Lost THE Memory――ぜってえに忘れねえって約束したんだ。俺の守りたいモンは...。
朝の畑当番を終えて身支度を整えていると、遠征に行く予定の豊前が部屋に入ってきた。
「松うう」
「おはよう、豊前。どうしたの?もうすぐ遠征に出る時間だろう」
「今回はちと長えからさ、充電しに来た」
「充電って...」
そう言うなり、豊前は僕を背中から抱き締める。豊前の前髪が少しだけ首に触れてくすぐったい。いつもより強く抱き締められているからなのか、豊前の香りが強く香る。
今日の香りはいつも違う。何て言うか、リキュールとナッツを効かせたバニラような...... 甘さと香ばしさに少しの苦味を忍ばせた大人の男の香りがしてクラクラした。
「豊前、おまじないするから目を閉じてほしい」
「まじないって...よくわかんねーけど、分かった」
豊前が腕の力を弱めてくれた。僕は体勢を少しだけ変えて、目を瞑る豊前の唇に自分のを重ねた。
これでだいじょうぶ、と伝えようとした言葉は豊前の唇に塞がれた。触れるだけのキスを繰り返した後、豊前は大きなため息を吐いた。
「......はあ、松、お前ほんと...」
豊前はその先の言葉は紡がなかった。僕の肩口に鼻を埋めてはゆっくり吸うのを繰り返して抱き締める腕に強い力が込められた。
と、そのとき。廊下から清光さんの声が聞こえてきた。
「ねえ、豊前そろそろ出陣だけどいる?」
はい、ここにいます。
清光さんは僕らの状態を見て、気持ちは分かるけどと言った後、豊前の襟をむんずと掴む。
「豊前、お取り込み中のところたっっいへん申し訳ないけど、そろそろ行くよ!!!今日はアンタが第一部隊の隊長なんだから!!」
「隊長は嬉しいけど、いまの俺には松が足んねえっ」
「ばかいってんじゃないのっ。もー、時間がないんだからっ」
勢いよく剥がされ、襟を掴まれた豊前はずるずると引っ張られていく。ちょっと可愛い。
「松井、ちょっとだけ彼氏借りるね~。任務終わったらすぐ返すから」
「よーく鍛えてやってください。豊前、いってらっしゃい」
「おう。松、無事に帰ってくっからよ」
片目ウインクをして、豊前は清光さんと一緒に審神者の部屋へと急いでいった。僕は二人の背中が見えなくなるまで、見送ることにした。
豊前たちが帰ってくるの二日後だ。帰ってきたら好きな物をたくさん作ろうと思い、歌仙さんに相談することにした――。
***
二日後。
豊前たち第一部隊の帰還に合わせて、歌仙さんと皆の好物を作っている。最初の頃、料理は苦手だったんだ。でも、美味しいと言って食べてくれるから作り甲斐があって、こうして時々歌仙さんに教えてもらいながら、一緒に調理をしている。
「うん、これだけあれば充分だろう。松井江、米は炊けているかい?」
「はい。ばっちり炊けています」
「お弁当は持たせたとは言え、お腹を空かせて帰ってくるだろうから。食べることは生きることだからね」
お腹いっぱい食べることが出来れば、外国でも日本でも、戦争は起こらないだろうに。と、歌仙さんはどこか悲しい表情を浮かべていた。
「おや、中庭が騒がしいね。帰ってきたのかな」
「じゃあ、冷めないうちに運びましょう」
「そうだね」
バタバタバタッ。誰かが廊下を急いでいる音が聞こえる。
「あ、よかった松井!ここにいたんだ!」
「こらっ、加州。廊下を走るのは厳禁といつも言っているだろうっ」
「それどころじゃないんだよッ。松井、大変だ!豊前が、豊前が……!!」
