奇跡「ディオン、本当に大丈夫?」
「ああ……、すまないジョシュア。いつものことだ」
「いつもって……、最近、具合が悪そうじゃないか」
そう、ここ最近、身体の調子がおかしい。イフリートとジョシュアを乗せて、オリジンまで行って、アルテマを討たなければならないのに。決戦の日は近いというのに、いったい自分の身体に何が起こっているというのだろう。私はしばらく考え込んだ。
……、おそらく緊張のせいだろう。そうに決まっている。強大な敵と戦うのだ。身体も緊張するに決まっている。
でも……、本当に、そうなのだろうか。それだけなのだろうか。
……いや、違う。自分でも分かっている。やはり自分の心には嘘はつけない。
そう、私の恋人、テランスのことだ。ランデラでのあの時、テランスの無事を祈り、私は彼を遠ざけた。
それに私は多くの民を、たとえあの日暴走していたとしても、この手で壊してしまったのだ。これは私の罪。その罪を償わなくてはいけない。だからアルテマと決着をつけなくてはならない。自分自身の手で。
会いたい人に会えない気持ちと、私自身の罪について考えていたせいで、きっと身体が緊張しているのだろう。
「問題ない。心配するなジョシュア。オリジンに行く日になったら私を呼んでくれ。イフリートにも、そう伝えてくれ」
「ディオン……、わかった」
ジョシュアはまだ何か言いたそうな表情をしていたが、私はあえて無視をした。私の体調不良のせいでアルテマとの決着の日が遠のいてはいけない。私は具合の悪さを感じさせないように隠れ家の壁に寄りかかり、目を瞑った。
そして数日後、イフリート、ジョシュア、そして私はアルテマを討つため、オリジンへと飛び立った……。
◇◆◇◆
初めに感じたのは、強烈な吐き気だった。今にも嘔吐してしまいそうな辛さに、私は目を開けた。
「……、ここ、は……」
「! 気が付いたのね!」
目を覚ますと見慣れた天井が目に飛び込んできた。ここは……、隠れ家の医務室? 私はあの後、どうなった? アルテマは? イフリートは? ジョシュアは?
私は身体を起こそうとした、しかし、私の身体を抑えこむ手が横から伸びてきた。
「そなたは……」
「覚えてる王子様? 私よ。タルヤよ」
……そうだ、彼女は隠れ家の医師をしている女性だ。過去にも世話になったことがある。……ということは私が今いるここは……、ここが隠れ家で、彼女がここにいるということは……。
「みんな無事に帰ってきたわ。クライヴもジョシュアも。そして……、あなたもね」
「!」
そうか……、二人とも、アルテマを……。そうか、やり遂げたか……。
私はふぅ、と息を吐いた。たしかに部屋を見渡してみれば部屋に入り込んでくる光の色が以前の不気味な空の色ではない。昔の……明るい青空の色をしていた。
「クライヴもジョシュアも元気よ。あなたより先に回復しているわ。あなたは他の二人よりもずっと眠ったままだったのよ」
「そうだったのか……」
「だけど私は、あなたが目を開けたとしても、まだあなたを自由に歩かせることを許しはしないわ。……どうしてだと思う?」
突然、タルヤが不思議な言葉を発した。……どういうことだろう? タルヤは私をじっと見つめ、真剣な表情で告げた。
「王子様、あなた、……妊娠してるわよ。……まったくエッダの子供が産まれたと思ったら今度はあなたが、なんてね」
「にん……しん?」
どくん、と心臓が跳ねた。私は思わず腹部を触る。そこにあったのは……、オリジンへ向かった以前よりも膨らんだ、私の腹部だった。
◆◇◆◇
タルヤが言うには、絶対に安静にしていなければならない時期にオリジンに行ってしまったのだと言う。今思えば思い当たることがあった。謎の体調の悪さが続いたあの数か月間、あれは妊娠していたせいだったのだ。タルヤに診てもらったところ、幸いお腹の中の赤ん坊に悪い影響は見当たらなかった。知らなかったこととはいえ私は子と共にオリジンに向かい、バハムートとなってアルテマと戦っていたというのだ。戦いに耐えた私の子供はなんという強さを持っているのだろう。
そんなことを考えていた時、遠くの方からこの医務室へ駆けてくる足音が聞こえてきた。私はそこでカシャカシャと鎧が擦れる耳馴染んだ音を聴いた。一気に全身が音に集中する。この鎧の音は……。
「来たのかもね。あなたの旦那が」
……! まさか……!
