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    6wound

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    【セイレム】 ロビンとサンソンの話

     ◇


     三流役者と笑いにきたか――おもむろに向けられたその顔には、こう書いてでもあるかのようだった。
     目尻を優しく下げているわりにふてぶてしい眼差しと、嘲笑的に吊り上がった口角。彼のそれは何度目にしても慣れるということがない。片目、つまりはたったひとつきりであるというのに、あの目玉に射抜かれるとつい肩をすぼめてしまう。身も蓋もない表現をしてしまうと、苦手なのだ。シャルル=アンリ・サンソンは口をつぐんだまま、両手で背もたれをつかんでいた椅子を引く。
     まったくどうしてこの男は、マントを頭からすっぽりとかぶっているのだろうか。店の中にはひどく姿勢の悪い店主と、常連らしい年寄りの客がひとり、いるだけだ。軽口の中でやたらと登場する村娘の姿もなく、閑散としているというのに。
     この地にレイシフトして以来、どうやらお気に入りらしい深緑色のマントを羽織ってこそいるものの、橙色に輝く髪ごと顔を覆っている姿など、見たことがなかった。サンソンは訝しげな表情を隠そうともせず、椅子ひとつ分離れた場所からその顔を覗きこむ。そこに遠慮などはない。
    「シードルがないんじゃねえ。気分も上がらないってもんよ」
     このぼやきにも似た感想には、サンソンも同意をせずにはいられなかった。
     シードルは、サンソンの故郷であるフランスの、ブルターニュ地方で盛んに作られていた果実を発酵させた醸造酒だ。ワインばかり飲んでいるイメージを持たれがちなフランス人であるが、実のところシードルも非常によく飲む。サンソン自身も食前酒や寝酒の一杯として、頻繁に口にしたものだった。特に翌日に「仕事」を控えた夜は、たかぶる感情と鳴りやまない心臓の音をリンゴの香りが鎮めてくれたように思う。しかし、そんなサンソンとも縁深いシードルと目の前にいる男との間には、奇縁があったずではなかったか。それも、あまり大きな声では言えない類いのものが。
    「きみはもう、シードルには懲りたとばかり思っていたが?」
    「ハッ、まさか。ンなわけねえよ……多分」
     ロビンフッド。彼の唯一隠されていない口元がにわかに歪んだのは、あの日の二日酔いの記憶を辿ったからだろうか。そんな想像はサンソンの心を妙に明るく、気分を上向きにさせた。ほんの数秒前までは酒場といえども飲食をする場でマントをかぶり、テーブルに肘を突くというロビンフッドのマナーの悪さに眉をひそめていたのだ。そう思うと自分は案外――単純な英霊であるのかもしれない。そうした評価は過去の自分とは少し、いやずいぶんと違っているが、サンソンは今の自分が嫌いではなかった。相変わらず、貴族と呼ばれることには慣れないが。
     椅子に座り、眼前に並ぶ様々な酒の瓶を眺めていた。ワインラベルのコレクションこそ経験があるが、ラムやテキーラなどという異国の蒸留酒は、サンソンにとってあまり馴染みのないものだった。だからこそ立ち並ぶほとんどが物珍しく、ある意味では興味深く瓶から瓶へと視線を遊ばせていたのだ。
     とはいえ、その手の酒についての知識はもちろんある。特にテキーラはという酒はリュウゼツランという植物から醸造されており、とある国のごく限定的な地域では薬酒として用いられているらしいという点から、医学の心得のあるサンソンにとって興味深い酒に違いなかった。しかし、どうもそれらを口にしてみようという思いに至ったことはなかった。もっともフランスの地にテキーラという酒がやってきたのは1800年代の、それも後半のことであり、生前のサンソンがそれを口にする機会に恵まれることはなかったのだが。
    「あのなぁ、坊ちゃん」
     唐突に、乾いた笑い含みの呼び声が横顔にぶつけられた。サンソンは右隣を視線だけで振り返り、きゅっと眉根を寄せた。
    「……その坊ちゃん、というのは僕のことか?」
    「ハイハイご名答。つーか、他に誰がいるんだよ。あのな、おまえさん、ここをどこだと思ってる?」
    「どこって、酒場だろう。レイシフト直後からきみが来たいと騒いでいた……」
    「ハイハイまたまた大正解。だったら、酒の一杯でも頼むのが礼儀ってモンでしょうが」
    「ん、ああ――そ、そうか。なるほど」
     気恥ずかしさをごまかすためのサンソンの咳払い。それが妙に大きく、がらんとした酒場の中にこだました。このときサンソンは、おそらく長い間この店に棲みついているであろう閑古鳥、それを少しだけ恨みがましく思った。それどころか、田舎臭いが美しい顔立ちの村娘が二人ほど来店してくれやしないだろうか、そうすればこのロビンフッドはとたんに自分から興味を失い、彼女たちを口説くことに集中し始めるだろうに――と、こんなことまで考え出す始末であった。
    「世間知らずなお坊ちゃんで悪いねえ、旦那」
