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    【英零】学院時代|D…D前のB1後|ややいかがわしい|暗め

    ##英零

    行き着く先の泥溜り 耳に心地よい喧騒、掌中で温んだ音響機器、肌に馴染む繭のような薫風。燦然と降り注ぐ浄らかな陽光は足下にあったはずの影を綯い交ぜに暈して実在感を揺るがし、所以なき不安を掻き立てた。両足で踏み締めた舞台は小さく、マイクパフォーマンスを試みようものなら肩を並べる仲間との悲惨は事故は免れない。備え付けのアンプリファイアは経年劣化に因り老い衰え絶えず野次に似たノイズを発している。犇めく群衆の中に純粋な関心を持って鑑賞に赴いた者は少なく、その大半が興味本位かささやかな好奇、或いは密やかな悪意や叛意を胸に秘めていた。本来であれば如何な思惑だろうと強引に手繰り寄せて、視線を奪い、こんがらがった思考を乗っ取り、凡ゆる方向に伸びた意識の糸を根刮ぎ引き招き取り込むのが魔的な音の成す技巧であったが、彼等が本領を発揮するにはそこはあまりにもアウェーだった。
     俄かに不協和音が弦を撫で、背筋を伝い落ちる幾筋もの汗が次々と不穏に凍りついてゆく。初春の麗らかな気候と観客席から立ち昇る人いきれで快い熱気に包まれていた会場が色を失い、温度を失い遠去かる。大気中に張り詰めていた緊張の糸が不可視の刃物で次々と断ち切られ、マイクを握る指先からは力が抜けて、咽喉を通る声も掠れていき軈ては苦痛に喘ぐ風の音だけが孤独に残され、増幅器は意地悪く耳障りな雑音を拡散し続けた。いつしか歓声はすっかり痛罵へと変じ、溜息は感嘆から落胆へと転じ、照りつける陽射しは皮膚を刺すかに思われるほど過剰に熱を上げた。無惨な現実から目を覆おうと何もかもに背を向けてその場に蹲ってしまいたくとも、手足には頑丈な鉄輪が嵌められており身動ぎ一つ赦されない。苦悩と疼痛、重苦しい邪念に充ち満ちたステージの上で、見るに堪えない芸を披露し続ける無様な自分たちの姿を、玲瓏と鳴り渡る声が延々と嘲笑っていた。

     宙に放り出されるような激しい浮遊感と共に目を覚ました時、視界一面に広がっていたのは目映い金と蒼ばかりだった。暗がりに於いてもなおさんざめく輝きを放つ白金の御髪、こちらを見下ろす穏やかな矩形を描いた蒼穹の瞳が誰のものであったか、判ずるまでに相当の時間を要したのは偏に未だ尾を引く悪夢の倦怠感が全身に鬱々と泥の如くのしかかっていたからに違いなかった。
    「やあ、朔間先輩」
     冷涼なる声音はあくまで朗らかな風情を装って囁かれ、何とはなしに先刻まで全神経を支配していた著しい嫌悪感を思い起こさせる。警報じみた怒声が未だに三半規管を揺さぶっている心持ちがして、知らず両手のひらの内に敷布を握りしめていた。無意識下で力を込めすぎていた所為か五指は末端から付け根まで痺れていて、無理やり動かそうとすると関節に鈍い痛みが走った。
    「……天祥院くんかえ、」
     文字通り絞り出した声は夢の中、舞台の上で音もなく歌おうと踠いていた自分のものと何ら相違なく、終いには自慰的な笑いさえ込み上げた。不自然なほど近い距離にある皇帝の尊顔が無垢なる疑問の為に傾く。枝垂れる金糸がそよぐ葉擦れじみた音が聴こえた。「そう、僕だよ。君がいつまで経っても保健室を出てこないから様子を見にきてあげたんだ。……具合はどうかな、まだ寝惚けているのかい」
     歯に絹着せぬ物言いへの応酬に寝込みでも襲うつもりだったかと冗談を返そうとしたがやはり声にはならない、口腔内が渇ききっていて呼吸をするのも一苦労だった。床に臥せる病人が酸素を求めて乾燥した口唇を開き、緩慢に胸を膨らませる動作を暫し平然と傍観して、天祥院英智は閃きに睛を丸くした。「ああ、喉が渇いているんだね」
