった。

    「兼さん」
    「なんだ」
     背中に語り掛けてくる国広の声に、兼定は前を向いたまま返事を返す。髪の手入れを任せながら、よくこうして話をした。その日あった他愛ない話や、出陣先での出来事、刀だった頃の思い出話。こうして語り合う時間は、二人にとって随分と大切なものだった。
    「僕が折れちゃったから、きっとすぐに二振り目の僕が呼ばれるでしょう」
     まるで明日の天気を話すような調子で、国広はそう切り出した。この本丸では一振り目が在る限り、二振り目が呼び起こされることはなかった。確かに国広の言う通り、しばらく経てば主はもう一度、堀川国広をこの本丸に呼ぶのかもしれない。
    「……そうかもな」
     けれど今の兼定には、二振り目の国広が来ることなど想像もつかなかった。小さく返す兼定の様子を気にする素振りも見せず、国広は淡々と語り続ける。
    「きっと二振り目の僕も、兼さんの相棒で助手だからって張り切って、兼さんの役に立ちたいって頑張ると思うんだ。だからその時は、僕がどんな風にお手伝いしてたのか教えてあげてね」
     兼定は思わず国広を振り返る。櫛を持つその手を強く握った。
    「二振り目なんて呼ばなくたって、お前がこのままここにいりゃいいじゃねぇか」
     国広がそこにいると確かめるように、指先にぎゅうと力を込める。驚いて丸く見開かれた瞳と、まっすぐに目が合った。
    「心残りだろうがなんだろうが、もういいだろ。こうやって戻ってこれたんだ。今まで通りとはいかねぇかもしれねぇけどよ、このままここにいりゃあいいじゃねぇか」
     朝国広を一目見た時から、ずっとそう思っていた。一度折れてしまった国広が、こうしてまた兼定の前に現れたのだ。理由も何も分からないけれど、再び掴むことのできたこの手を、もう二度と手放したくはなかった。共に出陣することも、刀としての務めを果たすこともできないかもしれない。けれど兼定は、国広がここにいるだけで、それだけで充分だと思ったのだ。
    「……駄目だよ」
     けれど国広はそう言って力なく首を横に振ると、そっと目を伏せる。
    「もう僕は折れちゃったんだ。……その事実が変わることはない。だからここにも長くはいられないんだよ。兼さんが埋めてくれたあの向日葵畑に、帰らなくっちゃいけないんだ」
     兼定はもう何も返事を返すことができずに、国広の小さな肩をぎゅうと抱きしめた。合わせた国広の胸は温かく、けれどそこから生命の音は聞こえてこない。静かに刻む鼓動の音が一人分だけ、二人の部屋に静かに響いていた。



        ◇



    「兼さん。はい、これ」
     兼定の髪を梳かし終えた国広は、机に向かいあれこれと書付けを作った。着物に香を焚き染める方法だとか、万屋の品物の良し悪しだとか、部屋を掃除する時のコツだとか。何でも、二振り目の自分への申し送りなのだそうだ。
     机の端に頬杖をついてその様子を眺めていた兼定に、国広は一枚の紙切れを差し出した。
    「何だこれ」
    「卵焼きの作り方だよ。兼さん、好きだったでしょう」
     ボウルに卵を割り入れ、白身を切るようにしっかり混ぜる。よく混ざったら、醤油小さじ一杯、砂糖ひとつまみを加える。
     国広の几帳面な文字が記す内容は、確かに卵焼きの調理手順だ。
    「これをオレに渡してどうしろってんだ?」
    「作れるようになってくれたらいいなって思って」
    「オレがか?」
    「うん、兼さんが」
     国広はせっせと動かしていた筆を持つ手を一度止めると、兼定に向き直った。
    「僕はもう作ってあげられないから。兼さんが自分で作れるようになったら、いつでも食べられるでしょう。
     あっそうだ、今日、作って来てほしいな。僕も兼さんの卵焼き食べてみたい。そうしたらもう僕がいなくたって大丈夫だって安心して、心残りもきっと綺麗になくなっちゃうよ」
    「んなこと言ったってなぁ……」
     まだそう頭数の多くない本丸、兼定とて厨に立ったことはある。けれどそれも手伝い程度のことであって、きっと国広のように上手くは作れないだろう。それに何より兼定は、特別卵焼きが好きだったという訳ではない。国広の作る料理が好きだっただけだ。
    「ねぇ兼さん、お願い」
     しかし国広は兼定をじっと見上げて首を傾ける。そんな風にねだられては、頷いてみせるしかなかった。
    「……仕方ねぇな」
     兼定は国広の書付けを手に取ると腰を上げ、部屋の障子戸に手を掛ける。
     ふと、国広を部屋に一人残していくことに不安を覚えた。兼定が目を離した隙に国広がどこかへ消えてしまうのではないかと、そんな気がしたのだ。けれど皆がいる本丸の中を連れ歩く訳にもいかない。兼定がそうして逡巡していると、国広がその後ろ姿へ声を掛けた。
    「兼さん、待ってるからね」
     振り向くと国広の笑顔がそこにあった。
    「……待ってろよ」
     兼定は国広がしっかり頷くのを見届けて、二人の部屋を後にした。