隣の部屋の扉が勢いよく開けられる音がする。タルヤが「こっちよ」と部屋に入ってきた人に声をかけた。コツコツとその人物は足音を立てて近づいてくる。そこに現れたのは……。
「テランス……」
「……、ディオン様!!」
そこにいたのは愛する私の恋人、テランスだった。テランスは涙を浮かべ、ベッドに寝ている私に近づこうとした、それをタルヤが制する。
「あなたが王子様の旦那さんね。今、彼安静にしてなきゃいけないの。何故だかわかる?」
「え……?」
そしてテランスも私の妊娠の説明を受け、驚きの表情を浮かべた。そしてその後のテランスは……、涙を流していた。
「いい? 王子様。 赤ん坊が産まれるまでしばらくの間あなたは隠れ家のなかで過ごしてもらうわ。旦那さん、あなたもよ。妊娠して弱っている状態の王子様に効く薬は、旦那さん? あなたがそばにいることよ」
「もちろんです。ディオン様は私がお守りいたします」
テランスがそう告げるとタルヤは頷いて立ち上がり、「久しぶりなんでしょ」と言い残し部屋を後にしていった。私はタルヤの心遣いに感謝した。数か月ぶりの……、二人きりの時間だ。
「ディオン様……!」
「テランス……」
テランスがベッドで寝ている私を覗き込むように見つめてくる。その瞳には涙が溢れ、頬を伝っていた。
「ディオン様……、無事でよかった……。本当に……」
「すまないテランス……。お前を置き去りにしてしまって」
「私は必ずまた会えると信じておりました……!」
そうテランスは涙でぐしゃぐしゃになった顔で私の顔から腹部へと視線を移した。
「ここに……、本当に私とディオンの子が……?」
「ああ、どうやらそうらしい……、私と共に戦ってくれた子だ……。ほら、私の夫が来てくれたぞ……」
私とテランスは同時に膨らみかけた腹部を撫でた。この中に、私とテランスの子がいる。愛おしくてたまらなくなり、私は涙がこぼれた。
「一緒に戦ってくれて……、ありがとう……」
そう言葉にする私にテランスは微笑んで、私とテランスは見つめあい、そして……、唇を重ねた。そのキスの味はテランスの歓喜の涙の味をしていた。
◇◆◇◆
あれからまた数か月が経ち……、ハルポクラテス先生から頂いた薄紫色の飛竜草、イフリートの仲間、ガブから無事に赤ん坊が産まれてくるようにともらった銀チョコボの幸運のお守り、それらに囲まれて私はベッドに上半身を起こしてキエルとテランスと話をしていた。
「お腹、触ってもいい?」
「いいぞ」
キエルはそっとあれからさらに大きくなった私のお腹を撫でる。
「ここに赤ちゃんがいるなんて不思議……」
「そうだな……、今でも不思議な気持ちだ。ときどき私のお腹を蹴ったりもするのだぞ」
オリジン崩壊後、あれから世界は混乱している状況だった。しかし、イフリートやジョシュア達がヴァリスゼアを駆けめぐり、なんとか大きな争いなどが起きず、今にいたっている。お腹のなかの赤ん坊も順調に大きくなっている状況だった。もういつ産まれてもおかしくない状況なのだという。
……少し、水が飲みたくなってきた。するとテランスが偶然にも「何か飲みましょうか」と声をかけてきてくれた。
「ああ。では水を……、?」
……そのとき、違和感を感じた。はじめて知る感覚だ。この感覚は何なのだろう。
もしかして……。
テランスもすぐに私の異変に気付いたのか、そばに寄ってくる。
「ディオン様、もしや……」
「ああ……、これは、おそらく……」
「キエル、さぁ、タルヤ様を呼びに行きますよ!」
「え? テランスお兄さんどうしたの?」
キエルの戸惑いの言葉に何も言わず、テランスはキエルの手をひいて部屋からタルヤを呼びに飛び出して行ってしまった。私は段々と痛みが増していく腹部に耐えていた。いよいよ……、会えるのだ。私とテランスの子に。
◆◇◆◇
苦しい、痛い、苦しい……!
