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    torimizm

    @torimizm
    審神者と賢者。
    小説はそのうちpixivに突っ込む予定
    妄想は同アカウントのタイツがメイン

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    torimizm

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    カインのことだけ忘れたオーエンと諦めないカインによる記憶喪失RTAのカイオエ。
    いつか双子が止めに入るまで不毛なスパイラルは続く。

    #カイオエ
    kaioe

    n回目の告白 目を開ける。眠っていたのとは別の感覚に襲われまた違う自分になっていたのかとも思ったが、そういうわけでもないらしい。魔法舎の見慣れた自分の部屋。すぐそこの机の上には蜂蜜を煮詰めたみたいな色をした宝石と一枚のメモ。
    『絶対に思い出すな。瞳は好きにしろ』
     見知らぬ名前と共に書き添えられたその文字は間違いなく自分の筆跡だ。インクのシミのつき方から途中で何度かペンを止めたのだとわかる。きっとかなり迷いながら書いたのだろう。あまりにも自分らしくないその書き様に軽い嫌悪感を覚えた。
     思い出すなはわかる。瞳とは何のことだろう。そう思い魔法で手鏡を取り出すと答えはすぐにわかった。どうしてこんなことになっているのかと舌打ちして頭を抱える。普通目玉を入れ替えるか。我ながら正気を疑う。しかもここまでしておいて好きにしろって、いやまず経緯を書いておけ。本当にどうしてこうなった。死なないからって着替えるみたいにパーツを入れ替えるんじゃない。
     前から薄々思っていたが自分は少し雑なところがある気がする。改めて己を見つめ直す機会に恵まれてしまい事実に悲しくなった。
     僕は僕でいたい、その願いは今も変わらず胸にあるのに、己を構成する記憶の一部を自ら手放してしまった。つまりこの存在はオーエンがオーエンであることを脅かしたということだ。一体どんな奴なのか興味が沸くがその感情に従うのはきっと間違いなのだろう。
    「カイン・ナイトレイ」
     何度もペンを止めながらもやたら丁寧に書かれた名前を口にのせてみる。男の名前だと思うが自分との関係はわからない。あのミスラやオズでさえ流石に忘れたいとまでは思わないのに、この男は一体どれだけ悍ましい存在なのか。
     瞳を入れ替えた相手。オーエンの存在を脅かした男。どんなに数えても一人思い出せないのでたぶん賢者の魔法使いだ。中央の、オズと同じ国の魔法使い。この前の厄災の戦いにもいたと思う。何かしらの傷も負っているだろう。
    「オズの弟子とか?あるいは隠し子」
     それなら記憶を消したい程に憎むのも納得がいく。しかし忘れたところで生きているなら何も変わらないはずだ。殺しているなら記憶の有無など関係なくオズや双子に制裁されているだろうし忘れる必要もない。ならば相手は生きていて、忘れてそれで、その後はどうしたいのか。
    「……さいあく」
     わからないことが多すぎて過去の自分に悪態を投げつけた。もう少し詳しく申し送りしろ。馬鹿なのか死ね。
     そうして散々詰ったところで何も変わらない事実に打ちひしがれて、窓の外が暗かったのでとりあえずベッドに潜った。何故だかシーツと枕から知らない匂いがする気がするが魔法で消すのも面倒くさい。嫌な匂いではないし、もういいやと思いながら明日からのことについて考えているうちに眠ってしまった。明日のことは明日の自分がやるので今日の自分にはもう関係ない。そういう適当な積み重ねの結果が今になるのだが、とにかくもう今はキャパオーバーで無理だった。穴だらけの記憶がぞわぞわして気持ち悪くて、もう何も考えたくない。













     あれは何をしているのだろう。生クリームたっぷりのパンケーキを食べながらオーエンは考えた。
     騎士みたいな格好をした男に食堂中の魔法使い達が集まり笑いながらハイタッチをしていく。何の儀式だ。食堂なんだから大人しく食事しろ。