     厨へと続く廊下を歩く。八つ時を少し回った頃。
     いつもならばこの時間こうして廊下を歩けば、あちこちから賑やかな声が耳に飛び込んで来た。遠征の帰りを労う者、演練へと出向く部隊、庭や広間で騒ぐ非番の刀達。けれどそれも昨日までのこと。しばらく出陣も遠征も取り止めになった本丸の中、皆自室にこもっているのだろう。しんと静まり返ったその場所に、兼定の足音がやけに大きく響いて聞こえた。
     
     暖簾を潜り、厨を覗く。出汁の香りと熱気が鼻を包んだ。鍋の前に立つ後ろ姿がある。
    「やぁ、どうしたんだい」
     兼定に気付いて振り返ったその刀は、燭台切光忠。
    「厨、ちょっと借りてもいいか」
     兼定はそう尋ねながら、燭台切の隣に並び手元を覗き込む。たくさんの野菜と鰹節が大きな鍋に煮込まれている。夕餉の味噌汁だろうか。
    「皆食欲が湧かないみたいだけど、少しでも食べないと身体がもたないからね」
     そう言って燭台切は笑みを浮かべるが、その目元にも影が落ちて見える。この本丸初めてにして唯一の太刀。その性格も手伝って、いつも何くれとなく皆の世話を焼いている。今日とて本丸の沈んだ空気の中で皆の為に厨に立つその姿は、彼らしいとそう思った。
    「何か作るの?」
     燭台切が兼定の手元に視線をやる。国広の書付けがあった。
    「これをよ、作ろうかと思って。オレに上手くできるとも思えねぇんだけどな」
     兼定が手渡した書付けに目を通して、燭台切ははっと目を丸くする。
    「これ、堀川くんのレシピだね」
     国広は食事の支度や片付けにと、厨に立つことが多かった。燭台切とも毎日のようにここで顔を合わせていたのだろう。並ぶ文字を追う燭台切の表情は、ここにもういない国広の姿を思い出しているようだった。
    「……国広が残してたんだ。オレにも作れるようにって」
     兼定の言葉に燭台切が顔を上げ、頷く。
    「大丈夫、きっと作れるよ。だってこの卵焼き、いつも堀川くんが和泉守くんの為にって作ってた料理だからね」
     そう言ってその整った顔に、力強く笑みを浮かべてみせた。

