皇帝たる少女 レイチェル=マノン・リベレティアは現人神である。
現人神であるということは、周囲の人間は皆、己にかしずく事が道理である。
現人神であるということは、他者に罰を与え、罪を清算させる責務を負うものである。
全てにおいて許しを得る必要は無く、全てにおいて赦しを与える存在である。
彼女に逆らう者は居らず、彼女は指一つ動かす必要は無かった。
この時代においてあまりにも恵まれた小さな世界、そこに彼女は君臨していた。
しかし、”君臨すれども統治せず”。彼女は逃げ出す意思すら持てず、ただ罰を与え調和を齎す人形でいるしかなかった。
……そこに彼女にとっての幸福は無く、ただ息苦しさだけを感じていたとしても。
「申し訳ございません、隊長!」
まさしく平身低頭、といった状態の隊員を前に、レイチェルは険しい顔をしていた。
「……物資不足は慢性的に続いている。お主も身をもって理解しているのではないか?」
隊員の犯したミス、それは”支給された食料の分配を間違えた”ことだった。
当然、少なく受け取った者からは分配のやり直しを訴えられた。多く受け取った者の大半は過剰分を返還してきたが、素知らぬふりをする者もいた。
(返還された食料を再分配し、どうにか士気を維持する。今回物資を返還してこなかった者は、次回の分配を減らす。”分配に関しては”、これが現在出来うる最善であろう)
対処をまとめ上げたレイチェルは、ちらりと隊員を見やる。
(あとは……、こやつへの罰か。諭して放免というわけにもゆかぬからな……)
溜息をつきつつ魔導書を開く。視界の端で、隊員がびくりと身を縮こまらせる。
氷剣を作りあげていたレイチェルの脳裏に、両親の言葉が蘇る。
「罪には罰を、それが調和にして平穏。貴女は、調和を齎す存在なのですよ」
思わず唇を嚙み締めたその瞬間、バキリと音を立てて剣が砕け散った。
「……え……?」
呆然とする隊員のほうに、氷の粒を纏ったレイチェルが手をかざす。
すると、隊員の胸元で百科事典ほどの大きさの氷塊が生まれる。
「……こんなものかの。良いか、動くでないぞ?」
そう言うが早いか、氷塊は浮力を失い重力に従った。……隊員の左足の甲をめがけて。
「……!!!」
鈍い音が響き、隊員が痛みに悶絶する。
「質量のある本を足に落とすと痛かろう? 落とせる本の持ち合わせが無いゆえな、それを再現した。怪我を負わせようとは思っておらぬ」
そして、目を丸くする隊員に歩み寄ると目を細め、
「次は無い。……より一層の邁進を期待しておるぞ?」
そう告げて、レイチェルはその場を後にした。
自室へと戻りつつ、己の取った行動に苦笑する。
(機関に来て、私も随分と丸くなった……ってことかな。兄様たちは喜んでくれそうだけど)
教団に居た頃であれば、規律を乱した者には先程を上回る罰を与えていた。
それこそ、氷剣で片脚の腱を斬るくらいのことはしただろう。
それが自分に求められた役割であり、課せられた責務だったから。
だが、今は違う。
隊員たちは、自分にかしずく信者ではない。確固たる意思がある個々の人間なのだ。
であればこそ、自分もそうでなくてはならない。上に立つ者として、己自身で考え行動しなければ。
(もう、私は人形では無い。隊員の命を預かる者として、皇帝のアルカナを持つ者として。誰が人形になんて戻るものですか!)
—―そう改めて決意した”現人神として祀り上げられていた”少女の顔には、”あの頃”とは違う笑みが浮かんでいた。