     記憶にないのでおそらくあいつがカイン・ナイトレイという男だろう。顔が似ていないのでオズの隠し子説は消してよさそうだ。それに予想に反して魔力が弱い。たぶん簡単に殺せる。それなのに長い前髪の隙間から紅玉がちらちらと覗いている。魔力の差から奪われたわけではないことは確実だろう。そうなるとオーエンが奪ったことになるわけだが、動機がさっぱりわからない。昨日までの自分はもしかして覚えていないだけで相当狂っていたのだろうか。現状ないとは言い切れない状況に陥っているので頭が痛くなる。
     オーエンが困惑していると今度は賢者とオズが食堂にやって来た。彼らもまたカインと当たり前のようにハイタッチをしている。あのオズさえも大人しく不気味な儀式に参加していることにとても驚いた。みんな特に何も聞かないのでどうやら日常的に行われている儀式らしい。
    「ねえ、あれなんだっけ」
     もしや自分もあれに巻き込まれないといけないのかと不安になってきて隣のミスラに尋ねる。あんなおかしな儀式に参加するのは死んでもごめんだった。そんなことになるくらいならあいつを殺す。
    「何ってハイタッチでしょう。厄災のせいとはいえ面倒ですよね。しないとずっとうるさいし」
    「……ああ、そう」
     顔には決して出さないものの、頻繁にハイタッチしないといけない傷があるのかと密かに衝撃を受けた。自分でなくなるのももちろん嫌だが正気のまま屈辱を受け続けねばならないのも相当にたちが悪い。ハイタッチしないと死ぬ傷なんて受けたら喜んで毎日爆発四散して死ぬ道を選ぶ。
    「あなたはいいですよね。ハイタッチ免除で」
    「え、あ、うん?」
     よくわからないが自分はあれに混ざらなくていいらしい。自分以外の傷の面倒まで見るのは絶対ごめんなのでとても助かる。自分でなくなるだけで厄介すぎるのでこれ以上の恥はいらない。
     しかし儀式不参加ということはやはり自分とあの男は不仲なのだろうか。なら早く殺して目玉を取り返せと思うのだが、やらずにいるのは同じ中央の所属であるオズがいるからか。というか仲が悪いのに本当に何故交換したのか。何のメリットもないし嫌がらせにもならないし、なんなら今のオーエンが最も迷惑がっている気さえするので過去の自分の奇行に納得がいかない。
     とりあえず向こうもいらないかもしれないし、一人になった時にでも聞いてみようか。鏡を見るたび落ち着かないので早く元の目玉を嵌めたい。
    「オーエンおはよう!隣にいるのはミスラか?」
     後でよかったのに儀式が終わると笑顔でこっちへやって来た男を目にして露骨に嫌な顔をしてしまったと思う。それなのに全く気にすることなくニコニコ笑って隣のミスラに手を握るよう求めている。
    「頭おかしいの?」
     それはほとんど確信に近かったのだが男には伝わらなかったようで「なんのことだ?」と微笑みと共に首を傾げるだけだった。そしてミスラは面倒くさそうに差し出された手を叩き落とした。
    「ありがとうミスラ。改めておはよう」
    「おはようございます。うるさいのであっちに行ってください」
    「はは、すまないな。それでも毎朝助かってるよ」
     あまりの馴れ馴れしさにミスラが殺すかなと少しだけ期待していたのに何も起こらなかった。眠そうに曖昧な返事をするだけで黙々と食事を再開する。もしやこの馴れ馴れしく鬱陶しいのが日常風景なのだろうか。魔法舎の治安が最悪すぎる。悪環境で目玉が腐り落ちる前に早く取り返さないと。
    「オーエン、今日は昼からで大丈夫か?」
    「は?」
     何がだよ。お前の死ぬ時刻の話ならいくらでも早めてやる。そう思いながら胡乱げな顔をするとカインは初めて怪訝そうに眉を寄せた。
    「忘れたのか?今日は王都にケーキを食べに行くって二人で決めただろ?」
    「は?」
     数秒前と全く同じ言葉が、数秒前よりも不可解で不快な音になって喉から漏れる。それは思ったよりも食堂に響いて他の者たちの視線が集まるのを感じた。
     ケーキを食べるのはいい。二人で決めたってなんだ。そんなまるで二人で出掛けるみたいな言い回しをして、まさか二人で出掛けるのか。儀式もしないくらいには仲が悪いのに?
