ふ、と目が覚めた。海の底にたゆたっているかのような浮遊感に身を任せ、もう1度目を閉じようとする。それなのに、何やら聞き覚えがあるような声に妨げられた。
「ちょっとちょっと、寝ないでよ、辻ちゃん」
唸りながら寝返りをうつと今度は揺さぶられる。心地よい時間を邪魔された俺は顔を顰めて起き上がった。
「なんで、す……あ、なた、は…?」
目深なフードで顔の3分の2程が見えない男がそこにいた。見覚えはない、気がする。男は辛うじて見える口を弓なりにしならせた。
「誰…と言われると困るけど……強いて言うならセンパイ、かな?」
「センパイ…?」
「あー…もう時間みたいだ。意外と早いね。また今度話そっか」
「え、ちょ…ッうわ?!」
急に俺の体が飛行機のようにふわりと浮かび、地面がどんどん離れていく。センパイの方を見ると笑みを携えて手を振っていた。
ぱちり、と目が覚めた。何かが足りない、そんな感覚に頭を抑える。
「……なにか、夢を見てたような」
どれだけ考えても夢の内容は思い出せなかった。
頭の半分くらいがまだ温かい泥に浸っているような感覚にあの夢だ、と直感する。
「今日も辻ちゃんはおねむ?」
「……眠くないです」
前に聞いたものと同じ、軽薄そうな声に少しだるさが残る体を起こした。
「おはようございます…は、変ですかね」
「んー…ここは夢だからね」
センパイの方に目を向けると、これまた前と同じフードで顔を隠していた。相変わらず口元を楽しそうに歪めている。
「……センパイは…何だか俺の大事な人と似てる気がします」
「……大事な人?」
「そうです。名前も顔も思い出せないんですけど…俺が困ってると助けてくれて……」
何故かキラキラとした金色が脳裏を過ぎり、瞬きするとすぐに霧散した。
「……あ、でも俺もその人のことをフォローしてた気もするんですよね」
「……そっか」
センパイは、口元しか見えないのに何故か悲しそうに見えた。
俺が最近見る夢は流石は夢、といった感じで海のような場所でたゆたっている時もあれば星空が綺麗な宇宙みたいな時もあれば、今のようにいくつものシュークリームが宙に浮いている時もある。
ぼーっとそれを眺めているといつの間にか現れたセンパイが横から手に取った。
「えっそれ取れるんですか」
「うん。辻ちゃん好きでしょ、これ」
食べてみなよ、とシュークリームを手渡してくるセンパイから恐る恐るシュークリームを受け取って口に運ぶ。
「……味がしないです」
「夢だからね〜」
本物を食べたいなら起きないと、と言われた俺はからかわれたような気分になりむすくれた。
じーっとセンパイの顔を見ていると、図太そうなセンパイも流石に気まずいのか困ったように笑った。
「辻ちゃん、おれの顔に何かついてる?」
「いえ……あの、センパイの顔、見せてくれませんか」
「……んー、いつか見せるよ」
感情を全てを覆い隠すような笑みにあ、これは見せる気がないな、と察する。それでも俺は約束ですよ、と一方的に約束を結んだ。
「辻ちゃん服のセンス微妙な時あるよね」
「えっ…そ、そうですか…?」
「私服はまぁ…うん…って感じなんだけど、そのパジャマは男子高校生としてどうかと思うよ」
まぁ似合ってるとは思うけど、とフォローのように付け足される。自分の姿を見下ろす。俺が今着ているパジャマは恐竜の形をしている。
「可愛いじゃないですか、恐竜。それに、流石に現実では着ませんし」
「んー…まぁ、それなら…いい、のかな?」
なんとなく、センパイには犬のパジャマが似合う気がした。
今日はいつもより少し早めに寝たからか、センパイの姿が見えなかった。しばらく探していると、大きな木の根元で幹に寄りかかるようにして眠っている姿を見つけた。
「……セン、パイ…?」
声をかけても起きる気配はない。その様子に、好奇心が顔を出す。顔を見てみたい。その一心でセンパイの顔を隠すフードを取り払った。金色の髪が顕になって、何故か頭がズキリと傷んだ。
「いぬかい、せんぱい……?」
俺はこの人を知っている。
その瞬間、色々な記憶がぶわりと溢れ出てきた。
……運が、悪かったのだ。
居眠り運転だか、飲酒運転だかで暴走した車が俺たちのところに突っ込んできた。当然トリガーを取り出して起動させる時間なんてなくて。驚きで動けなかった俺を犬飼先輩は突き飛ばした。突き飛ばして、くれた。視界いっぱいに赤色が広がって、それで…もう、今すぐ病院に行っても無駄だと分かるくらいの惨状だった。
「辻ちゃん…怪我ない…?」
犬飼先輩はこんな時でも俺の心配をしていて。
「せん、ぱい…?」
「………辻ちゃんのこと、守れて、よかった…」
「ぁ…ッ、あ、あ…」
なんで、忘れてたんだろう。
「辻ちゃん、見ちゃったんだ」
いつの間にか開いていた双眸には…と息を漏らす。
「まぁ、こんなとこで寝てたおれが悪いか」
犬飼先輩の顔がトリオン不足でベイルアウトする直前のようにひび割れ始める。
「ッ犬飼先輩…?!」
「……ごめんね。辻ちゃんとまだ話してたかったんだけど」
「……そ、ですよ……ッまだ、俺といてくださいよ…!!」
「うん、でも……もうだめみたい」
確信を持った言い方に泣きながら首を何度も振る。
「やだ…ッお願い、待って先輩、ッ犬飼先輩!!」
犬飼先輩はにこりと微笑んだ。
「おはよう、辻ちゃん」
「ばいばい」