聞けば気の毒、見れば 流れ出る血液の感触と温かさと下がっていく体温、必死に助けようと震える己の両手と上がる息。
あの時の衝撃が生々しく残って、忘れられなくて、今朝の夢でも見てしまった。
青褪めた顔を冷水で洗って支度をすると、執務室へ向かう。ドクターを起しに行かねば。
♢
昼過ぎになると、ドクターと共に執務室で書類整頓や書庫整理を行い、部屋中を行き来する。
すれ違い様に短い悲鳴が聞こえて何事かと振り向くと、ポーチや傘を下げる為の白いベルトに付属はしているボタンに、ドクターの長い髪が数本ほど絡まって引っかかっていた。
謝罪をしつつほどこうとするも、彼女はすぐ側のデスクに腕を伸ばしてペン立てからハサミを取り出す。
何をするかは明確で、せっかく手入れをしたのに勿体無いと、声をかける前に刃を入れられた。
「大丈夫よこれくらい、目立たないわ」
そう言って、彼女はボタンに絡まっていた髪を取り除きダストボックスへ放ると、ハサミを片してそのまま作業へ戻ってしまう。
「ドクター、貴殿の髪を結いますから、作業は一旦休みましょう」
積み上げた本をデスクの端に置いて手招きをすると、手を止めてそばへ寄ってきた。
デスクチェアへ座らせ背後に回ると、下げているポーチから桃木櫛とヘアゴム、臙脂色の革紐を用意する。
「ひとまとめにして、毛先が広がらないようにしよう。これで引っかからなくて済む」
櫛で扇のように広がる黒髪を梳いて、項のあたりでひとまとめにするとヘアゴムで固定し、毛先より数センチ上にも同じように固定した。そのままでもよかったが、毛先をまとめたヘアゴムの上から臙脂色の革紐で蝶々結びにして飾りにする。
出来上がったよと声をかけようとするが、後ろ姿にあの人の面影を感じて言葉に詰まる。
胸が苦しくて息がしづらい感覚がするのは気の所為ではなく、今朝見た悪夢も影響しているのだろう。
縋るように、まとめたばかりの黒い髪を持ち上げて口づけをする。微かに花の香りがして、さらに胸の苦しみが増した。
できたかしら?と声をかけられ、手を離して面を上げる。
「うん、できたよ。これで作業に集中できる」
何事もなかったように返事をすると、彼女は「ありがとう」と一言添えて立ち上がり、作業に戻った。
(どうしてもあの人と重ねてしまう、いけないことなのになあ)
ドクターの後ろ姿を目で追いながら思い耽るが、目の前の事に集中しなければとため息ひとつ吐く。
デスクの端にある積み上げられた本を持ち上げて、ドクターの後に続く。彼女が動く度に束ねた髪が揺れるのを見ると、切なくなって、眉根が寄る。
素早く本を片すと、デスクへ戻り書類の仕分けに戻る。少しでも視界を狭めねば集中できない。
視界の端に映るドクターを避けるようにウユウは書類で顔を隠すと、寸刻前の自分の行いを憂う。
「これは、目に毒だな」
了