     ロビンフッドに「旦那」と呼ばれた店主はさして興味もないのか、二人の会話にのんびりと微笑んでいる。サンソンのオーダーを促すでも急かすでもなく、ましてやロビンフッドの言うところの「世間知らず」っぷりに憤慨する様子もなく、ただただカウンターをクロスで拭いたりグラスの位置を並べ替えたりといったことをくり返している。有り体に言えば、暇なのだろう。その証拠に、初対面のサンソンの目から見ても表情が眠たげだ。
    「水夫たちのいないここは静かなもんですなあ。ったく、哪吒とここに来た日は散々な目に遭ったが――」
     この言葉がカウンターの中の店主ではなく、自分に向けられているのだということに、サンソンはしばらくの間気付かなかった。だからこそ、さてどの酒を頼むべきか――とこう、立ち並ぶ酒瓶を前に真剣な思案顔を浮かべていたのだ。独り言と大差ないボリュームで放たれたロビンフッドのぼやきなど、聞き逃して当然だった。しかしロビンフッドの単眼が、グリーンのまなこが自分をじっと、まるで返事を心待ちにしているかのような温度をもって見つめている気配を感じ取ったとき、サンソンは心底驚きほとんど無意識のうちに素っ頓狂な声を上げていた。
    「ヘ? 僕?」
    「ちょ、なんだそりゃ……あんたに決まってるでしょうが。それともなにか? オレはいもしない相手に向かってしゃべくってるヤバい奴、ってか?」
     これは恥辱を受けたと感じたせいなのか、はたまた単なる照れ臭さなのか。頬に熱が上がるのを感じた。それと同時に急激な喉の渇きを覚え、サンソンは慌てて店主に向かってこう言い放った。「彼と同じ酒を」と。癪に障る呆れ笑いを浮かべ、頬杖の角度を深くしているロビンフッドを指しながら。
    「オッ、ようやくやる気が出ましたか。結構結構」
     ロビンフッドはすぐさまサンソンの手元に運ばれてきたグラスに視線をやると、いかにも満足といった風に目玉同様、片方しか見えていない眉をくいと持ち上げた。そして自らもグラスを手に取り、その中身をぐいとあおった。グラスは汗をかいており、水滴がロビンフッドの指を伝い手の甲にまで流れてゆく。サンソンは、その数滴が左腕に巻かれている包帯に染み込むのを見届けてから、両手で握りしめていたグラスを口元へと運んだ。やれやれ、包帯というものは清潔に、いつもきちんと巻かれているべきものなのだが――こんな苦言は、ひっそりと胸の中に収めておくことにした。口に出そうものなら、どうせまたからかわれるに違いないのだ。
    「なるほど貴族サマってえのは、酒の飲み方まで上品ですなぁ」
    「だから僕は貴族じゃないと……何度も言っているだろう。だいたいきみは――」
     結局、口を開けばこうである。マタ・ハリに「突っかかっているのはサンソンだ」と、こう言われたばかりであることを思い出し、渋々口をつぐむ。つぐむがしかし、喉元にはしこりのようなものがつかえ、その奥には澱が留まったままだった。理由はもちろん、マタ・ハリの言葉に心から納得できないからだ。サンソンに言わせればいつも先に突っかかってくるのはロビンフッドの方であり、本気か冗談か判断しかねるような悪態を垂れ流しているのもまた、ロビンフッドの方であった。にもかかわらずどうして――こう思うと意図せずとも口唇が尖った。
    「旦那、おかわり頼むぜ。同じのな」
     嬉々とした声。この亜種特異点において、魔神柱の片鱗を討伐するという重責をその背に負っているとは到底、思えぬ声。それはまたしてもサンソンの眉をひそめさせるが、すぐに思い浮かぶ小言を吐き出すことはやめておいた。霊体化ができないとはいえどこに彼女が潜んでいるかわからないし、その彼女いわくどうやら自分は無意識のうちにこのロビンフッドという男に「突っかかっている」らしいからだ。
    「やっぱりラムはロックに限りますわ」
    「ラム? そのトウキビ酒のことかい? なんだ、おまえさんの国ではそう呼ぶのか」
    「おっとこりゃ失言だったか。えーっと、まあ、そんなとこだ。オレたちゃ、いろんな国を旅してきてるもんで……」
    「……ロビン、きみという奴は」
    「な、ナァ旦那! このラ――トウキビ酒はどっから来てるんだ? やっぱりアレか、キューバっすかねえ」
    「キュウバァ? なんだいそりゃ。エンドウ豆か、羊の種類かなんかかね? それはバルバトス島で作られたモンだよ」
    「あ……ヤベッ」
     まったく、ヤベッと頭を抱えたくなるのは僕の方だ――サンソンは思わずカウンターに肘を突き、両手のひらで目を覆った。それからドン、とやや大きな音をたて分厚い一枚板を叩くと、ロビンフッドの耳元に顔を寄せ囁き始める。それはどこかの――彼と親しいらしい――ガンマンも真っ青なほどの速さであったに違いないが、一度堰を切ってあふれ出したものはもう、止まらない。
    「おい! きみはバカか? 今は17世紀なんだぞ? キューバなんて国は存在していないし、そもそもラム酒という呼び名もわりと近代のもので、この時代の人たちには通じないに決まっている。いいかい、よく聞くんだ。キューバが独立したのは1902年で、今はおそらくスペイン王国の統治の真っ只な――」
    「わーったわーった! ハイハイすんませんでした学者サマ!」
     そのとき、ロビンフッドのマントがばさりと音を立て彼の頭から剥がれた。ようやく全貌を現したその顔が真っ赤になっていたことで、サンソンはまた、わずかばかり機嫌を良くしたのであった。