     これまで記憶がないなりに元の距離感を掴めていると思ったのに前提が全てひっくり返ってしまった。何故二人でケーキを食べに行くのか、しかも二人で決めたということは過去の自分はそれにも同意していたのか。いや行けよ。行って清算してから記憶飛ばせよ。何も知らない未来に背負わせるんじゃない。
    「そんな話したっけ」
    「少し前に話しただろ?新しくできた店に行こうって」
     思案する。行くべきか行かないべきか。断るのは簡単だが過去の自分がどういう思考回路で取り決めたのかわからない以上これが約束ではない保証もない。正直もう過去の自分への信用はゼロだ。何をしでかしていてもおかしくない。たぶん間違いなく狂っていた。うっかりすごく辛いものでも食べたのかもしれない。だから狂っちゃったんだ。可哀想に。死ね。
    「行きたくないって言ったらどうする?」
    「どうした?腹でも壊したのか?」
     その声に賢者とオズの席に朝食を運んでいたネロがぎょっとした顔をした。このままだとお昼は甘くなくてお腹にやさしいメニューにされてしまうだろう。もしやこの会話も全て嫌がらせの一環なのか。カイン・ナイトレイ、恐ろしい男である。
    「そしたらまた今度にするか。久しぶりに休みが合うからちょうどいいと思ったんだが残念だ。元気になったら改めて誘わせてくれ」
     何も言っていないのにお腹を下して外出したくないことにされてしまった。そうして一人で納得して去っていく男はまるで厄災の化身のように不気味で意味不明だった。今まで周りにいなかったタイプだ。率直に言ってすごく嫌だ。気持ち悪い。
    「そういえばオーエン、あれはうまくいったんですか?」
     他の魔法使い達との食事の席につく明るすぎる男を眺めて嫌悪感を噛み締めていると隣で得体の知れないものを食べていたミスラが話しかけてきた。
    「なんだよ」
    「最近記憶を奪う呪術をやろうといろいろ準備していたでしょう。どうせならもっと派手なやつをやればいいのに」
    「よし、殺す」
     このタイミングで唐突に困惑だらけの狂った状況を作り出した原因が判明した。パンケーキを食べ終えたので殺すべく立ち上がる。ミスラも同じく立ち上がり、気配を察した賢者とルチルが即座に止めにやって来た。殺し合いすら自由にできない不自由だらけのこんな場所、やっぱりもういたくない。








     カイン・ナイトレイについて、動物達にも聞いてみた。
     彼ら曰く。毎朝走っている。夜も時々走っている。人に擬態しているが走らないと死ぬ獣ではないのか。声がうるさい。時々川のところにいる。オーエンのお気に入り。ぐるぐる同じ場所を走る習性がある。蛇を見るとすごくはしゃぐ。
     とりあえずよく走っていて時々川にいて、蛇が好き。そこまでの奇行はわかる。しかしオーエンのお気に入りとは一体なんだ。絶対何かの誤解だろう。
     結局謎が深まっただけじゃないかとオーエンは深い溜息を吐いた。面倒だしもう半殺しにして目玉を取り返そうか。生きているならたぶんそこまでオズや双子も怒るまい。オーエンの不穏な考えになど興味のない鳥たちが歌ってほしいとせがむのでひとまず思考を放棄して口を開く。何を歌おうかと悩む必要もないくらい自然に口遊み慣れた旋律が溢れてきた。
     魔法舎で暮らすようになってからよく歌っている曲は鳥たちのお気に入りだ。もう既に失われた言葉で歌われるそれを初めて聞いたのは夢の森でのことだったか。西の国で生まれ、南の国を愛したあの吟遊詩人は魔法使いと人間のどちらであったかも今は思い出せない。歌で南の国を豊かにしたかったのだと意味のわからないことを言っていた。歌っても誰かを殺せるわけでもなければ空腹も満たせやしないのに、豊かになんてなれるものかと馬鹿にして嘲笑うオーエンに歌を聞かせてくれたのだ。もちろん森の豊かさは変わらなかったが旋律だけは気に入った。