想像を絶する痛みに気絶し、また激しい痛みで意識が覚醒させられる。それを繰り返していた。いったいあれからどのくらい時間が経ったのだろう。
「しっかり! もうすぐ産まれるわよ!」
タルヤの声が、近くにいるはずなのに痛みのあまり遠くから聞こえてくる。世の親は……、皆この痛みに耐えてきたというのか。私は思わずテランスの名を叫ぶ。
「あなたの旦那も部屋の外から見守ってる! しっかりして! あともう少しよ!」
テランス、テランス……、そこにいるのか。私の視界は痛みでぼんやりとした世界しか映さない。
テランス、力を貸してくれ……! お前と私の子に、会いたい……!
遠くから「ディオン様!」と声が聞こえる。……テランス……。
負けない。この激しい痛みを、私は受け入れる。この苦しみの先には、テランス、私とお前の子が待っているのだから……。
そのとき、腹部がふっと軽くなるのを感じた。
「産まれたわ!」
私は、はっと顔をあげた。そこには小さな、可愛らしい赤ん坊がタルヤに抱えられながら産声をあげていた。私は安堵のため息をこぼし、意識が遠のいていくのを感じた……。
◇◆◇◆
夢を見ていた。私とテランスがまだ小さかったころの夢。まだ恋なんて知らなかったあの頃。無邪気な少年だった日々……。それがいつの日かお互いに年を取り、恋人同士になり、そして結ばれ……。テランスに抱かれ、この身に命を宿す日がくるなんて……。
ぱちり、と目を開けた。近くから赤ん坊の泣く声が聞こえる。私はその声の方へ顔を向けた。
そこには赤ん坊を抱いているテランスの姿があった。まだ目が開けられない赤ん坊を愛おしそうに抱いているテランス。私は目頭が熱くなっていくのを感じた。私は……、このために、苦しい人生を今まで生きてきたのかもしれない……。
「テランス……」
「……っ、ディオン様! 目が覚めたのですね! 待ってください。今タルヤ様をお呼びしますから!」
そう言って赤ん坊を専用のベッドにそっと置いて医務室を出ようとしたテランスの服の裾を、私は掴んだ。
「……? ディオン様?」
「テランス……、テランス……っ」
私はテランスへと両手を広げた。テランスは私の意思を悟ってくれたのだろう、優しく抱きしめてくれる。
「お前に会えてよかった……っ。お前がいなかったらとっくに私は駄目になっていた……っ。この身なぞ、いつ滅んでもよいと思っていた……っ。だけど、お前が、私を生かしてくれた……っ」
「ディオン……」
「愛している……っ、テランス、私の最愛……っ」
涙が止まらなかった。ぼろぼろと涙が重力に身を任せ横へ、枕へと流れていく。テランスが私をぎゅっと力強く抱きしめてくれる。
「ディオン……、私もディオンのために生きています……。あなたなしでは私は生きていけません……」
私とテランスは同時に赤ん坊を見た。私とテランスの子がここにいる。奇跡とはこういうものなのか。私とテランスが出会わなければ、産まれてこなかった命。
テランスが私から離れ、赤ん坊をそっと抱き、戻ってくる。まだ起き上がれない私に、テランスは赤ん坊を近づけてくれる。赤ん坊は泣き疲れたのかすぅすぅと眠っている。私は赤ん坊の頬にキスをした。その刺激に赤ん坊は少し顔を歪ませたがすぐにまた眠ってしまったようだ。
「これからは、家族三人……になるのだな」
「そうですね……」
「家族……」
愛する人と結ばれて、その間に出来た愛する子供。なんて、なんて幸せなのだろう。
ヴァリスゼアはまだまだ混乱の日々は続くだろう。だけど私と、テランスと、赤ん坊と一緒なら頑張って生きていける。どんな困難だって乗り越えてみせる。希望が生まれてくる。
「テランス……、子供の名前は何にしようか」
「そうですね……」
私とテランスはくすくすと笑いあった。二人で新しく産まれた命に、どんな名前をつけようか。私は笑顔で考え込んだ……。