     ◇◇


    「砂漠に咲く美しき花であった――あれは傑作だったよ」
    「あなたの訪問を拒む男王など、この世にはおりますまい! だったっけか? おまえさんにピッタリな台詞は」
     もう何杯のグラスを空にしただろうか。ラム酒の酔いに任せるがままに、互いを称えるとも罵るとも取れる台詞を語り合う。女王の家来はソロモン王に、ソロモン王は女王の家来に。なめらかさを失いつつある呂律をどうにかコントロールしようと四苦八苦しながら、サンソンは偽りの受肉の恐ろしさを改めて知った。
     本来、サーヴァントである自分はこの程度の量の酒で酔うことはない。それはおそらくロビンフッドも同じだろう。しかしこの忌み地では霊体化ができず、しっかりと食事を摂らねば戦うことすらままならない。今日、この地でサンソンは、遥か昔に置いてきたはずの感覚を、久方ぶりに取り戻した。それは「空腹で力が出ない」という感覚だ。それは奇妙でありながらも懐かしく、どこかサーヴァントである自分の心を浮き足立たせる気配があった。ここがこのような場所でなければ、カルデアであったなら、普段よりももっと料理が愉しくなったはずなのに――こう、残念に思う気持ちが強くあった。
    「でも僕が一番笑ったのは、それは『聖櫃』である――」
    「オイ坊ちゃん、そのふざけた低い声はまさか……オレのソロモン王の真似、ってか?」
    「当然だ。よく似ているだろう?」
     ククク、とロビンフッドが喉を鳴らす音がする。それを耳にしたサンソンは、自分も肩を揺らしながら、右隣にいるロビンフッドを振り返る。気付くと「坊ちゃん」と呼ばれることが気にならなくなっている。これも偽りの受肉――つまるところ酒に酔ったことの影響だろうか。思いもよらないところで自分の寛容さと陽気さを目の当たりにし、サンソンは少しばかり戸惑った。
    「オレはオレなりにね、気ィ遣って演じたんだよ」
     わずかながらも確実にトーンが落とされたこの台詞は、サンソンの意表を突き、黙り込ませる結果をもたらした。そして、その未だお気楽さが見え隠れする言葉の中に含まれた事実にサンソンがたどり着いたとき、ロビンフッドはすでに次の言葉を紡ぎ出そうとしていた。
    「なんともまあ、気まずい大役に任命されちまったもんで」
     彼が、ロビンフッドが、かのソロモン王を演じることに対しこのような思いを抱いていたとは。大げさではなく、夢にも思わなかった。
     サンソンの記憶に間違いがなければ、配役を伝えられたときの彼はいつもと変わらぬ調子で「へいへい」とわざとらしく溜め息をつき、すぐにぷいとそっぽを向いてしまったはずなのだ。ただ、しかし、シバの女王の家来という役を与えられたサンソンに向かって「あんた、そんな端役じゃ不満だろ? 交換するかい?」「学者や貴族の役がなくて残念でしたなあ」などと言うことだけは、忘れなかったようだが。
    「オレはおまえさん方と違って『誰か』であった過去がない。記憶だってない。まあ、森やそこに棲む生き物たちの記憶はあるが……正直、そこがどこだったのか、ハッキリしない」
     ロビンフッドのある意味特殊な成り立ちについて、サンソンはすっかり失念をしてしまっていた。そういえば彼は、自分を「寄せ集め」とよく揶揄していた。そうした皮肉はいつものこと――と軽く流していたサンソンであったが、こうして改めて聞かされた彼が「誰でもない」という事実、それはサンソンの胸をうっすらと冷たくさせた。一抹の淋しさが身体を通り抜け、隣にいるはずのロビンフッドの輪郭をやや曖昧なものに変えてしまった。そんな気すらしていた。
    「だからこそ、ピッタリのお役目だったかな――と」
    「それは、どういう意味なんだ?」
    「あ? ああー、その、まあ……なんつーか」
     いつも飄々として、言葉に澱むことなどほとんどないこの男にしては、珍しく歯切れが悪い。ロビンフッドが舌のなめらかさを失うときがあるとすれば、それは――とここまで考えた瞬間、サンソンはこの突如としてシリアスな空気に包まれた場にそぐわず、口に含んでいたラム酒を噴き出してしまいそうになった。その理由は実にくだらなく明快で、つい二時間ほど前、一座の講演が終わったばかりとき、元気よく車輪を転がしながら近づいてきた哪吒の言葉を受けたロビンフッドのことを思い出したからだ。慌てて口元に手をやるが、癖の強い蒸留酒が一筋、サンソンの口角から喉元へと流れ落ちていった。