     寝台に覆い被さるようにしてこちらを覗き込んでいたらしい男は上体を戻して背筋を正すとサイドテーブルからペットボトルを手に取った。透けるプラスチックにびっしりと浮いた水滴が見るだに涼しげで、知らず鳴らぬ喉を上下させていた。感覚の戻らない腕を何とか支えにして半身を起こし、枕に体重を預ける。灯りを消された夕暮れの保健室は凡ゆる物質の輪郭を朧ろに蕩かし、妙に現実味を欠いていた。英智がペットボトルのキャップを外し、濡れた容器の口をこちらへ差し向ける。一向に麻痺が治らない手を伸ばそうとするとボトルは遠のいて、眉根を寄せた英智が首を左右に振った。
    「手はまだ動かさない方がいいと思うな。眠っている間ずっと力が入っていたんだよ、外からほどこうとしても叶わないくらいのね。無理に動かしたら筋を痛めてしまうかもしれないよ。大事な指だろう? そんなの悲しいよね。さあ、ほら。僕が飲ませてあげるから、くちを開けて、朔間先輩」
    「いいや、それは……」
     憐れにくぐもった声で拒絶の意を表しかぶりを振るが、手指を動かすことに得体の知れない不安があるのは事実だった。零の葛藤をとっくに把握している英智は拒まれたとて湛えた微笑に罅一つ入れることなく、冷えた水の入ったボトルを乾いた口唇へと一層寄せた。物欲しさに半開きのままだった口許から覘く歯列とプラスチックとが軽妙な音を立ててぶつかる。観念して、口を開いた。液体が食道を通りやすいよう顔を上向けるとボトルの角度を丁寧に調整され、冷たい水がたちまち狭い入口を流れ下った。口内に入りきらなかった水流が口端を伝い、顎先から滴って制服のシャツに染み込んでいく。薄い布地は元より汗でしとどに濡れていたので、新鮮な水に浸されることは心地良くさえ感じられた。ともすれば溢れそうになる豊かな奔流を舌で掬い、口先で食んで口腔へ誘なう。爛れた粘膜に楚々と浸透していく水の齎す得も言われぬ恍惚に我ともなく目蓋を鎖した。
     最後の一滴を飲み干してはたと正面を向いた時、悪魔よりも悪魔らしい天使の微笑が終始ひたと差し向けられていたことに気が付いた。吊り上がった口角に押し殺しきれぬ愉悦を滲ませ柔和な目元を毒気で翳らせて、天祥院英智は仄白い相貌とは対照をなす鮮烈に朱い舌先で口唇をなぞった。尤もらしい善意を笠に着て、まんまと欲望を遂げた底意地の悪い勝者の顔付きをして。
    「意図してさせた事ではあるけれど、悪くない眺めだね。かつてあれほど僕を悩ませ苦しめた君が、今やこうして素直に僕の施しを手ずから甘受しているんだから。惨めなものだね、朔間先輩。牙を折られ翼を捥がれて地の底に落ちた、これが学院を自由気侭に荒らし回った夜闇の魔物の成れの果てというわけ」
     空になったペットボトルを取り去ってサイドテーブルへ元通り置き、寝台の上に再び上体をのめらせた英智の手が伸びて零の濡れそぼる輪郭を指の背で払う。不躾に対人距離を侵されたことへの不快感で露骨に歪んだ表情ははなから考慮の対象ではないらしい。振り解かれないのを良いことに、指先は身勝手に顎を掬い上げた。途端に視界を埋め尽くす金縁の碧眼が緩やかに瞬き、挑発的に煌めいて眩暈を誘発する。
    「……おぬしが我輩に拘ろうとするなぞ珍しいとは思うたが、なるほど、皇帝自ら赴いて無様な敗者の顔を拝みに来たというわけか。はて、良い慰めになったかのう、天祥院くん。然様にはしたなく昂奮するほど美味だったのかえ? 久方ぶりの勝利の美酒は」
     嗄れてはいたが声はようやく音になり、噛んで含めるように一語ずつこれ見よがしに囁いたが当然安い扇動に煽られる男ではない、いっそ嫌味なほど爽やかな笑みが返るばかりである。「うん、最高だったよ。特に、苦い苦い気付薬を舐めた後だったからね。鈍った身体には痛いくらい効いたよ、あれがあったからこそ勝利は余計に甘く、滑らかで快い。無論、こんなものは前哨戦のうちにも入らない勝負ではあったけれど。いいや、勝負でさえない。誰もが承知の通り、あれは処刑だ。正義が悪を、叛逆者を衆人環視の真正面で断罪する神聖な儀式。間違いが正され、自分の正当性が証明される瞬間というのは、何度味わっても堪らないものだね」
