最期の言葉を貴方に辻ちゃんが病気になったらしい。
最近調子が悪そうだとは思ってたけど、まさかそんなことだったなんて思いもよらなかった。
余命宣告なんかもされてるらしくて、もう長くないのだと辻ちゃんに話された。ひゃみちゃんも、二宮さんなんかでさえ言葉が出ないようだった。おれもその1人で。
話を聞いた時、ドラマかよ、って笑い飛ばしたくなったけど、妙に乾いた喉では笑えなくて、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
「……辻は、これからどうするんだ」
「俺、は……最期まで、皆と一緒にいたい、です」
苦しそうにそう言う辻ちゃんに、最期なんて言わないでもっと一緒にいようよ、なんて、おれには言えなかった。
上層部から許可は取れたらしく、辻ちゃんが……いなくなるまで、トリガーは貸し出されるらしい。
辻ちゃんは換装さえしていれば元気に見えた。なんなら普段も、正直言って病気には見えない。本人的にも違和感は感じないらしい。
病気のことも、余命のことも、上層部と二宮隊のメンバーにしか話していないそうだ。変に気を使わせたくないから、と言っていた。だから、おれもいつも通りに振舞った。辻ちゃんはそんなおれを見て嬉しそうにしていた。
防衛任務終わり、おれは辻ちゃんに呼び止められた。
「……犬飼先輩」
「どうかした?辻ちゃん」
「今から俺、わがまま言って、先輩のこと、困らせてもいいですか?」
「…うん、大体のことなら聞いてあげるよ。物理的に無理なことは流石に無理だけどさ」
おれの言葉を聞いて決心したのか深呼吸をする辻ちゃんに首を傾げる。それほどまでに無理難題なのだろうか?
「……好き、です」
「…………は、」
辻ちゃんの言葉に一瞬呼吸を忘れる。
「俺、犬飼先輩のことが好きです。付き合ってください」
冗談かとも思ったが、辻ちゃんの瞳があまりに真剣で、その線はないと断言出来る。
言葉を失っているおれを見て、辻ちゃんは悲しそうに顔を歪ませ、口を開いた。
「……すみません、やっぱり忘れて、」
「いいよ」
気付けばおれは辻ちゃんの言葉を遮っていた。これは、多分、先が短い後輩への同情だ。
「……へ」
「付き合お」
付き合って1週間、おれたちの関係は劇的に変わることなんてなかった。むしろ、辻ちゃんに話しかけると女子に対するような反応を取られた。そのせいでひゃみちゃんに内部通信で何かしたのかと聞かれてしまう始末だ。
防衛任務が終わるといつもは辻ちゃんと少しでも長く時間を一緒に過ごすために隊室でだべったり、ご飯を食べに行ったりするのに、今日はひゃみちゃんと二宮さんは気を使ったのかおれたちを置いてさっさと帰ってしまった。
辻ちゃんは分かりやすく顔を赤くさせ、縮こまっていた。向かいに座っていたおれはおもむろに立ち上がり、辻ちゃんの横に腰掛ける。
「辻ちゃん。手、つなご」
「……えっ?!」
返事を聞く前に辻ちゃんの手を絡めとると、辻ちゃんは石のようにガチガチに固まってしまった。それを見て思わずふは、と笑ってしまう。
「緊張しすぎでしょ」
「だ、だって……ッ」
必死におれから目を逸らそうとする辻ちゃんに不思議と愛おしさを覚えた。
「……キス、する?」
「なぇっ…?!い、いいです、大丈夫ですッ!!」
「そう?」
ぶんぶんと首を横に振る辻ちゃんに、少しだけホッとする。おれはこの後輩にまだそういうことが出来る自信がなかった。
「じゃあまた今度、ね」
また今度、おれの決心がついたら。
おれたちが付き合って1ヶ月も経った。辻ちゃんはまだ元気そうに見える。辻ちゃんを見る度に少しホッとしているのは内緒だ。
辻ちゃんは付き合った事実に慣れてきたのかほとんど元の態度に戻っていた。手を繋いだりしなければ、だけど。
帰り道、夕暮れに背中を押されながら手を繋いでいる時におれは話を切り出した。
「辻ちゃんさ、おれたちが付き合ってること皆に言う?」
「えっ……と…」
うろうろと目をさ迷わせる辻ちゃんにおれはにっこりと笑いかけた。
「……言おっか。2人でこそこそしてるのは多分バレてるし」
「……はい」
「へぇ、そうなんだ」
「……そうか」
それが、おれたちが付き合っていることを伝えた時の反応だった。意外と驚かれないもんなんだな、と考える。それともバレていたのだろうか?
