季語シリーズ⑬ 端居 夜になると焼けつくような暑さは鳴りを潜め、そよそよと心地良い風が吹く。湯上りで火照った身体が少しずつ冷えていく。
私は蚊取り線香に火をつけ、団扇を扇ぎながら北村さんが出てくるのを待っていた。今夜は私の家に北村さんが泊まりに来ていた。人を家に呼ぶことに慣れていないからか、妙に心臓がどきどきしている。落ち着けようと、側に用意してあった麦茶をあおった。
「お風呂いただきましたー」
振り向けば、浴衣姿の北村さんがいた。頬をほんのりと上気させ、濡れた髪がぺたりとうなじに貼りついている。
彼が隣に座ると、ミントの香りがふわりと漂った。
「湯加減はいかがでしたか?」
「入浴剤いい香りだったよー。あれ、九郎先生が入れてくれたんでしょー?」
「ええ。冷感作用のあるものを選んでみたのですが」
「身体の芯は温まった感じがするのに、表面だけひんやりしてるよー。初めての感覚だねー」
「お気に召していただけたようでよかったです」
「ああ、でも」と北村さんは続ける。
「広すぎて、ちょっと落ち着かなかったかもー」
「そうでしょうか……」
私は手にした団扇で北村さんを扇いだ。「ありがとうー」と、まるで猫みたく目を閉じて涼しがるので、思わず笑みがこぼれた。
「どうしたのー?」
ぱち、と彼は目を開く。
「いえ、こうして家に北村さんがいらっしゃるのが、何だか不思議な感じがしまして。日常の中の非日常と言いましょうか」
私が言うと、北村さんは何か思いついたようで、にまりと笑う。
「それなら、湯上りの九郎先生も珍しいよねー」
北村さんは私の顔の方に手を伸ばした。突然のことに、一瞬で身体がこわばる。
彼は結びきれなかった髪を耳にかけ、私の耳のかたちを指でなぞった。普段触れられることのない場所を触られて、背中にぞくぞくしたものが走り、私は耐えるように団扇をぎゅっと握りしめた。
指はそこで止まることなく、首筋へ落ち、肩を柔らかく撫ぜる。腕の輪郭を確かめるように辿った後、私の手の上に北村さんは彼の右手を重ねた。
何か言おうとして口を開いたり閉じたりしたが、声が出てこない。単語ひとつも思い浮かばない。頭の中は真っ白だった。
人を家に呼ぶことの高揚感。それはめったに人を呼ばないから? それとも相手が北村さんだから? 私は何かを期待していたのだろうか。
涼を求めて端居していたはずなのに、体温はどんどん上がっていく。その時、風が吹いて、場違いに風鈴がちりんと鳴った。