「え、どうしたの?」
まさか、折れたとかじゃないよね。
清光さんの慌てる様に、嫌な汗が背中を伝う。
「豊前が……豊前の意識が敵に飲まれた……。最悪なことに、記憶まで失ってて……。俺たちがもう少し、あと少しだけ強かったら……!!」
最後の言葉は涙まじりになっていた。これは戦いだから、誰を責めるとか、そういう問題ではない。僕は膝をついて視線の定まらない清光さんの手を握る。責任を感じているのだろう。その手は冷たくて、震えていた。
「……清光さん、ありがとう。教えてくれて。それで、いま豊前は何処に?」
「だいぶ暴れていたから、麻酔を打って処置室にいるよ」
「そっか……。よかったよ、折れてなくて。豊前が生きてて、ほんと…よかった」
不思議なことに、悲しみは浮かんでこない。そう、豊前が折れなかったこと、ちゃんと帰ってきたことに僕は安堵していた。
「強いね、松井は……」
「誰かさんに愛されてるお陰かな」
「……会いに、行くんでしょ」
「うん、ダメって言われても行く」
「俺もついていくから、着替えたら行こっか……。歌仙、俺は後からご飯食べるから。新人たちが動揺しちゃってるから、なんかホットミルクでも出してあげて」
「ああ。安心させないとね。ご飯は運んでおくから、時間が出来たら食堂においで」
「うん、サンキュー。じゃあ、松井あとでね」
よいしょ、と立ち上がって、清光さんは自室へ戻っていく。服がところどころ千切れている。さっきの手も怪我ばかりだった。副隊長として奮闘してくれたことが窺えた。
「君も飲むと良い」
さっと差し出されたのは、りんごのような香りをしたお茶だ。実は僕自身も震えていたのは、バレていたようだ。口にすると、お茶とハチミツの甘さが丁度よい。
「あんまり、思い詰めないことだよ」
「ありがとうございます。記憶が戻ったらを怒ろうと思います」
「ああ、無茶苦茶をして、僕を忘れた罪は万死に値する!くらい言っても僕は良いと思うよ。……記憶、戻ると良いね」
歌仙さんが優しい手つきで、僕の頭を撫でた。
うん、僕は大丈夫。言い聞かせて、豊前の眠る処置室へ清光さんと向かった。
***
向かう途中から、「ここはどこだ、出せっ」っていつもよりドスの聞いた声が聞こえてきた。ああ、相当怒ってるなあ。ドクターを困らせてなきゃいいんだけど。
「ヤッホー、ドクター。豊前の調子どんな感じ?」
清光さんは部屋に入ると、ドクターからいろいろと聞いている。検査の結果、頭部に異常なし、内臓にも異常はないことから、敵の意識が出ていくのを待つしかないそうだ。
「豊前、体は大丈夫?」
「………………あ?」
これは喧嘩上級者のメンチ切りだ。
「アンタ、誰なんだよ。また、刀剣男士ってやつか?」
「豊前、あのねえ!同室の相手にいきなり威嚇はないっしょ!」
「知らねえもんは仕方ねえだろ?で、誰なんだよこの女みてーな面したヤツは」
「あちゃー、本当になにも憶えてないのね」
「僕は松井江。君と同じ作の刀だよ」
豊前は興味がないと言った感じで、そのまま目を瞑ってしまった。
「ほっんと!なんなの!」
「清光さん。僕なら大丈夫だから。ね?」
「……記憶戻ったら、豊前のこと一発殴っていい?」
「どうぞ。僕も殴りたくて殴りたくて仕方ないんですよね」
いまは怒りの方が勝っている。だからそこまで落ち込んではいない。
豊前は様子見も兼ねて、処置室で1週間ほど静養するようだ。
ほんと、困った。僕はどうやら、カッコよくてめんどくさくて、可愛い豊前を愛してじつている。
