ムチにアメ 残暑厳しい9月下旬。
練習後の部員でひしめく男バス部室内ともなれば汗と蒸れたバッシュ、スプレー式消炎剤のメントールと制汗剤の香料とが絶妙にブレンドされ地獄に近い濃密さを醸し出す。
そんな中暑さが原因かそれとも疲労か、自らシャツを脱ぎ捨て笑いを取りにいく一年生部員もとうに新人ではないのだった。
「切れてない!切れてないでーす!」
「佐々岡ほっそー!」
「いや見てくださいよ腹!ここんとこ!シックスパックの前兆見えるでしょ!」
「コミットできてねぇ!」
「待って下さい眼鏡外します」
ちゃーらっちゃっちゃちゃーらっちゃらららー。
お馴染みのCM曲を口ずさみ悪ノリで始まった筋トレ成果チェック。未だ成長期の中盤にも届かない3名であったがそこは男子の本能か、横並びの同期内で最も鍛えているのはこの俺ですと主張すべく上半身裸で見様見真似のポージングを披露していた。回転付きで。
「あれ、何か黒い」
一年生の中では最も小柄で童顔、あどけない風貌を残す桑田に筋肉以外の要素で注目が集まる。
「うええークワ、青タンえっぐ」
「あ、見た目ほど痛くないっすよー色だけ。冷やすのめんどかったんで」
バスパンから覗く左腰骨に青黒い痣が濃く浮いていた。
コンタクトスポーツにおいてプレー中の接触による打撲は日常茶飯事。筋肉の損傷が見られなければ一々練習時間を削って手当を行うこともなく、ただ血行のせいで激しくなった内出血が皮下にしばらく血溜まりを残すのみ。
怪我のうちにも入らない、しかし大きく目立つ痕。それは桑田にとって前日の練習で得た成長の証、所謂勲章であった。
誇らしげな表情に気付いてか、安田が声をかける。
「昨日やってやったもんな、クワ」
接触した相手は湘北キャプテンであり正ポイントガード。紅白戦でのマッチアップ、宮城に対してフロントコートで桑田はドライブを仕掛け、そのままリングへ向かいレイアップシュートを決めた。わずかに遅れた宮城の左を強引に衝く際、互いの腰がぶつかりファウル、バスケットカウントのおまけ付きで。
ワンショットも成功させ、大金星の3点プレーとした一年坊主にタイムアップ後、三年生から祝福の声がかかる。
「俺に出さねーで自力で3点取りやがった!カッコいいなお前!」
「あざす!」
三井は桑田と同チーム。紅白戦を行う際にはチーム力の均衡と控えガードの成長を目的に、安田と桑田が交代で三井と組むことが増えていた。
がしがしと三井に頭を撫でられ、嬉しさを隠さない後輩に宮城が眉をつり上げる。
「やられたなーリョータ」
「悪い、ヘルプ遅れた」
「いらねーよ、三井サン放さねーのが正解。俺が――――」
宮城が横から桑田に歩み寄り、一瞬すくんだ肩に自分の肩を当てニヤリと笑んで見せた。
「なめてたわ。いーよお前、どんどん来い。チビの生きる道はドリブルと当たり負けしねーガッツな」
「ハイ、お願いします」
「金輪際抜かせねー」
「キャプテンすいません、腰。大丈夫すか、俺今結構きてますけど」
「馬っ鹿余裕だわ」
先生交代ありますか。安西監督の方へ向き直った宮城の後ろで、三井が作戦盤を手に桑田を呼び寄せた。
「それで今日は1on1でクワの事ボコボコにするとか大人気なかったなって俺は思う」
隣でボディシートをふんだんに使いやっと制服のシャツを羽織った宮城の方を見て安田は笑う。
「違ぇよ奴のステージを上げてやったんだよ。ガード初なんだから早く育ててやんねーと」
「確かにね」
5名しか在籍しない一年生部員。流川をガードに、という道もないではないが、伸びしろは未知数でも現時点で宮城より小柄なプレイヤーの生きる道として、桑田は高校からポジションを変更することとなった。未経験であろうと一年後には流川と桜木を擁するチームの司令塔か、少なくとも切り込み隊長には仕上がっている必要がある。
「本当、三井さんいてくれるの助かるな」
「…あー」
「あー?呼んだ?」
「わっ」
帰り支度を終えた三井が二人の後ろに立っていた。
「や、いつも助かるなって話っす。三井さんが一年の面倒みてくれてるんで」
「まーな。教えんのうめーから俺」
「自分で言った」
「秋大会であいつら使えねーとやばいだろ」
じゃな、とバッグを持ち上げ、三井は未だ裸でいる後輩達の輪に踏み込みおらぁ!と桑田に抱きついた。
「可愛いじゃねーかもぉ!アイドルか!」
「何言ってんすかムッキムキっすよ!」
「まじで早く育てよお前ら、そして俺を休ませろ!お先!」
「ハイ!あざしたー!」
部室を出る後ろ姿を眺め、安田が苦笑する。