     温めた卵焼き器にごま油を敷いて、卵をかき混ぜる。火にかけ、箸で抑えながらくるりと巻く。
     時には燭台切に助言をもらいながら、何度も何度も繰り返してみる。けれどなかなかうまくいかない。国広はあんなに綺麗に作っていたのにと、厨に立つ後ろ姿を思い出していた。
     やっと形になった頃には、不格好に破れた卵焼きが、大皿の上にいくつも出来上がっていた。
    「味見してもいいかな」
    「おう。……こんなんでよけりゃな」
     兼定の返事にありがとう、と呟いて、燭台切は卵焼きの欠片を箸で摘み、口に入れる。ひとくち、ふたくち頬を動かして、泣き出しそうな顔で笑った。
    「……すごいね。ちゃんと、堀川くんの作った卵焼きの味がする」
     兼定はその反応にほっと息を吐いた。国広も、喜んでくれるだろうか。
    「膳を二つ借りてもいいか。今日は部屋で食事したいんだが」
     兼定の申し出に燭台切は何も聞かず、二人分の夕食を用意してくれた。炊きたてのご飯に、野菜のお味噌汁、兼定の作った卵焼き。
    「残りは今日の夕飯に出していいかな。皆、堀川くんの卵焼きが好きだったから」
    「もちろん構わないぜ。国広みたいに綺麗に作れなくて、格好つかないけどな」
     兼定の作った卵焼きを口に運びながら、皆国広のことを思い出すのだろう。そんな夕餉の席を思って兼定が笑みを浮かべれば、燭台切も釣られたように笑う。
     膳を二つ手に暖簾をくぐろうとしたところで兼定は足を止め、燭台切の後ろ姿に声を掛けた。
    「燭台切。ありがとよ」
    「どういたしまして。……堀川くんも、きっと喜ぶよ」
     燭台切の言葉に背中を押され、兼定は厨を後にした。

    「わぁ、すごい……!」
     兼定が部屋へ戻ると、国広は大袈裟なくらいに驚いてみせた。
    「冷める前に早く食べちまえよ」
     いただきます、と手を合わせた国広は卵焼きを一切れ箸で摘み、口の中へと運ぶ。たっぷりと頬を動かした後、噛み締めるように呟いた。
    「……美味しい。兼さんが作ってくれた卵焼き、美味しいね」
     じっと国広の様子を窺っていた兼定は、その言葉にほっと息を吐き出した。卵焼きを口へと放り込む。ふわりとごま油が香って、出汁の甘みが口の中へと広がった。
    「お前が何でもないみたいにやってのけるから、簡単なのかと思ってたけどよ。違ったんだな。全然うまくいかなくて、幾つも失敗作ができた。……なのに口に入れたら、お前の作った料理と同じ味がする」
     兼定がそう言葉にすると、国広は照れたように笑った。
    「僕も最初はうまくいかなくって、何度も失敗したんだよ。だからね、大丈夫。きっと他の料理だって作れるようになるし、せっかくだからまたこうして卵焼きを作ってね。兼さん、卵焼き好きだったでしょう」
     国広は、人の暮らしが随分と器用な刀だった。けれど兼定の知らないところで、きっと国広もたくさん失敗をして、それでも甲斐甲斐しく尽くしてくれていたのだろう。
    「オレはな、お前の作る料理が好きだったんだよ」
    「本当? 嬉しいな」
     国広は目の端を緩めると、また一切れ卵焼きを頬張る。
     兼定ももう一度、卵焼きを口へと運んだ。毎日当たり前のように食べていた、国広の卵焼きの味がした。

     

        ◇



     食事を終える頃には長い夏の日もすっかり傾いて、部屋の外には西日が差していた。もうすぐ夜がやってくる。
     昨日はしんと静まり返っていた部屋の外、遠くに賑やかな夕食の気配を感じた。皆で広間に集まって、兼定の作った出来損ないの卵焼きをおかずに食卓を囲んでいるのだろう。国広のことを、思い出しながら。

    「兼さん。僕、何だか眠くなって来ちゃった」
     国広が欠伸をこぼす。兼定は途端に胸がざわりと不安に揺れた。
     根拠はなかった。けれど今度こそ、今生の別れを予感する。障子越しに見える夕日の黄金色に、昨日の光景がよみがえるようだった。この手で国広を葬った、冷たい鋼の感触と共に。
    「国広、」
     思わず国広の肩を掴んだ。縋るように指先に力がこもる。けれど国広はとろりと目を緩めたまま、兼定の手にそっと手のひらを重ねた。
    「大丈夫だよ、兼さん。もう僕がいなくなっても困らないでしょ。明日からもちゃんと、暮らしていけるでしょ」
     そう話す間にも国広の瞼はどんどんと重く閉じていって、ゆっくりと三度瞬きを繰り返す。兼定はその瞳をただただ見つめるばかりで、苦く震える喉からは、どんな言葉も出てこなかった。
    「ね、兼さん」
     すぅ、と最後にひとつ息を吸う音が聞こえた。瞼が落ちて、浅葱の色が見えなくなる。