     吟遊詩人自体は特に面白いこともなくそれからまもなく動かなくなった。すぐに興味をなくして暇潰しにどこかへ新しいお喋りをしに行ったと思う。聞いてばかりの歌を口遊みながら。
     一度聞いただけだったので歌詞はもううろ覚えだ。旋律もきっと当時のものそのままではないだろう。決して叶わない恋に胸を焦がしながらもその恋があるからこそ今生きているのだと、なんだかそういう頭の沸いた内容の歌だったと思う。忘れたのでラの一音だけで歌っているが鳥たちはオーエンと同じく歌詞に興味はないので文句を言われることもなかった。長いこと思い出すこともなかったはずなのに鳥たちがせがむから自然に口から溢れでるくらいには歌い慣れてしまったようだ。
    「《せめて貴方の瞳に映っていたかった》」
     まだ覚えている唯一のフレーズを歌にのせる。失われた言語の思いは誰に届くこともなく穏やかな風に流されて消えていく。ひらひらと頭上から舞い落ちてきた緑の葉に何気なく手を伸ばし、掴もうとした次の瞬間には窓から赤い夕焼けの見える部屋にいた。
    「オーエン、戻ったか?」
     見える景色も空気の匂いも一秒前とは繋がらない。鳥や他の動物たちの姿もない。知らない部屋。知らない匂い。ああ、またあの忌まわしい奇妙な傷かと察して憂鬱になった。二本の指で摘んでいる食べかけのクッキーすら悍ましい。きっと甘いだろうそれを口に入れる気にはなれず膝の上の皿へ戻し、べたべたと気持ち悪い口の周りを乱暴に袖で拭う。
    「ネロがお腹に優しいものを作ってくれたんだが足りなかったみたいでさ、クッキーをあげちゃったんだが大丈夫か?」
     知らない部屋だが外から見える木は魔法舎に生えているものだ。つまりここは魔法舎で、オーエンが忘れてしまった部屋なのだ。あるいは初めて入ったのかもしれないけれど。部屋の主と思われるカイン・ナイトレイは騎士のコスプレを脱ぎ捨て黒いタンクトップ一枚という身軽な格好で魔法使いらしくない引き締まった二の腕を晒している。シャンプーの匂いがするので風呂上がりなのだろう。そういう自分も何やら見覚えのない服を着ていてこちらはデザインと着心地の良さからクロエの服だとわかる。まさか一緒に風呂に入って新しいパジャマをもらい、ご機嫌でクッキーを食べていたというのか。こっちはこんなに悩み事が山積みなのにいいご身分じゃないか。見知らぬ馬鹿な自分に毒を吐いても気持ちはちっとも晴れなくて、今すぐ景色を変えてしまいたかった。
    「《クアーレ・モ……」
    「待ってくれオーエン」
     帰ろうとした手首を掴まれ膝上のクッキーが床に散らばった。食べかけ以外は食べるつもりだったのになんてことをしてくれるのか。そう恨みがましい視線をやるとカインは素直に謝罪した。
    「すまん。ええと、おかわり貰いに行くか?」
    「いい」
     だから手を離せと言外に込めた意図は伝わったと思うのだが離してもらえない。至近距離で対の瞳を合わせたまま居心地の悪い時間が過ぎる。
    「何」
    「聞きたいことがあるんだが」
     面倒だと、あからさまにその視線に乗せてみてもカインは怯むことはない。魔力は弱いくせに北の魔法使いの凄みは平気だなんてやはりおかしな奴だ。オズやミスラにもこの調子ならそう遠くない未来殺されるのではなかろうか。それ自体はどうでもいいが目玉だけは綺麗に残しておいてほしい。
    「なあ、今朝のことといい俺のこと避けてないか?」
    「へえ、お前はその辺のゴミ屑がどこに転がっているか気にするの?自分が相手にとって避ける避けない以前のどうでもいい存在かもしれないなんて考えもしないんだ?可哀想なくらいおめでたい頭なんだね」
     オーエンの嫌味にカインは瞬きをした。不快そうにするわけでもなく、まるで言葉がわからなかったみたいにきょとんとしている。対応は間違っていないと思うのだが確かめる術がないので不安になる。いっそ今ここで殺してしまおうか。
