宿の一階にある酒場。
俺はそこで酒とつまみをちびちびやりつつ、離れた席に座って飲んでいる赤毛の男にチラリと目をやった。そいつは昨日負った腕の怪我が影響しているのか、ジョッキを持ち上げる動作にも少しぎこちなさを感じる。
──どうも気に入らねえ。
何がって、あのアデルとか言う騎士だ。
明るく真っ直ぐな性格で、弱者を放っておけない騎士の鑑みたいな奴。おまけに顔がいいもんだから、街の女達からも人気が……ってこれは私怨になるかもしれねぇが、とにかくこのジェレミー様にとって、気に食わない存在だった。
それに拍車を掛けたのが、昨日の出来事。
この辺りじゃだいぶ叩きのめしてやったと思ってたゼノイラ軍の残党が、小さな村を襲っていると。奴らの目を盗んで村から逃げ出してきた男が、ちょうど近くを行軍してた俺達に縋り付いて助けを求めてきたもんで、急ぎ救援に向かう事になったんだが。
「──俺、先に行って様子を見てきます!」
周りが止める間もなく、馬を走らせ単騎で向かったのはアデルの野郎。
小さくなっていく背中に、ふとアイツの影が重なった。
舌打ち。そして『バカが』という罵倒が口を衝く。
すぐに飛行部隊の姐さん方も後を追ったが、村に到着した頃にはあの騎士サマ、当たり前の話だが敵に取り囲まれて、大立ち回りを繰り広げてたらしい。腕の怪我もそれが原因だ。
アデルが悪い奴じゃない、むしろいい奴の部類だってのは、そりゃ俺にも分かってる。だが俺はアデルを見ていると、昔の相棒をどうしても思い出しちまって、勝手にイライラしてたんだ。
俺なんかを庇って死んだ、正義感に生きたお人好し。
騎士になりたいと言っていたアイツが、もしその夢を叶えていたら。こんな感じだったのかもな……なんて。つい想像しちまう事もあったが──似ているからこそ、アデルの奴もそのうちくだらねぇ死に方をするんじゃないかって。この俺様が気を揉まされるのも腹立たしかった。
ついつい睨め付けるような視線をアデルに向けながら、酒を呷る。すると同じようにこちらを見ていたアデルと目が合い、しまったと思った時には遅かった。僅かな間の後、奴はガタンと席を立ち、俺の方に向かってくる。
「あのー……」
俺の不躾な視線に腹を立てている様子はない。が──
「ジェレミー殿。俺、貴方に何か失礼な事でもしてしまいましたか……?」
困ったように笑うアデルの態度が、また俺をイラつかせた。
解放軍内部での面倒事は、正直なところなるべく避けたい。しかしこの際、アデルに嫌味のひとつやふたつ言ってやりたい気持ちもあった。
さてどうするかと、俺が思案し始めたその時、
「アデルさんよ、気を悪くしないでくれ。こいつ、あんたの怪我が心配みたいでさ」
「!?」
背後から突然現れたでかい手のひらに口を塞がれたと思えば、頭上からは聞き覚えのある声が降ってくる。
顔を見ずとも誰かは分かった。最近やたらと俺様に構ってくる、物好きでお節介な男──オーバンだ。
「これを渡すタイミングを伺ってたらしいぜ。ほら」
言ってオーバンはヒールポーション入りのボトルをアデルに投げ渡す。アタフタとしながらも、両手でキャッチするアデル。
……それ、俺のじゃねぇし。お前の私物だろ。何勝手な事してんだ。
文句を言おうにもモガモガという声にしかならねぇし、空いてる方の手で肩をがっしり押さえられてるから身動ぎするぐらいしかできねえ。くっそこの馬鹿力め。
「あ、ありがとうございます……!」
アデルもアデルで、オーバンの言葉を信じ切って目を輝かせてやがる。
このやりとりで何だか気分の萎えちまった俺は、オーバンの腕を軽く叩いた。すると俺の意図を察したのか、漸くオーバンが力を緩めて身を離し、
「アデル、お前さんも酒はほどほどにな。怪我に響くぜ」
ひらひらと手を振って、去って行くオーバン。
……ったく、あの野郎。
この微妙な空気、どうしてくれるんだよ。
「す、すみません、ジェレミー殿。なんだか心配して頂いたみたいで……」
こいつは相変わらず勘違いしたままだしよ。
後ろ頭を軽く掻きながら、照れたように笑っているアデルを半眼で見やって、呟く。
「……前から思ってたんですけどね」
オーバンの乱入により勢いこそ削がれたが、アデルへの苛立ちは未だ俺の中で燻っている。結局俺は、それを少し吐き出させてもらう事にした。
「昨日の件といい、あんた、そんなんじゃ長生きできませんよ。騎士ってやつはみんなそうなんですかい?」
「騎士という点なら……ジェレミー殿も同じでは?」
「俺は傭兵上がりでして。騎士叙勲は受けましたが、騎士様のご立派な志とかそういうのは、ちょっとよくわからんのですわ」
軽く肩を竦めた俺に、アデルは僅かに苦笑して、
「まぁ……そうですね。誰かを守ってこその騎士、みたいなのは確かにありますけど……」
──くだらねぇ。
そう俺が毒づく前に、アデルが先に言葉を続けた。
迷いのない声で、きっぱりと。
「でも、死にませんよ。俺は」
さっきまでのヘラヘラした様子が嘘のように、毅然とした態度で。
「友人と約束したんです。お互い生きてこの戦いを終わらせようって。それに俺の命は、大切な人達から繋いでもらったものなので! 絶対、無駄にはしません!」
ニッ、と笑みを浮かべながら。
こっちが気圧されるぐらい堂々と、言い切りやがったこの男。
一体何の根拠があって、そんな自信たっぷりに言えるんだこいつ。
毒気を抜かれたり呆れたりで、クソデカ溜息が漏れそうになったものの。
アデルが単なる考えなしではないと分かり、妙に安堵している俺が居た。
ただ理想に殉ずる事を良しとせず、生への固執がある。
遺された者の痛みを知っている。
なら──無闇に命を落とすような真似はしない筈だ。
まあ多少危なっかしい所はあるものの、俺の一番嫌いな展開にだけは……ならずに済みそうだ。そんな風に、思えた。
「……そうですか。なら俺が、あれこれ言う必要も無さそうっすね」
「いえ、ご忠告ありがとうございます。俺も留意しておきます」
互いに顔を見合わせ、ふっ、と小さく笑う。
奴が何を思って行動しているのか。少なくとも死ぬつもりはないと、アデル自身の言葉で聞けたせいだろうか。アデルに対する苛立ちは、不思議な事にかなり収まりを見せていた。すると今度はこの人の良さそうな兄ちゃんに、嫌味よりも軽口を叩いてやりたくなって、
「けどね、必要以上の怪我は、やっぱり避けた方がいいと思いますよ? でなきゃアレインのダンナの心労が酷くなっちまう」
「へ? ……えっ!?」
アレインの名を口にした途端、露骨に狼狽え始めるアデル。その分かりやすい姿に笑ってしまいそうになる。
「俺も大概サボり癖がありますもんで。今度、もっと人気の無い場所を教えましょうか? まあお代はしっかり頂きますがね」
そう言って席を立ち、固まっているアデルの肩をポンポンと叩いて、階段へ向かった。
「ちょ……ジェレミー殿っ!?」
背後から聞こえてきた、アデルの上擦った声。
わだかまりの解消と意趣返しが出来た事で、少しスッキリしながら。
俺は鼻歌混じりに階段を上って、自分の部屋へと戻ったのだった。