「普通だったねぇ」
「そう、ですね」
「……ね、キス、する?」
「…ぅ…ぁ、は……い」
控えめながらこくりと頷きを返され、おれは辻ちゃんの顎をすくい上げた。辻ちゃんは迷うように目を泳がせた後、そっと目を閉じた。
ゆっくりと顔を近づけさせ、触れるだけのキスをする。辻ちゃんとの初めてのキスはさっき食べたシュークリームの味がした。
おれはまだ、同情からこの関係を続けている。
「辻ちゃん、おれ一人暮らししようかなって思うんだけど、一緒に住む?」
「い…いん、ですか…?」
「うん。ボーダーからの給料で余裕あるし、大きいとこ借りれるよ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
辻ちゃんは良くても辻ちゃんの両親はどうかな、と思っていたが、杞憂だったようだ。特に反対もされなかったそうで、好きにしていいと言われたらしい。
引越し当日、おれの荷物と辻ちゃんの荷物が新しい部屋に運び込まれた。辻ちゃん用の部屋と、おれ用の部屋と、リビングにキッチン、お風呂なんかがついた広めの部屋だ。部屋を見て嬉しそうに目を輝かせる辻ちゃんに自然と頬が緩んだ。
ご飯は交代で作って、その他の家事は大体おれが担当だった。辻ちゃんは自分もすると言っていたが流石に病人をこき使う訳にはいかないと言えば辻ちゃんは渋々といった体で引き下がった。まぁ、その代わりと言わんばかりにご飯当番は譲らなかったのだが。
一緒に暮らし始めて、何度も手を繋いだり、キスしたり、そういうこと…とかも、したりして。
ここまで来ると、おれは今も同情から辻ちゃんと付き合っているのか分からなくなっていた。
愛しいと、確かにそう思う。
休みの日、ついにその時が来た。
ベッドから起き上がろうとした辻ちゃんが倒れたのだ。
急いで助け起こすと、自分でもよく分かっていないのか目を白黒させていた。
「ッ辻ちゃん、大丈夫?!」
「なんか、力、が、入らなく、て」
なんでだろ、なんて漏らす辻ちゃんにぎり、と歯を食いしばり、救急車を電話で呼ぶ。
救急車が来るまでの5分間が何時間にも感じるほど長く思えた。辻ちゃんが救急車に運び込まれた時、おれも同乗させてもらう。
救急車に運ばれている間辻ちゃんは意識を失っているようで、ずっと目を瞑っていた。
病院についたはいいものの、流石に付き合っていて、同棲をしているといえど所詮他人のおれは医者の話なんか聞けなくて、待合で待たされるだけだった。焦燥感だけが募っていく。
酷く気落ちした様子で診察室から出てきた2人の大人を見かけて、この人が辻ちゃんの両親だと直感して話しかけた。
「あの、辻ちゃんは大丈夫なんですかッ…?」
最初は訝しげな顔をしていた2人だったが、おれの顔を見て動きを止めた。
「……もしかして、“犬飼先輩”?」
「え……あ、そうです、犬飼です」
「あの子からよく話を聞いてるわ。そう、貴方が…」
嬉しそうな、それでいて悲しそうな顔をするご両親に嫌な予感がした。
「あ、の…辻ちゃん、は……?」
「……もう、長くないそうなの。お医者さんが言うには今夜が峠だって…」
ひゅっと息を飲んだ。今夜が、なんだって?