     見目と中身とが伴わないことは世にままあるが、声音と言葉とにここまでの温度差が生じることがあるものかと、この男と対峙するたびに良くも悪くも感心させられる。好い加減喉を逸らしたままでいることにも草臥れて緩慢と首を振り指先から逃れた。湿った肌に纏わりつくシャツも、そこへ不規則に注がれる物見のまなざしも頗る鬱陶しく、上から幾つか釦を外してはためかせ、気休めの生ぬるい夜気を送る。屋外ステージでのパフォーマンスを終えた後の記憶は曖昧だが、どうも辛うじて制服に着替える事はしたらしい。脱ぎ捨てられた空色のジャケットは寝台の手摺りに無造作に引っかかっている。
     生あくびを一つして視線を巡らせると、窓の外は疾うに夜一色だった。どんな事情があるにせよこんな時間まで保健室を利用することが許されるとは思えないが、現在傍らにいるのは学院の実権を殆ど一手に握っている生徒会長である。語られた浅ましい理由のためにこの空間を都合よく利用しているのだとしたら真実呆れる限りだが合理主義が服を着て歩いているような男がとる行動とも思えない。要するに意図が解らず、かと言って平生のごとく軽口を叩き合って腹の裡を探るのも億劫で、零は凱旋して間もない皇帝から目を背けて随分長いこと押し黙っていた。
     具合の悪さを理由にここへ足を運んだが、その先の事を考えようとすると靄がかかり意思は漠然としていく一方だった。一刻も早く、敗戦により燻った陰火が完全に輝きを失ってしまう前に今日の一件について話し合わなければならない。すべき事は既に全て丁寧に順番に脳内に並べてはあるものの、自分自身の徒労と心労への懸念を優先してしまい今もこうして無力に寝台へ臥せっている。その不体裁を英智がどこまで察しているのかは定かではないが、どうあれ心身を粉々に破砕した張本人なのだから少なくともこれが単なる見舞いの類いではないことだけは確かである。
    「ああ、そうだ。良いものがあるよ、これ、君のために食堂から頂戴しておいたんだ。プロシュット、確か好きだったよね。あれから何も口にしていないだろう、帰路で倒れてしまってはいけないし、何かしら胃に入れておいた方がいいんじゃないかな」
     ベッド傍に据えられた丸椅子に掛けた英智がのんびりと口を開き、サイドテーブルの方を目視で示す。今し方空にしたペットボトルの傍らには見慣れた食堂の取分け皿、中には数切れの熟成肉が折り重なっている。言われるがまま思い出したように胃の腑が収縮したが喋る事にさえ倦怠が付き纏う現状、食べ物を咀嚼する気力は残されていない。小さくかぶりを振り意思を表明すると、不遜なる皇帝は相貌に貼り付けていた微笑を仄かに深めて何を思ったか、皿の上の肉片を一つ二本の指で摘み上げ零の方へと差し出した。「どうぞ、朔間先輩」
     反射的に身を引いて胡散臭い思惑から逃れようとしたところでより近く、口許へと獲物を寄せられ袋小路へと追い込まれていく。そのうち背中が枕に当たり、寝台の上でこれ以上の後退が叶わないと知った時、せめてもの厭わしさを視線に込めてまろい弧を描く瞳をまっすぐに睨み付けた。凍てつくアイスブルーは泰然自若として温度の一切を感じさせない。気障りな悪感が胸中に拡がりいつしか全身にまたもじっとりとした厭な汗をかいていた。手ずから施される恥辱を受け入れろというのだ、渇きに迫られ恥も外聞もなくボトルの水を貪ったようにみっともなく、悪辣な視線の下に痴態を晒して。
    「天祥院くん、それは、あまりにも」
    「朔間零、君は、負けたんだよ。それも他ならぬこの僕に、この学院の正義であり権威に。それがどういう事なのか、何を意味するのか、わざわざ懇切丁寧に説明してあげなくとも解るだろう。君たちは叛逆者であり、大罪人だ。そして、辛酸を舐め屈辱に歯噛みしているのは何も君だけじゃあないんだよ。首と胴体が離ればなれになってもまだ自分たちのしでかした事の重大さが解らない、罪の重みを感じられないと言うなら、僕はこれ以上君に──君たちに何をすれば良いのかな。四肢を捥ごうか、頭蓋を踏み砕こうか、それとも遺骸を並べて野晒しにして辱めようか。ねえ、僕は今、何だってできるんだよ、ただしないでいるだけ。理解できたかな、それなら、今君がすべき事は何だろう。そのはしこい頭でよく考えてみてほしいな」
