しゅんしゅんしゅん。やかんの口から湯気が出始めた。僕は、ずしりと重い、九郎先生の分の湯たんぽを用意する。
九郎先生が初めて冬場にうちへ泊まった夜、彼は大きく膨らんだ風呂敷を持って来た。「それ何ー?」と訊ねると、風呂敷包みをほどいて湯たんぽを取り出した。面食らっている僕に、「お湯をいただけませんか」なんて家出少年のようなことを頼むものだから、つい吹き出してしまった。
「足先が冷えてしまうと眠れなくて。可笑しいでしょうか?」
僕の様子に、九郎先生は慌てて言い訳をした。
九郎先生が持参した湯たんぽは、僕が子どもの頃に実家で使っていたようなプラスチック製のものではなく、しっかりとした造りの陶器だった。湯たんぽのような細々したものにもその人らしさは現れるのかと、僕は妙に感心した。
家にあった電気ケトルでは湯量が足りず、二回に分けてお湯を沸かした。後日、やかんを買ったら、九郎先生にお礼を言われた。
「湯たんぽ入れるのにちょうどいいかと思ったんだー」
「そうですか。お茶を淹れる際も使わせていただいても?」
「やかんだと何か違うのー?」
「ええ。電気ケトルより、やかんで沸かしたお湯の方が美味しくなるんです」
彼曰く、電気ケトルではカルキが抜け切らないらしい。
「北村さん」
不意に背後から、ふわりと抱きつかれた。
「髪乾かし終わったのー?」
「はい」
眠くなると九郎先生は人懐っこくなる。普段のお堅い感じはどこへやら、ほわほわと柔らかい雰囲気をまとう。もっとも、本人は気付いていないみたい。だって、いつも手をつなぐだけで赤くなる九郎先生が、しらふで、こんなにべったりとくっつくなんて考えられないから。
「何だかいいにおいがします」
僕の首元に顔をうずめて、すんすんとにおいを嗅ぐ。
「さっきお風呂入ったからねー。シャンプーじゃないかなー」
「シャンプーのにおい」
「九郎先生も同じにおいがするはずだよー」
泊まりの仕事と聞くと、同室の人にもこんな風に甘えてしまう姿を想像して、少しもやもやしてしまう。さすがに誰彼構わずスキンシップをしたりはしないだろうけど。でも、こんなやきもちは格好悪いから秘密。
「今夜は一緒に寝ませんか」
「うん。僕の分もお湯沸かすから、ちょっと待っててー」
「同じお布団で」
九郎先生が僕の手を止めて言う。
「湯たんぽは一つでいいってことー?」
首を回し彼を見ると、くすり。九郎先生は品よく微笑んで頷いた。
「そっち、はみ出してないー?」
「はい、大丈夫です」
先ほどと同じく、僕が九郎先生に抱かれるかたちで布団に入った。腰に手を回され、抱き枕になった気分だ。
「ふふふ。北村さんあったかいです」
「僕で暖を取らないでよー」
男性二人に一組の布団は狭いから、ぴったり密着しなくてはいけない。
ステンレスのやかんに、誕生日に貰ったお揃いの湯たんぽ、九郎先生の好きな香りだと踏んで購入したシャンプー。少しずつ、境界線が溶けだしていく。
「九郎先生。まだ起きてるー?」
返事の代わりに、ぎゅうと抱きしめられる。
足元も背中もぽかぽか暖かくて、僕は段々と夢の中へ落ちていった。