    「おい伊達男 みどちゃ 偉いぞ。一座のお遊戯 大成功」
     終演後、にっこり微笑みながら車輪を転がす哪吒に頭を撫でられたロビンフッドは、目をまん丸くしたまま口をぱくぱくとさせていた。
     どうやらこのロビンフッドという男は、自分が円の中心に置かれることに慣れておらず、それと同時にあまり好きではないらしい。哪吒の笑顔と手のひらを苦笑いとともにかわし、芝居の成功を喜び合う面々の合間をすり抜けると、ロビンフッドは賑々しい公会堂から出ていった。まるで人目を忍ぶかのような足取りで、こそこそと。
     どこへ行ったのだろう――こう思うよりも早く、背後から車輪の音が近づいてきた。続いて響くは、からからと明るく軽快な声。
    「ろびん きっと――酒房に行った。懲りずにまた 酒と賽振り」

    「ぼんやりした演者が、ぼんやりさせといた方がいい。そういうモンもたまにはあるだろ――って話っすわ」


     ◇◇◇


    「まったくきみというヤツは……現在の身体のことも考えずに、あんな風にガブガブ飲むから、こんな……」
    「や、ここまで弱くなるとは想像で……う、オエッ」
     ロビンフッドのマント同様、気に入って履いている靴が被害を受けることがないよう、サンソンは慌てて一歩、いや二歩後退する。それからハァ、とやや大げさに、おそらく酒臭いであろう溜め息をつく。
     ぽたりと頬に冷たいものを受ける。雨でも降り出したか――サンソンは空を見上げるが、そこには雲こそあれど、高々と広がる夜空が泣き出す気配はない。そのとき、ふと目に留まったものはメタセコイアの枝葉。現代ではとっくに絶滅したと思われている針葉樹、それが生き生きと、青々と葉を茂らせているさまに、サンソンはしばし見惚れることになった。
     メタセコイアの細長い葉は全身にしっとりと夜露をまとい、葉先から輝く粒を地面へと落とし続けていたようだった。
    「この木もいい迷惑だな。根元にこんな……」
    「へへへ、それは違うぜ学者センセ」
    「うん?」
    「毒が入った場所ではなァ、木はよーく育つんだよ。覚えときやがれ」
    「ああ……なるほど、はいはいわかったわかった」
     メタセコイアの巨木の下にうずくまり、飲んだばかりのラム酒を吐いている背中をさすりながら、思う。この地で玉ねぎは栽培されているだろうか――と。

    「お、おいロビン、こんなところで寝るな」
     吐き終えたかと思うとごろりと地面に転がり、だらしなく両手足を投げ出す。その肩を強く揺すると、当然のように手を振り払われる。
     ぱしんと叩かれた手の甲が存外に痛むことで、サンソンは片頬を膨らませる。
    「……サーヴァントがゲロで窒息死なんて、洒落にならないぞ」
     今夜はどうやら医者らしく、ここで夜を明かすことになりそうだ。
     毒を撒かれた巨木とともに、まだまだ友と呼ぶには少し早い、そんな男の寝姿を見守りながら。



     Fin.
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