***
その夜。
縁側で1人で呑んでいると、清光さんがやあとやって来た。手には徳利とお猪口の乗った盆がある。様子を見にきてくれたのだろう。
しばしの沈黙。互いに酒を少しずつ口に運び、夜空に浮かぶ三日月をみあげる。
「……あのさ、ひとつ、聞いてもいい?」
「なんですか?」
どうして松井は、そこまで強い気持ちでいられるの?俺、松井は泣きじゃくるかと想ってた。
「……昔の僕なら泣き崩れていたと思います。いまはなんていうか、ちょっと図太くなったのか、僕を忘れたことを後悔させてやる!ぐらいには強気ですね」
「強いね、 松井は」
「ううん。豊前がいたから強くなれたんです。僕は豊前を信じているし……」
「記憶が、戻るって、確証はないじゃん」
「大丈夫です。僕が豊前を好きだから、戻ります。戻らなかったらお尻ペンペンの刑に処しますよっ」
「そっか……。ねえ、今日は俺たちの部屋においでよ。なんか和泉守がさ、良い酒手に入れたんだって。爪紅も新しいの試そうよ。ね?」
「……はい」
新選組の部屋に行くと、既に飲めや歌えやで明るい声が響き渡っている。今夜は浦島くんも来ていて、お兄さんと飲む姿は嬉しそうだ。
ありがとう、清光さん。
ありがとう、新選組所縁のみんな。
僕は、大丈夫。
叫んで、泣いたって、敵に意識を飲まれる万江の豊前は戻ってこない。それならば、僕は普段通りに彼に接するのみだ。
時間がかかってもいい。
たとえ記憶が戻らなくても、僕は豊前がいるという現実に安堵していた。
◆◆◆
豊前が戦闘で記憶喪失になってから2週間が過ぎた。経過観察では問題がなく、普通に生活をしていいと政府機関の医師から許可が降りた。
まだ任務などには参加できないが、経過は良好と言う結果に皆は安堵した。しかし、松井に関する記憶は未だ戻らぬまま。皆はそのことを心配していた。
「まったく、勝手に皆がしんみりしてるよ」
「そりゃあそうだろう。君たち二人は僕らから見ても仲睦まじかったのだから。皆はきっと、松井が落ち込んでしまわないか心配なんだよ」
「それは、十分伝わってきてる。それに」
僕はそこまで打たれ弱くないですから。松井は力強く言う。
松井はスープ用の野菜を素早くサイコロ状に切っていく。
歌仙は無理をしていないかやはり心配だったのだが、今朝の様子を見る限り無理はしてなさそうだ。
「しかし、君のことを忘れた豊前となると、大変じゃないかい?」
「なにがです?」
「色々と、だよ。運ばれた時もだいぶ悪態を吐いていたそうじゃないか」
「ああ。あれは憶測でしかないですけど、北九州の豊前が出たんじゃないかと。可愛いと思いますけど」
「僕は改めて君が強いと思うよ」
「ありがとうございます」
今朝のメニューは厚切りトーストに目玉焼きと野菜スープがついたモーニングセット。短刀の子にも合わせウインナーがついている。
甘党のメンバーにハチミツとメープルシロップを。和でいきたいメンバーのためには、海苔やスライスチーズも用意してある。
「おはっよう~!わあ、今日も美味しそうだね!僕運ぶの手伝うよ!」
「ああ、ありがとう」
厨に入ってきたのは、大和守だ。今まで手合わせをしていたのか、首にはタオルがかかっている。
「ほらほら、豊前さんも手伝って」
「俺が?なんで?」
「働かざる者食うべからずって言葉があるでしょ」
「ちっ……」
髪の毛をがりがりと掻いてから、豊前は松井の横に行ってどれを持っていたら良いのかを聞いている。
