テリサイ原稿没「それで、今日は何を知りたい?」
三十一回目のセリフは、淡白に唱えられた。
「そうだね。……今日の芝居はどうだった?」
「どうも何も。あんたはどうなんだ」
対面に置かれた一人がけのソファに、盗賊と学者は思い思いに座っていた。盗賊は粗野で自由な体勢を取り、学者は品良く背筋を伸ばし、脚を組んでいた。頬杖をやめ、手のひらを相手に向けた後、両手を膝の上で組む。
「キミと同一人物には思えなかった。キミは演技となると本当に人が変わったように振る舞うね。見事だった」
拍手でもしたかったのだろうが、そんなことは初日に断っている。小さく息をついて学者はしみじみと感想を述べる。
「たとえ舞台の上の、仮初めの姿であったとしても、彼女のことを愛し狂しく思う姿は皆が釘付けになっていた」
「あんたはどうなんだ。劇を観に来ておいて、まさか客ばかり眺めていたわけじゃないよな?」
「ちゃんと観ていたさ。キミを」
居心地の悪そうな咳払いをして学者はいつもの表情に戻る。
「話も、楽しかった。コーデリア嬢が書いたことを踏まえると、この劇はキミが居てこそのものだっただろう。主人公が学者というのが意外だが……」
「友人から学者の話を聞いて思いついたんだと」
「ふむ。なるほど……ウィンダム家ご令嬢の影響かな。関係者はもう少し多く見ても良さそうだ」
「おい、その話は後にしろ」
ぶつぶつと一人考えに耽る学者を片手で引き止め、盗賊はため息をつく。大仰に脚を組んで見せ、しかし結局、片足をもう片方の大腿に乗せる姿勢に落ち着いた。
「俺がいつまでも素直にここに座っていると思わなちことだな」
「そうかい? キミは律儀にも私の提案を呑み、今日もこの場にやってきた。私にはそれだけで信頼に足りる」
「……あんたがさっさと首を縦に振ればいい」
「キミが言ったのだろう? 急かすのなら、この話は今夜で終わりにしようか」
学者が立ち上がる素振りを見せた刹那、ガタン、と音が立ったときには既に盗賊が学者を背もたれに押し付けていた。学者の左肩を掴んで、それ以外には触れない。だが、盗賊の唇が震え、その強い意志の込められた情熱的な瞳が学者を頭から爪先まで見下ろす様を他人が見ていたなら、彼らの姿はまるでこれから口付けをする恋人同士のようであったと言うだろう。
「劇が終わるまでの、ちょっとしたお楽しみだよ」
学者は柔らかに笑んで応えた。自分の右手を重ね、呑気にも盗賊の焦りに理解を示す。
「キミのことが知りたいのだ。私も。……だから、少しくらい聞かせてくれ」
「そう言って、あんたはいつもの誤魔化すんだな。うるさく語るのが学者じゃなかったか」
「語れと言うなら語るよ、いつでも……知識ならね。けれど、見ての通り、自分のことを語るのは不得手なんだ」
慰めるように手の甲を撫で、学者は殊勝にも盗賊の顔色を窺った。そんなことをする男ではなかったことを盗賊は知っている。
初めて会ったときから、言葉を交わしたときから、そうだった。学者はいつだって不躾で、真っ直ぐに、盗賊に向き合う。
「──」
「いま、」
「……良いだろ、このくらい」
舌打ちで反論をかき消し、唇の感触を忘れないよう意識しながら背を向ける。
「明日からは本番だ。あんたの仕事もあと数日か
「あ、ああ、そうだったね……」
それは、互いにとって猶予でもあった。今なら引き返すことができる。そのうち記憶も有耶無耶になって、時折存在を思い出すだけの知人になることができる。