まだ未定 勤め先の路線には最近新しく出来たホテルがある。外資系のオシャレなやつだ。黒と白を基調に、吹き抜けのエントランスは小洒落てるな、と芸術に疎い俺でもそう思う。同僚の無口な奴は「おい、なんだ?俺の真似か?」とかブツブツ言ってたな。黒と白のストライプは全部自分だとでも思ってるのかね。だけど、自分の好きな奴からのお茶の誘いには即飛び乗って「おい、不死川。あのホテルはとても雰囲気が良いぞ。何より落ち着くな。やはり色のコントラストが良い。」と手のひらを返すどころか、全身ひっくり返ってんじゃねえのか?くらいの勢いで話し始めやがった。話半分に書類の整理を始める俺の腕を掴み、くるっと自分の方に向きを変えて、まだ話す。「そしてな!彼女は目当てのアフタヌーンティーを俺の分も予約していてくれてな!紅茶やコーヒーもうまく、沢山話す彼女はとてつもなく可愛らしく、愛らしく…」…始まったな。小さなため息をついて、顔の向きを変える。まだ続く…「そして、あのシックな建物の中でカラフルで美しいアフタヌーンティーのケーキの数々!小さいが全て甘さ控えめで美味かった。…そして、彼女がな…」まだまだ続く“彼女”の観察日記を右から左に受け流しつつ、そのホテルに行ってみたくもなった。
黒の大理石が門のように囲ってある自動ドアを抜けると、外の賑わいとはかけ離れたシックなスペースになる。ただ真っ直ぐな通路に広がるのは、黒だ。目を凝らすと、銀の絵の具を投げつけたような模様が壁にある。時折照明に照らされて、小さく光るものがある。近寄ってみると埋め込まれた小さな石だ。
「小さなクリスタルを埋め込んであるんですよ。」
ニコッと微笑み、小さく頭を下げられる。さすが今グイグイ来る外資だけあんな。つられて小さく頭を下げる。
「少しの光も集めて、煌めくように細工してあります。」
「へぇ 綺麗なもんだな。」
周りを改めて見まわすと、そこそこに小さいがしっかりと光るものが沢山見えた。
「どうぞ。ゆっくりご覧ください。」
「ん。…あぁ、いや、今日は茶でもしようかと思って…」
「これは失礼致しました。ラウンジはいかがでしょう。こちらにどうぞ。」
柔らかな身のこなしに案内されるがまま、光の中を進む。程なくぼんやりとした明るさを進行方向に感じた。先程の男性は立ち止まり、ゆっくりとこちらに向きを直し、左手を明るい方に向ける。
「お待たせ致しました。こちらよりエントランスでございます。エントランスを通り過ぎたところに、ラウンジがございます。」
「あぁ ありがとうございます。」
「どうぞ、ごゆっくりお寛ぎくださいませ。」
男性に会釈をし、歩みを進める。まばゆい…は言い過ぎだが、柔らかく光るエントランスはなるほど、あのホテルの案内のままだ。結局あれから伊黒にはホテルの案内を見させられた。あんなに自分のスマホを見せつける奴だったかな?
エントランスには紺色の制服を着たホテルマンが立ち並び、優しく微笑んでいる。たまに見かけるそっけない冷たい微笑みでないところが好みだな。わかっちゃいるけど、事務的な微笑みは好きじゃない。
エントランスを過ぎたところに、広い窓を有したラウンジが見える。案内してもらった先は、その大きな窓のそばだった…が、でかい図体の男が1人いるには不似合いだから、少し端の方の席に変えてもらう。薄い間接照明がいい。メニューを見てみると、なるほど、全部うまそうだ。自家焙煎のコーヒーに、イタリア直輸入のエスプレッソマシーンが作るエスプレッソやラテ。珍しいなと思ったのは、日本製の紅茶だった。何でも新進気鋭の若手日本茶職人が作った紅茶らしい。和の香りを纏った紅茶、それが売り文句らしい。
飲み物のページをめくると、食べ物のページだ。腹は減ってないが、ついでに見る。季節のきのことパンチェッタのたっぷりチーズリゾット、自家製厚切りベーコンのペペロンチーノ、牡蠣たっぷり!ホテルのコロッケ。…腹減ってきちゃうよ。いやいや、今日は伊黒が見せてくれた、あの…
「すみません。アフタヌーンティーをお願いします。」
美味そう過ぎる、あのアフタヌーンティーってやつをこっそり食べたくて来てみたんだ。
「ありがとうございます。今月のアフタヌーンティーと、通年ご用意しております季節のフルーツのアフタヌーンティー、どちらがよろしいでしょうか?」
メニューを見ながら案内される。季節のフルーツってのがこないだ伊黒が見せてくれたのだな。フルーツたっぷり美味そうだ。今月のは…
「名残の秋…」