その様子を見る限りはいつもの二人に見えてしまうのだから、現実は残酷だ。
豊前は松井の肩に顎を乗せて鍋の中身を見ている。
「俺は味噌汁と明太子が食いてぇ…」
「お昼に明太子の入ったいにぎりにするから。今朝はパンで我慢して。って言うか、厚切りトーストをリクエストしたの豊前だからね?」
「わーったよ。悪かったって。このスープの方持っていけばいいんだな」
「うん、よろしく」
口は悪いが、所作などは記憶を失う前の豊前と変わらない。そう、松井の記憶がないだけで、豊前は“いつもの豊前”なのだ。
「歌仙さん、豊前さんの記憶戻るのかな…」
「さあ。僕には分からない。ただ、信じるしかないさ。豊前の想いはそこまで弱くないだろうから」
歌仙は鍋の前に立ったままの松井の頭を優しく撫でる。
やはり、我慢していたのか。
松井は声を殺して泣いていた。
「僕が言えることではないけれど、彼はきっと君の名前を呼んでくれるさ」
「違うんです…。豊前が、折れなくて良かったと思ったら安心しちゃって…。生きてくれてて良かった」
「松井さん…。僕は信じるよ!だって、豊前さんから松井さんのこと無くなっちゃったら豊前さんじゃないもん!」
「大和守の言う通りだ。暑苦しいくらい君を好きな豊前が見れないのは、楽しくないね。今の豊前に嫌なことをされたらすぐ僕に言いたまえ。成敗してくれよう」
「……ありがとうございます」
松井は知らなかった。この時、厨の外で豊前が三人の話を聞いていたことに。
「俺だって、進んで忘れた訳じゃねえよ」
豊前の呟きは鳥のさえずりに隠れて三人には届いていない。
朝餉の後、豊前は本丸内を散策していた。戦闘に出ることはできるのだが、メンタルが安定しないためしばらくは非番ということになっている。
(事実上、リストラみたいもんだな。仕方ねーけど)
記憶喪失になったから皆が優しいのかと思ったが、それは違った。皆、もともとの心根が優しいのだ。
前と変わらずに接してくれることは、<いまの>豊前には有り難かった。どう反応しようなと迷わないで済む。
同室で、記憶を失う前の豊前と恋仲だと聞いた松井も普通に接してくるから、豊前は驚いた。もっと怒ったり泣いたりするかと思っていたのだが。
「俺の方が情けねえ」
自分は強いと思っていた。それは違った。松井の方がよほど強い。記憶を失ったからと言って、松井に当たるなど最低だ。
豊前は考えた。もし、もしも記憶が戻らなかったら松井はどうするのだろうか。
「あいつの記憶がねーんだ。俺が捨てられても仕方がねえよな」
そこまで松井を傷つけてしまったのは事実。先日の、廚で泣いていた松井が頭から離れないでいた。
「出ていったほうがあいつのためなんだろうな」
記憶のない自分より、新しく顕現した豊前との方が前に進めるんだろう。それに、いまは足手まといだ。
「主に相談しねえとな…」
その夜。豊前は縁側で月見酒をしていた。つまみは枝豆とハムカツ。余り物で作ったが上手い。
「隣、いいかな?」
松井の声だった。寝間着ではなくて、内番の衣装だった。
「今日は事務処理がたくさんでね。いままでかかってしまったよ」
「お疲れさん。お前も呑むか?」
「うん。じゃあご相伴にあずかろうかな」
松井の所作はひとつひとつが美しいと思う。雰囲気もどこか儚げで、未亡人という言葉は松井のためにあるようだと思う。
「……豊前さあ。僕の前からいなくなったりしないでよ」
「……!!」