     指先が描く優美な曲線の先にぶら下がったグロテスクな肉の切れ端が眼前で揺れ、暗に催促をする。学院を牛耳る皇帝はひたすらに無垢な微笑を浮かべて他者の心を容易く折る残忍な責苦を並べ立て、一呼吸ごとに一つひとつ、丹念に血路を潰していった。心身を蝕む病魔の気配など微かにも匂わない驕慢で気高い征服者の顔貌、澱みなく瞬く碧眼の純真はこの男を構成する凡ゆる矛盾を以てして脅威となる。いずれにせよ与えられたものは選択肢ではなく猶予であり、ここは岐路ではなく一方通行で出口の見えない泥沼である。逡巡の間は惜しく、地獄を抜け出たいのならば用意された路を苦渋と共に進むしかない。天祥院英智が求めているのは決して揺るがぬ事態を一刻も早く受け入れる物分かりの良さに過ぎない。
     一度固く目蓋を閉ざして淫靡でさえある強かな目付きを視界から閉め出し、薄らと塩の香りを放つ肉片に噛み付いた。収斂した繊維は容易には引き千切れず、数回歯を立てても僅かな切れ込みが入るだけで一向に口内に収める事ができない。普段ならば美味に感じられるはずの料理は英智の指先で微熱を加えられ奇妙な生々しさを纏って生理的な拒否反応を刺激し、食事の間何度も空嘔を喉奥で殺さなくてはならなかった。腹癒せにいっそ吐ききってしまおうかとも考えたが万が一にも皇帝の機嫌を損ねた場合の事を鑑みればとても利口な判断とは言えない。赤く色付いた塊を咀嚼するたび舌面に貼り付く粘着質な塩気が不快で眉根を寄せた。傲慢なる支配者は零が如実に嫌悪感を表せば表すほど満面に咲かせた天上の愉楽を綻ばせ、嗜虐的な忍び笑いを洩らす。
    「……ッ、ぐ」
     摘んだ欠片が徐々に千々になり、殆どの部分が強制的に胃に送り込まれたのを察すると、英智は残りを丸めて零のあえかに開いた唇のあわせに押し込んだ。いとも簡単に口腔を侵犯した指先が薄い肉片越しに舌を撫でる。途端に辛うじて保っていたペースを乱され、背を丸めて込み上げる吐き気に耐えた。
    「飲み込めたかな。うん、よかった。朔間先輩が賢明な人で安心したよ。その調子で残りも余さず食べてくれると嬉しいな。この僕が、君のためにせっかく好物を用意してあげたんだからね」
     たった今肉の一きれを漸く胃に収めたところへ世にも非情な下知を飛ばして、華奢な指先は再度皿の上のプロシュットを摘み上げる。口の中にしつこく蔓延る塩辛い血肉の味ですっかり気分を害しており、思わず小さく首を振って婉曲的に拒絶の意思を示し慈悲心に訴えかけはしたものの意に介した様子は無論ない。得意げに掲げられた食餌を、今度は不器用に噛み千切ろうとはせずに丸ごとひと口で食らった。いずれにせよ退路は無く、差し出されるものを片付けなければこの地獄に果てはない。潤したばかりのはずの喉が早くも渇いてひりつき咀嚼を阻害した。肉をぶら下げていた指の先が唇に触れ、乾燥した皮膚を形ばかりの労りを込めてなぞる。残り二枚の切れ端も強引に、齧ったり潰したりする事も殆どせずにひどい異物感を堪えながら食道に流し込んだ。外から有無を言わさず突き込まれた肉塊を拒んで胃が二転三転し、悪心が緩やかに咽頭を迫り上がるのを零は寝台の上で、痩躯をくの字に折ってひたすらに押し殺した。乱れきった掛布の上に伏せた満面を英智の指先が丁寧に、しかし否応無く掬う。象牙の頬を陶然と紅潮させ、極上の悪意に瞳の薄氷を潤ませて、学院の覇者は独善的な悦に浸る。
    「もっと美味しそうに食べてほしかったけど、よくできました。……さあ、それじゃあ、お片付けをしようか。汚れたものはちゃんと綺麗に掃除をしないと。ねえ、朔間先輩」
    「天、しょ……」