「…もしよかったらなんだけど、最期は貴方が一緒にいてあげて。あの子はずっと貴方の話をしてたから…きっと喜ぶわ」
「は…い」
おれにはそう返すのが精一杯だった。
辻ちゃんの病室に入ると病院独特の香りが鼻腔をくすぐった。
ふらふらと覚束無い足取りで辻ちゃんが横たわるベッドに近づき、横に置いてあった椅子に腰掛けた。
何も考えれず、ただ無言で辻ちゃんを見つめる。
何時間か経った頃、不意に睫毛がふるりと震え、目がゆっくりと開いた。
「辻、ちゃん」
声をかけると辻ちゃんは焦点があっていない目でおれの方を見てきた。
「せん、ぱ……?」
「寝てて、いいよ」
起き上がろうとする辻ちゃんを押しとどめ、頭を撫でてあげる。
「……二宮さんがね、また焼肉屋に行こうって言ってたよ」
辻ちゃんは何も答えなかった。まるで、自分がもう死ぬことを分かっているかのようだった。
「ひゃみちゃんも、また女子の克服手伝うって」
辻ちゃんの腰元にだらんと投げ出されていた手を握りしめる。辻ちゃんが、どこかに行ってしまわないように。
「……おれ、も、また辻ちゃんとどこかに遊びに行きたい」
「…………俺も、です」
そう言って力なく微笑んでくる辻ちゃんにおれは言葉を詰まらせた。辻ちゃんは、分かっている。それに気づいて、どうしようもなく胸が苦しかった。
「……先輩、キス…してくれませんか」
「…うん」
辻ちゃんの肩の上に肘をつき、屈みこんで触れるだけのキスをする。
「あり、がと…ござい、ます」
へにゃ、と嬉しそうに笑った辻ちゃんはもう呼吸をするのも苦しそうだった。
「辻ちゃん」
おれもそれに応えるように顔を歪ませながら笑い返した。
「おやすみ」
「は…い、おやすみ、なさ、い」
辻ちゃんの瞳から光が失われ、ゆっくりと瞼が閉じられていく。
「またね」
もう、返事はなかった。
辻ちゃんが死んでしまった時、不思議と涙は出なかった。おれには人の心がないのかもしれない。
「犬飼先輩、酷い顔ですよ」
そう言ってきたひゃみちゃんこそ、いつもに比べて青白い顔をしている。
「…犬飼、しばらくの間休め」
何も言わないおれを見かねたのか、はたまたひゃみちゃんに内部通信で何か言われたのか、二宮さんはおれにそう言い渡した。
暇が出来たのをいい事に、しばらくの間手付かずだった辻ちゃんの遺品を整理しようと辻ちゃんの部屋に篭っていた。辻ちゃんの部屋に入るのは辻ちゃんが死んでしまってから初めてだ。
辻ちゃんの部屋は主がいた頃に比べ、どこかがらんとしているように思えた。
遺品整理と言っても、辻ちゃんの物を捨てる気なんておれにはさらさら無くて。実質掃除みたいなものだった。
本棚に積もっていたホコリを取っているとふと手を止めた。
「……ビデオテープ?」
今の時代には些か古いそれを見て、思わず手に取る。側面の白い所には辻ちゃんの字で『犬飼先輩へ』と書かれていた。
首を傾げつつ、リビングのビデオデッキに入れて再生してみる。最初に映像に映った予想外のものに息を飲む。映ったのはとても至近距離の辻ちゃんの顔だった。
「つじ、ちゃ、」
『あれ…これ出来てるのかな……?』
辻ちゃんはそう独り言を呟き、しばらくガチャガチャと何かをしていたが、一際険しい顔をした後こくりと頷いた。
『……うん、すみません。やり直し方が分からないのでこのまま始めますね』
辻ちゃんらしくて少し笑ってしまう。笑ったのは辻ちゃんがいなくなってから初めてかもしれない。……この後輩はおれに何を伝えようとこれを遺したのだろうか?その疑問はすぐに解消されることとなる。
『犬飼先輩、これまで俺のわがままで迷惑をかけてしまってすみません。こんな俺の事なんかすぐに忘れてくださいね。……って言っても、犬飼先輩は優しいからきっと忘れてくれないんでしょうけど。本当に、すみません。貴方を縛ってしまって……それを、嬉しいと思ってしまう俺をどうか、許してください。これまでも、これからも、ずっと…ずっと、愛しています』
ぷつり、とビデオテープが終わっても、おれはしばらく動くことが出来なかった。
ふと違和感を感じて頬に触れると濡れていた。知らず知らずのうちに泣いていたらしい。自覚した途端に涙が次々溢れ出てきた。
「……ッ、ふ、つじ、ちゃ、つじちゃん…ッ」
ぼろぼろと涙が頬を伝っては落ちていく。
「つじちゃん、いやだ、つじ、ちゃんッ…」
おれは涙が枯れるまでずっと泣き続けた。