「やっぱ図星だった。前からちょっとよそよそしかったもんね」
「そりゃ、そう考えるだろ。俺は記憶がねーんだ。お前の知ってる豊前じゃねえし」
「記憶がなくても、豊前は豊前だよ。僕の好きな豊前に変わりはないから。豊前は僕が嫌いかい?」
「嫌い、じゃねえよ。むしろ感謝してるし、その、なんだ……あー、うまく言えねえ」
「なんでお前、そこまで信じることができるんだよ…」
「僕の好きな人は豊前だからだよ。君の記憶がなくたって、僕の心にはいつも君がいる。それだけで僕は生きていけるんだよ。それに、僕はこう見えても独占欲も強いしね。豊前……君は、また僕を好きになるよ。それは僕が断言する」
松井は豊前の手をとると、優しく握りこんだ。熱が互いに伝わって混じる感触が心地いと、豊前は感じた。
「はは、すげえ自信」
「自信はあるよ。豊前、試しに僕を抱きしめてみてくれないかい?」
「……記憶が戻った俺に怒られても責任持てねえからな?」
「うーん、そこは豊前だから大丈夫?」
豊前はゆっくりと手を伸ばした。まずは松井の髪を、顔を触って確かめる。背中に腕を回して引き寄せると、「ふふ」と松井の笑った声がした。
「震えてるね」
「当たり前だろ……。でも、なんか、しっくりくるっつーか。心の隙間が埋まった感じがする……。俺は、この抱き心地も松井の香りも、知ってる……一番、安心する場所なのか」
「やっと解ってくれた……」
豊前はしばらくの間、松井を抱きしめたままでいた。松井は豊前の背中に腕を回すと、赤子をあやすように優しくさする。「きみはひとりじゃないんだよ」という松井の言葉に、豊前の肩が跳ねる。豊前は、これまでの空白と、寂しさを埋めるかのように離そうとはしなかった。
「…松井を、抱きたい」豊前が掠れた声で告げた。松井はうなずいて、そのまま身を任せた。豊前がいるならそれでいい。これまでしたことのない激しいもたくさんした。これからもこの先も、後悔はしたくない。この体に豊前を刻みたいと、松井は願っていた。
◆◆◆◆◆
翌朝。松井は本丸から少し離れた森にいた。気配を殺して周囲を観察している。目的は敵の残滅。
「後ろに短刀が3体…7時の方向に脇差2体…。大方、豊前を狙って僕が堕ちるのを計画したんだろうけど……。僕はそこまで弱くないからね」
ざわざわと木が揺れた。向こうも松井の出方を伺っているようだ。松井の耳が僅かに動いた。背後の敵が動く気配を感じ悟られないよう刀に手をかける。
「後ろか……!」
松井の動きは速かった。膝の力を抜いて曲げたと同時に刀を逆手に持ち替えて、素早く刀を連続で突き刺した。松井の速さに対抗できなかった短刀はすぐに灰となって消えていく。松井はすぐに態勢を整えて座ったまま脇差を斬り上げた。
「ごめんね…。僕、ここの本丸じゃいちばん優しくないんだよ。豊前を襲ったこと、後悔するといい」
わずかに動く敵に向かい、松井は刀を真っ直ぐに突き立てた。刀が地面にめりこむほどの力がかかっている。短刀が灰になると、地面にきらきらと輝く球体が落ちた。そう、これこそが豊前の記憶の欠片だ。
「これで、豊前の記憶のカケラは取り戻せた……」
松井が球体を天に向けると、球体は光に包まれたと同時に消えていった。うまくいけば、豊前の中に戻っているだろう。
「帰ろう。僕の帰る場所へ」
松井が本丸に戻ると、豊前が慌てていた。怒鳴り声も聞こえる。なにも言わないで外に出たからだろうな。
「豊前。そんなに怒ると血圧が上がるよ。僕みたいに鼻血を出したいのかい?