     言葉を終いまで言いきらないうちに顎を支えていた人差し指と中指が二本、度重なる無体に因って弛緩した口唇のあわいを割り開き口腔内へと侵入する。プロシュットの塩気が残る男の指はそもそもそれ自体が食物ですらない事もあって、熟成肉とは別格の激しい吐き気を齎した。脊髄を駆け昇る生理的な嫌悪感に眦に滲んでいた涙が溢れて頬を伝い落ちる。危うく嘔吐反射で牙を起てそうになったが決死の思いでそれをとどめ、英智の身体の一部を設楽なく咥え込まされたまま遣る瀬無く痙攣する肩を抱いた。そうして不快感に苦しむ零の事情など一顧だにせず、爪先は悪戯に蠢いて舌面を擽り喉奥の深みを目指す。二本指の付け根が歯列の門につかえるほど奥まで押し込んで、英智は深々と感嘆の溜息をついた。口中の指がしなやかにくねり、奥で窄まっていた舌を易々捕まえて上下に挟み緩やかに擦る。呑み下せなかった唾液が絡んで混ざり合い猥雑な水音を立てた。濡れそぼる指の腹が出入りするたび渇いた口唇を湿らせて、溢れた雫が口端を転がりそうになるのを舌先で留めたくとも、二指に搦め捕られ好き勝手嬲られていては動かす事ができない。
    「ふ、……ッん、うう……」
     いつの間にか寝台へ身を乗り上げるようにして半身を傾けていた皇帝の酷薄な瞳が倒錯した昂奮と異質な情欲の翳りを帯び、つい宛てもなく逸らした視線をいずこへ逃がすか、束の間の逡巡の最中で意図せず英智の内懐を、密やかに熱を上げる底意を清潔な制服の布越しに捉えて、零はあからさまに息を呑んだ。やや幼気ながらも涼やかな顔付き、正しく清廉に着こなした衣装の下に覆うにはあまりに俗悪で艶いた欲念、その対比の激しさから目を背けられずにいた。
     弄んでいた獲物が俄かに表情筋を強張らせたのを冷ややかに見据えていた英智は、注がれる忌憚の視線を冷静に辿って自身の身体を眺め下ろし、件の異変を察したのか驚嘆とも諦観とも取れる溜息を一つ零した。
    「……ああ、うん。はしたないね、本当に。君の言った通りだ。今の僕ははしたない、久し振りに堪能した勝利の美酒にすっかり酔っ払って、頭がぼうっとして、理性的な判断ができなくて、凡そ貴族的ではない──いや、人間らしくさえない選択をしようとしている。だから、ごめんね、朔間先輩。僕は多分、今から君にひどい事をする。でも、きっと朔間先輩はそれを望んで受け容れるよ。だってそうする他にないんだから、とびきり甘くてお優しい魔物の王様は」
     唄うように、台本の科白をなぞるように高らかに嘯いて、英智は二本の指を零の口腔から抜き去った。温い銀糸が尾を引いて乱れた掛布の波間へ滴る。濡れた指先は名残惜しげに輪郭をなぞって、首筋を伝い落ち先刻緩めた襟の内側へ事もなげに侵入を試みる。簡素な寝台を支えるバネの軋む音が、沈黙する夜闇を不行儀に切り裂いた。無惨に丸まった掛布を押しやり、無意識の反発の為に縮こまった脚の間へと華奢な肉体を滑り込ませて、皇帝はその薄い口唇で至上の恍惚を象った。
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    GoodHjk

    DONE【渉零】新衣装の話
    天性回遊 でも、つかまえて『夜のご殿』を出たとたん、青い鳥はみんな死んでしまいました。
     ──モーリス・メーテルリンク『青い鳥』




     ひと言で言い表すならば洗練された、瀟洒な、或いは気品溢れる、いずれの賛辞が相応かと択ぶに択ばれぬまま、密やかに伸ばした指先で、コートの広い襟をなぞる。緻密に織り込まれた濃青色の硬質な生地は、撮影小道具であるカウチの上に仰向けに横たわる男の、胸元のあたりで不審なほどに円やかな半円を描き、さながら内側に豊満なる果実でも隠し果せているかのように膨らんでいる。指先を外衣のあわせからなかへと滑り込ませると、ひと肌よりもいっそう温かい、小さな生命のかたまりへと触れた。
     かたまりが震え、幽かな、くぐもった声で抗議をする。どうやら貴重な休息の邪魔をしてしまったようだと小声で詫びを入れれば、返ってきたのは、今し自堕落なそぶりで寝こけていた男、日々樹渉の押し殺した朗笑だった。床にまで垂れた薄氷の長髪が殊更愉しげに顫えている。この寝姿が演技ならば、ここは紛れもなく彼の舞台の上であり、夕刻になって特段用もなく大道具部屋へ赴く気になったことも既に、シナリオの一部だったのだろう。
    1993

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