「夏前の事件とかもう大昔だなあ」
「バスケ部潰しに来た奴だぞ」
「元はああいう人なんだね」
「甘々じゃねーか」
「頑張ってムチやらないと、俺ら」
「ヤスも?」
「三井さん引退したら俺がアメやるよ。今はさ、一年に厳しくしてれば自分にもっと厳しくできるだろ」
この男にきっと今後も助けられていくのだと確信を得た宮城が荷物をまとめると、漸く制服を身につけた桑田が寄ってきた。
「キャプテン、明日も1on1お願いします!」
「明日から流川いんだよなー…あいつと対戦して直後にやってやんよ」
ニヤリと笑って宮城は応じた。安田が笑う。
「あーそりゃ鬼だね」
「てめーは潰す勢いでいく」
「頑張れよ、半端に守ると痣増えるぞ」
「あざす!お疲れ様でした!」
二代目アメとムチ。何だかアメも辛いぞと首を傾げ、桑田は二人を見送った。
最寄りのコンビニ前でベンチに座る三井を見るや、帰る方向が同じであるにも関わらずじゃあまた明日、とだけ言って先に歩き出す安田を掛け替えのない友と再確認する。宮城が近付き、目線が合ったと同時に三井はチューブ型氷菓の2本目を咥えた。
「くれねーのかよ!」
「何でだよ!」
「そこは彼氏と半分こだろ!パピコだぞ!」
「声でけえんだよてめーで買えよ!」
「先帰んなよ?」
宮城は急ぎ足でコンビニに入り、3分待たせずに出てきた。
「ジャイアントコーンじゃねーか!」
「腹減ったんだよ!」
並んで歩き、こんな会話を笑って交わす関係になった。かつて血を流し殴り合った険悪さは言葉の荒さのみに跡を残す。むしろ恥ずかし過ぎてそこだけは変えられない。
何がどうバグを起こしてこの年上を可愛いと感じるようになったのか、1週間程悩んで宮城は諦めた。とんでもない天然且つ愛され体質、欲望に忠実で快楽に弱い相手は、チームの戦力減までも覚悟して触れた手に多少戸惑いはしても、特に悩んではくれなかったので。
今も暗黙の了解で二人、もう少し暗くなれなどと念じながらどちらからともなく人気のない公園へ向かっている。
コーンの残りを噛み砕きながら宮城が言った。
「クワ頑張らせてんね」
「あいつな。最近ギラついてていいよな」
「たらすなよ」
「ああ!?」
「童貞喰うなよ」
「てめ、」
「三井サン、アメ頂戴」
「持ってねーよ」
「じゃなくて」
公園のブランコを囲んだ柵に座って宮城が笑う。夜の帳が下り始めた中手招きされ、三井も隣に腰を下ろした。
宮城は立ち上がり、三井の頬を両手で挟んだ。一瞬見開いた目がすぐに半分閉じられ、速やかな受け入れ態勢に思わず笑って顔を寄せた。
ほら甘々だ。本当優しーねアンタ。
宮城がリードし易いよう座った姿勢で受けたキスが気に入ったのか、二人きりの時間に三井が腰を下ろせばキスOKということであるらしい。唇が触れる瞬間に軽く開き待ち切れない舌が出迎えてくるタイミングも日に日に早くなっており、気を抜けば俺が喰われる側だと少々焦って一気に踏み込んだ。最早アイスの温度も味も残ってはおらず、けれど確かに甘い。
キスが巧い、とは何のどういう技術を審査されての表現なのか全く分からない。触れ合わせてしまえば相手の反応を伺う余裕などあったものではなく、敏感な粘膜に相手のそれが重なり絡みつき擦り合わされ首から背筋へとぞわぞわ走る甘美な波が下腹に集まって、ああもうやばいと思った瞬間に宮城はぷはっと息をついて離れた。
この瞬間の三井を凝視する。
とろりと潤んだ目、薄く開いた唇と歯の間からもっと寄越せと覗く舌。その先から引いた唾液の糸が自分の唇と繋がっている。
奥歯をぎりぎり噛んで堰を切りかける欲をやり過ごした。駄目これは駄目エロいエロいエロい。
強く抱きしめ、息を整えながら宮城は三井の髪を撫でる。制汗剤混じりの体臭にまで興奮するのだからもう後戻りできない。
「アンタがアメなんだって」
「…あぁ?」
「甘~~~いの。いんだよ全部俺のだから、強くなんならあいつらにも分けてやるよ。けどほんとは全部俺のなんだよ~~~~~~」
「わかんねー…」
三井が抱き返し、あやすようにぽんぽんと撫でてくる。
最上級のアメを手に入れてしまって大変だ、俺の男として、キャプテンとしての度量が試されている。
三井さんには悪いが、使えるものは全て使ってのし上がるしかないのだ。アンタの進路のためでもあんだろ。
大丈夫だから。俺以外の男の手に負えねーからこんなひと。
「あいつら叩き上げてさ、もっかい全国行こーぜ三井サン」
「たりめーだ」
野望も恋情も欲情もごちゃまぜの熱を海風で冷ましながら、手を繋いで家路についた。