「松……!」
「ただいま」
「松…!!どこ行ってたんだよ!!ひとりで無理すんじゃねえっ。こんなに怪我までして!俺の寿命を縮める気かよ!」
「僕が決めたんだ。君に言われたくない」
「俺が、どれだけ……どれだけ心配したっち思うちょるんや!」
豊前の勢いは止まることはなさそうだ。心配していてくれたことは痛いほどわかる。しかし、これは松井がひとりで解決したかったことでもある。
「はいはい。そこまでにしたまえ。松井はすぐお風呂にいくこと。今日は二人とも非番にするから、よーく話し合うといい」
見かねた歌仙が二人の肩を叩く。見れば、心配した仲間たちが玄関に集まっていた。確かに、ここでは皆が驚いてしまうな。
歌仙からおやつセットを受け取った松井は、「豊前、戻るよ」と言い足早で自室へと向かった。豊前は溜息を吐いた後、松井の後を走って追いかけていく。
「歌仙さん。お二人とも、大丈夫でしょうか?」
虎を抱えた五虎退が歌仙を見上げて問う。
「なに、心配はいらないさ。愛は強いからね」
歌仙は五虎退の髪をくしゃりと撫でて微笑んだ。
(あとは君たち次第だね。がんばりたまえ)
◆◆◆
おやつセットの中身はどら焼きだった。松井が食べたいと言っていたのを歌仙は覚えていてくれたのだ。朝ごはんを食べずに出発したのもあって、松井のお腹はぐううと鳴った。歌仙の作る甘味は好きだ。甘すぎないからくどくない。松井はハムスターのように頬を膨らませて食べていた。
「……まつ、その、すまん」
「?なんで豊前が謝るんだい?」
「記憶を失っていたとは言え、ひどいことを言ったりして、済まなかった。たくさん、傷つけたよな……」
「僕は君がいれくれればそれでいいのに」
「俺が…!俺が自分で自分を許せねえ!まつの過去も知ってるのに、傷を抉るようなことも言ったし……。なあ、俺にもう一度だけチャンスをくれねえか?」
「チャンスもなにも、豊前はここにいるじゃないか」
松井はゆっくり立ち上がると、豊前を腕に包み込んだ。豊前は唇から血が出てしまいそうなほどに、噛んでしまっている。痛いだろうに。
身体を少し離してから、豊前の頬に触れる。赤い瞳が、炎のようできれいだ。僕の好きな色、と松井は呟いた。
「まつ……」
「ねえ、豊前。怒って、いいんだよ?」
「まつ、おれは、」
「何で記憶のない豊前と寝たんだ、とかそういうことで感情を出していいんだよ。僕らはいまヒトの身だ。感情があるのが当たり前だし、それがフツウなんだよ。豊前の感情は僕が全部受け止めるから、僕に全部見せてくれ。君の闇を受け止めるのは、僕の役目だろう?」
「まつ……っ」
豊前は松井を抱き寄せて、噛みつくようなキスをする。最初こそ唇を触れ合わせるだけだったが、松井は唇を薄く開いて豊前を誘う。赤い舌に誘われるように、豊前は舌を絡めていった。松井の吐息が鼻から洩れると、豊前は更に口づけを深くした。
「松……抱いていいか?」
「いいよ……。豊前の好きに、抱いて?」
松井は豊前の腰を服に上から撫でていく。その動きに豊前の口から艶っぽい息が漏れた。
「優しくする余裕ねえかも」
「うん、それでもいい」
宣言とは裏腹に、豊前は松井をやさしくやさしく抱いた。松井の体を味わうようにじっくりと撫でたりしたことで松井はなにも考えられなくなっていた。
松井の乱れる姿に、豊前はなんどもきれいだと囁いた。だが、心の奥では記憶のない自分にも嫉妬はしていて。自分だけど自分じゃない豊前が松井を抱いたかと思うと、体中の血液が沸騰しそうなほど狂いそうだ。
「まつい、好きだ」
「ぶぜ……。ん、ぼくもすき」
豊前に激しく奥を突かれて松井の口からは声にならない悲鳴が上がった。瞳から落ちるその雫を豊前が舌で拭う。それすらも敏感に感じるのか、松井の体は収縮を繰り返す。
お互いの闇は二人で分け合って背負えばいい。
本体が壊れるまで、この手は離さない。
人の身を終えるときも、二人で朽ちよう。