    「なんだそうか。俺の勘違いだったんだな」
     うまく乗り切れたのだろうか。ゴミ屑呼ばわりされたにも拘らず爽やかな笑みを浮かべるカインに安堵と、やっぱりこいつは頭がおかしいんだなと確信を抱く。魂が砕けているかもしれない。
    「断られたのは初めてだったから驚いたが、いくら評判のケーキ屋とはいえ南の国は遠いもんな。気分が乗らない日もあるか」
     そんな遠くまで二人で出掛ける気だったのか。やっぱり前の自分もこいつと同じくらい頭がおかしかったらしい。こんなのと二人きりで南まで遥々出かけるなんて絶対にごめんなので、流されず断ってよかったと真底思った。
     そんなオーエンを見下ろしてカインはにこりと笑みを深めた。
    「中央以外のケーキ屋はまだ誘ったことないんだけどな?」
    「…………は」
     手首を掴む力が心なしか強くなる。己を覗き込む二色の瞳がちっとも笑っていないことに今更気付いて狼狽えた。
     嵌められた。中央の弱い魔法使いのくせに、小狡い真似をしやがって。カインは隠すことなく殺気を溢れさせ舌打ちするオーエンの顔を覗き込み、嘘くさい笑みを消した。
    「記憶がないんだな?」
     確認するように、確信を持って言い当てられたことに驚いた。覚えていないだけならば偽者だとか頭をいじられたとか他にも候補はあるはずなのに。まるで一から知っていたかのような物言いに違和感を覚えた。
    「……なんで」
    「傷のお前が俺を見て言ったんだよ。誰だって」
    「…………」
     あっちも記憶がないとか知らない。しかも素直にバラすとか、馬鹿の極みか。流石にそんなところからバレるとは思ってもいなかったのでストレートに厄災への憎しみが増した。隠し事すらできないなんて酷すぎる。
    「いつからだ?」
    「お前には関係ないだろ」
    「本当に?」
    「なんだよ」
    「絶対に思い出すな。瞳は好きにしろ。俺のこと、そう書いてあったんだろ?それなら俺にも関係ある」
    「なっ……」
     あのメモは服のポケットに入れたままだった。傷の自分が見せたかあるいは偶然見つけたのだろう。もうポケットの中ではなくこの男の手の内に移動しているかもしれない。そもそも今は見覚えのないパジャマを着せられているので服そのものも行方知れずだ。いやベッドの上に綺麗に畳んであるな行方だけはわかったもう遅いけど。ああ、本当になんてこと。今ここで自害したら有耶無耶にできないだろうか。
    「忘れたかったのか?」
     手首を掴んでいた手が、すり、と甘えるような動きをする。捨てられた子犬みたいな目をされても困る。自分はこの男が誰かも知らないのに。
    「お前は僕にとって記憶すら不要だったみたいだね。眼だけ早く返してくれる?」
     だからもう関わるな。言外にそう込めたのは伝わっているはずなのにカインは少し困ったようにするだけで態度を変えることはなかった。
    「わかった。でも瞳は返してやれない。かわりにお前が記憶がなくても困らないよう必要なことは話すよ」
    「どうして」
    「これは俺が強くなって取り返すって決めてるから」
     そうではなくて、何故そんなメリットのないことをしたがるのかと尋ねたつもりだったのだが、この男にとって他人への協力は当たり前の自然なことなのだろう。気持ち悪いお人好しめ。カインはやっぱり嫌いなタイプだと再確認して顔を歪めるオーエンの手を引いてベッドの縁に座らせると自分も馴れ馴れしく隣に座ってきた。距離感がおかしい。
    「じゃあまずは、俺たちの出会いから話すよ」
     何も頼んでいないのにすっかりもうそういう流れになってしまっているらしい。カインはオーエンの手を握り締めたまま自分のことを、オーエンとの出会いのことを、再会してからのことを、一つ一つ楽しそうに語って聞かせてくれた。目を抉って交換された話を笑顔でするところはやっぱりイカれていると思う。間違いない。でもカインの話は騎士の話だったから遮ることもなくなんとなく聞き続けてしまって、気が付けば長い時が経っていたし手は握られたままだったし、交換した自分の瞳がすぐ目の前でよく似た色の前髪の隙間からこっちを見ていた。
