たまになら、「偶にはいいじゃないですか?」
そう言いながら、蔵馬が背中に寄りかかってくる。
「本当は、肩を枕にしたいんですが、飛影の肩だと高さが足りないんですよね」
ぐいぐいと体重をかけてきて、その強さに負けないように、背中に、首に力を入れた。
「……寝る気はあるのか?」
「ありますよ」
そう言うと、蔵馬は座りが良い場所を探すように、体をもぞもぞと動かしだす。
「じゃあ、少しだけ。貸してください」
ふっと身体の力をぬいたようで、背中全体に重みを感じる。しばらくすると、規則正しい息の音が微かに聞こえてきた。
身体を動かせば、起きてしまうだろう。だから、このまま。その背中の温もりだけを感じている。
久しぶりに、蔵馬の部屋の窓を開けた。
すると、あっ。と、何故か困った顔で迎えられた。
「……迷惑だったか?」
「いえ、迷惑な訳、ないじゃないですか」
そう言いながら、ジャケットを脱ぎハンガーに掛けている。ちょうど、今、家に帰ってきたらしい。そんなの知るか。俺も今、ちょうど魔界から此方へ来たのだ。
ぺたりと蔵馬が床に座るので、その横に座ってみる。すると、何故か蔵馬が鼻先を近づけ、体の匂いを嗅いでくる。眉をひそめてみれば「飛影の血の匂いはしませんね」と言って、安心したのか笑った。
服の袖の匂いを嗅いでみる。砂埃と微かに錆びた鉄の臭いがする。
「怪我をしていないと、この部屋には入れないのか?」
「そんな事ないですよ」
窓の鍵だって、帰ってきたら直ぐに開けているんですよ、貴方のために。と何故か今日の蔵馬は饒舌だ。
いや、蔵馬はよく喋るし、余計な事も言う。だが、肝心な事ははぐらかす。それが今日は随分と素直に話しているようにみえた。
素直というか、注意力が散漫というか。
「…具合、悪いのか?」
「やだなぁ」
そう言って笑うが、言葉が続かない。
「………………」
「……寝てないんです」
あはは。と力なく笑う。
「仕事があるのに、魔界と霊界と、なんか立て続けに呼ばれて、動きっぱなしで…」
昔は、このくらい動いても平気だったのになぁ。と言いながら、ふぁっと欠伸をする。
それにしても、いつの間に魔界に来ていたのだ?気付けなかったのが悔しい。どこで、何をしに来ていたのか?まあ、多方、幽助か黄泉であろう。あの二人は、蔵馬に頼り過ぎている節がある。そして、蔵馬もあの二人になんやかんやと応えている。いい加減にして欲しい。
「じゃあ、寝ろ」
「えー、飛影が来たのに?」
怪我をしていない飛影が来るって、貴重なんですよ。と妙な高さのテンションで話しかけられる。そのいつもと違う感じがとても居心地が悪い。
「休んだ方がいい。寝ないのなら、帰る」
えー。と幼い生き物のように不服そうにこちらを見る蔵馬の姿は、思いの外愛おしい。
しかし、折角来たのに。蔵馬が疲れているのならば来た意味がない。蔵馬が正常でいてこそ、会いに来た意味がある。
「それなら、飛影」
蔵馬がニヤリと口角を上げ提案する。
「寝るから、枕になってください」
こうやって無防備に眠る。という事は、信頼されている。ということなのだろうな。
もうどのくらい経ったのか?蔵馬の部屋で微動だにせず、蔵馬の寝息と温もりを背中に感じながら過ごしている。
時々、何かの機械が唸るような音を立てたり、植物の葉がかさっと動いたりする。カーテンが外気で揺れて、車が近くの道路を通る。
それは、ただ。ほかの世界の話であって、耳に聞こえてくるのは、蔵馬の寝息だけだった。
決して飽きる事のない時間で、その音に集中すると、鼓動や血液が巡る音さえも認識できそうだった。
いつも、雑音が多いのだ。
偶には、こうやって。蔵馬の存在そのものだけを、感じてみるのも面白い。
「ん……っ」
すっかり眠りの深淵に堕ちていた蔵馬が浮上したのか、体がもぞりと動く。座りの良い場所を無意識に探ろうとしていた、その瞬間。
「……っ!!」
身体の重みのバランスが崩れた。
そう気付いた時には、蔵馬が自分の背中からこぼれ落ちる。蔵馬の背中より自分の背中の方が小さいのだ。下手に動けば、ずり落ちてしまうのは予想できたことだ。瞬時に体を反転させると、腕にその身体を受け止める。
「……すみま…せん」
「いや」
ちょうど、自分の膝の上に上半身が乗り、腕の中で仰向けに転がった状態で、蔵馬が目を覚ました。
目覚めと共に体が傾いたから驚いたようで、瞼を何度か瞬きながら、こちらを見上げている。先程よりは体調も良さそうにみえた。心がホッとする。
「眠れたか?」
「ええ、ありがとうございます」
自分の太腿に、そして受け止めた腕に、蔵馬の黒髪がさらさらとかかる。
その流れるような造形が、ああ、綺麗だな。と呟きそうになる。
「でも、もう少し、ここで寝ていたい……です」
その綺麗な蔵馬が、少しはにかみながら言うのだ。断るという選択肢があろうものか。構わない。と肯首すると、良かった。と小さく喜ぶのだから、たまらない。
そして、俺の腕の中で、再び目を閉じようとする。
ああ、でも。
「……駄賃を寄越せ」
そっと、腕にある体を抱き寄せて、俺は身を屈めて、くちびるを重ねた。