    「国広」
    ――ぱきん。

     兼定の震える声が落ちる。瞬間、鋼の砕ける音が響いた。昨日からずっと耳に残って離れることのない、国広の最期を告げる音。

     呆然と見下ろす視線の先には、昨日見たそのままの姿、粉々になった国広の刀身がそこにあった。
    「くにひろ……」
     掠れた声にも、もう返事は返ってこない。昨日と同じように羽織でそっと包んでやれば、小さくなったその身体は、兼定の手の中に容易く収まってしまう。
     空になった皿の乗る、二つの膳が並ぶ部屋の中。静かに国広を抱きしめる兼定を、いつの間にか夜の暗闇が包み込んでいた。



     本丸の裏、向日葵の並ぶ畑の真ん中。兼定は羽織に包んだ国広を腕に抱いて、真っ暗な夜の中に佇んでいた。
     昨日皆で国広を見送り、兼定の手で小さな墓を作った。掘り返されたような浅い穴と、盛られた土の山がその場所にある。屈みこむと、乾いた地面へと国広をおろした。
    「……くにひろ」
     そっと刀身を撫でる。夜になっても重く蒸し暑い空気の中、指先に触れた鋼の温度だけがひやりと冷たかった。流れた汗がひび割れた地面にぽたぽたと落ちて、黒く染みを作る。昨日誰かの零した涙を思い出した。
     兼定の手に掬われた土で、羽織の浅葱が段々と見えなくなっていく。風に揺られて向日葵の葉がざわざわと揺れた。向日葵畑の甘い匂いと、乾いた土の匂いが肺に満ちる。大輪の花達は皆静まり返って、兼定の背中を見下ろしていた。

     汗と土とで絡まった髪の先が視界の端で揺れる。今日は眠る前に必ず手入れをしなくてはいけないとそう思いながら、眠る国広を土の下へと葬った。



        ◆



    「兼さん」
     耳に届いた声に、一気に意識が覚醒する。布団を跳ね除け勢いよく身体を起こした。
    「国広……」
     昨日と同じだ。視線の先には、国広がいた。兼定の羽織を身にまとって、隣の布団へと腰を下ろしている。
    「また、戻って来ちゃった」
     国広は困ったように首を傾げ、眉を下げて笑う。その腰に視線をさ迷わせるが、やはりそこに脇差は見当たらない。けれど今日もこうして、国広の顔を拝むことができた。安堵なのか落胆なのか、どちらとも分からないため息を兼定は浅く吐き出した。
    「兼さん、昨日はちゃんと手入れして寝たんだね。えらいえらい」
     国広が手を伸ばして、兼定の髪に触れる。その感触を楽しむようにしばらく指を通しながら、国広が口を開く。
    「うーん、これだと思ったんだけどなぁ。兼さん、何か心当たりある?」
    「なんでオレに聞くんだよ」
    「兼さんなら分かるかなって、そう思って」
     国広の心残り。兼定にはよく分からなかった。加えて、心残りがある限りこうして国広が兼定の元へと戻ってくるのならば、それでいいようにも思えたのだ。
    「昨日も言ったけどよ、もういいんじゃねぇのか。無理に探さなくても」
    「そういう訳にもいかないよ」
     けれど国広はそう言い張って、しばらく首を捻って思案にふけっていた。

     ふと、思い付いたように顔を上げた国広が兼定に尋ねる。
    「兼さん、この前の出陣の話……、僕が折れちゃった時のこと、皆に話してくれた?」
    「……いんや、詳しいことは誰にも話してねぇな」
     兼定は緩く首を横に振った。国広の最期を見届けたのは、隣にいた兼定ただ一人だけだった。せめて審神者や近侍、部隊長には報告をしようかと思ったが、本丸で初めての刀剣破壊に皆随分と落ち込んでいて、話をすることがだきなかった。国広の散り際を知っているのは、この本丸で兼定たった一人だけだ。
    「じゃあ僕、今から遺書を書くよ。部屋に残ってたって言って、兼さん、皆に届けてくれない? それでそのついでに、僕がどんな風に折れたのか、話して来てほしいな」
    「そんなことで、お前の心残りは消えるのか」
    「うん、兼さん一人だけで抱えないで、皆に話してくれた方がいいって、そう思うよ」




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