鬼百合「鬼百合の話を聞いたことがあるかい」
そんな風に耀夜が話し始めた。昼に悲鳴嶼を呼び出して、時候は丁度百合の咲く夏だった。自分が産まれたのもこんな時候だったと聞いた事がある。
産屋敷家の、戸障子を締め切った部屋の中で耀夜は涼し気な顔をしていた。悲鳴嶼には耀夜の貌が見えない。ただ涼しくやわらかで甘い彼の声に陶酔する心地がしていた。
「百合でございますか」
「そう、鬼百合だということだよ。人知れず谷間に数多群れ咲く。その百合は、鬼を倒すと翌日にはまた一茎伸びて咲くのだと。そういう風に元隊士の育手から、手紙を貰ったことがある」
「然様ですか」
「不思議だね」
「南無……」
「無惨の血の為す怪異かも知れないね」
耀夜が手元の湯飲みからお茶を少し飲んだのが悲鳴嶼に聞こえていた。
「昼の見た目には普通の鬼百合らしいんだけどね。夜になると燐光を発するそうだ。月夜の百合の谷は、蛍の飛び交うのもあって、それは幻想的な光景になるらしい」
悲鳴嶼は光について考えようとして、やめた。どうせ自分には分からない。日の光と焚火の温かさはわかるが、蛍や百合が光ると言われても、どうしようもない。幻想的というものについては、少しだけ分かる。それはきっと耀夜のような声のことではないか。
「その、鬼百合の谷がどうか致しましたか」
「燃えた」
「南無」
「人は巻き込まれなかったけれど、鎮火した後でそこを通りがかった者が何人か消えている。そう、近くの山にいる育手から連絡があってね。行って見てくれないか、行冥」
「御意……」
「近くに実弥がいるから、会えるかも知れないね」
悲鳴嶼は鎹烏の絶佳を実弥の元に遣わせた。今宵、焼けた鬼百合の谷で待つ。それで実弥はいつもの鬼殺の後で足を伸ばして、その鬼百合の谷に来た。月は細く、焼け爛れた後に雨が降り、焦げ臭さはあまりなかった。谷一面が焼け、まわりの木立が少し遠く、星明りが山際まで物凄かった。
全集中の呼吸で移動できるものなど少ないから、お互いの場所はすぐに分かった。
「不死川」
「はい」
「ここに来るまでに鬼に遭わなかったか」
「いえ。見ませんでしたがァ」
「では私の狩ったので終わりか」
「済んだんですかァ」
「ああ」
「じゃぁ帰りますかィ」
「少し頼みがある」
実弥は動きを止め、大いに驚いた。この目の見えぬ巨人がどんなに見える人であるかのように器用なのか知っていた。それなのに己を不器用であると思っている悲鳴嶼を、まじまじと見た。
「……俺に」
「うむ」
「何ですゥ」
「この谷に百合が咲くのだ」
「百合ですかァ?」
「うむ。鬼を倒すと咲くとお館様が言われる」
「その百合を探せばいいんですかァ?」
「うむ」
「闇夜の中でェ?」
「その百合は、光るというのだ」
「へェ……」
「私は鬼を切った。お前も切った。そして他の柱も隊士も鬼を切る。だからいずれこの谷も、光る鬼百合が再び咲き始めるはず」
悲鳴嶼は光が見えない。何も見えない。だから実弥のことをお館様は話した。実弥もなんとなく事の次第の輪郭が見えた気がした。
「つまりお館様は俺達の倒した鬼の数の百合をご覧になりたいと、そういうわけかァ?なら少し探してみるかァ」
実弥があちこち歩く後ろを、悲鳴嶼がついて歩いた。光る百合を見つけた。
「あ、あった!」
咲く斜面に歩いて行く後ろを行く。実弥はさっとその花を摘んで、悲鳴嶼の所まで来て手渡した。元気な手は子供の手とは違っていたが、かつてそんなことがあったのを悲鳴嶼は思い出していた。ここは闇の中で鬼の命の咲かせた百合を摘んでいるのだが。かつて昼の川端で子供らと春の若芽を摘んだことを、つい思い出す。
一輪一輪を摘んで行く。夜明けまでに十ほどの百合が集まり、実弥はそれらをまとめて爽籟と絶佳に渡した。百合の花の控えめな香りとは、夜明けで別れた。
「あの鬼百合は鬼が死ぬと咲くんですかァ?」
「そうらしい。確かな事はわからぬが……」
「じゃあ俺がこの谷を一面の鬼百合で埋め尽くしてやるゥ」
一夜一夜、鬼殺の度に百合が咲く。悲鳴嶼は数珠をいつものように体の正面にあわせた。
「南無。あの鬼百合が、お館様の目を楽しませてくれればよいが……」
産屋敷家に届けられた鬼百合は、あまねの手で床の間に活けられた。しばらく産屋敷家の床の間の夜に燐光を発し、鬼百合の側では鬼のすすり泣きが聞こえると微かに噂に立ち、夏の終わりと共にその話は消えた。
悲鳴嶼がその話を思い出したのは、偶々その谷を通りがかったからだった。闇夜に微かに咲き始めた百合の花が薫る谷は、恐らく百合が咲き誇っている。だが悲鳴嶼には見えず、今宵は実弥も居なかった。
ただ鬼の命が灯る鬼百合の谷を鬼殺のために通り過ぎて行く。人食い鬼の命が、死後にこんな花になるとはどういう供養のされ方なのだろうかと悲鳴嶼は思い、じきに鬼百合の谷を通り過ぎて去った。