    「俺たちはキスしたことがあるって言ったら、どうする」
     からかってるの、なんて聞くのも馬鹿馬鹿しいほどの本気の顔をしていたから言葉を失った。たしかにここまで近くにいても嫌だと思わない自分がいるのでカインの言葉は真実なのかもしれないけれど、どうすると言われても困る。何も覚えていないのに胸がさわざわして頰が熱い。病気かもしれない。あるいは呪いか。それもすごく強力な。
    「好きだったんだ。告白して、許しを得て、キスをした」
    「っ、き、……」
     カインの言葉はチョコレートのようにドロリと溶けてオーエンの心に絡みつく。声さえ上手く出せなくなって、握られたままの手の熱に戸惑って、逃げたいけど振りほどくことができなくて、それどころか握り返してしまってここにいたいみたいな顔をして彼の名前を呼びたくなる。キスとはどんなものだろうかと考えている。期待している。もう知っているはずの甘いお菓子の味を。
     こんなのダメだ。覚えていないはずなのにちっとも心が忘れていない。失敗だ。また駄目だった。すぐにやり直さなくてはいけない。今度こそ正常な心を取り戻すために。こんな魔法も使えなくなるほどの心を抱えて生きてはいけないから。
    「なあ、どうして」
     手を引かれて抱き締められる。このままバラバラになって崩れてしまったらいいのに。そうしたら魔法使いでいることに執着する必要だってきっとなくなる。この心が壊れるくらいほしいものに手が伸ばせる。恋ができる。忘れて殺したはずの何かが胸の奥で呟く。
    「あと何回忘れたら、受け入れてくれるんだよ」
     掠れた声は途方に暮れた色をしていて、抱き締める腕は力強いのに優しくて、頬に触れる唇は柔らかくて熱かった。早く忘れてしまわないと。今度こそ全部きれいに完璧に忘れるのだ。恋なんてしたらきっと自分じゃいられなくて、きっと死んでしまうから。だって絶対好きになっちゃいけない相手だ。
    「きしさま」
     だから、さよなら。またね。

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    torimizm

    DOODLE1.5章の後のカイオエ。
    毎晩怪我を見に来るオエと、むらむらしてる騎士様。
    毎晩夜這いされているので我慢できなくなったケルベロスに腹を喰われて死に掛けてからオーエンが毎晩寝込みを襲撃してくる。
    「見せて」
    寝ようとしていたところに突然現れて布団を剥いで、乱暴にシャツを捲って腹を確認するのだ。本当に毎晩、一度も欠かすことなく。
    酷かった傷も治療の甲斐があり、今はもう包帯も外れている。任務はまだ免除されているものの授業には無理のない範囲で参加しているし日常生活にはもうほとんど支障はない。それを何度伝えても、塞がりつつある傷口を二色の眼で確認しても、オーエンは来るのをやめない。馬乗りになって問答無用で脱がして傷を確認していく。
    はじめの頃は見るだけだったその行為も包帯が取れて傷が小さくなってからは腹に直に触られるようになった。白い指が傷口のあたりをいったりきたりなぞって這い回るのは正直変な気分になる。相手はオーエンで、これは夜の闇が見せる錯覚なのだと何度も己に言い聞かせるカインのことなど知るよしもないオーエンの確認作業は夜を経るごとにどんどん大胆になっていく。最近は傷だけでなく腹筋や胸筋にも興味が出てきたようで不思議そうに眺めては撫で回される。本当にやめてほしい。
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