「司波、飯食いに行くぞぉ」
そう言って、授業終了後すぐの少しだけ騒がしい一年E組の教室へと顔を出したのは、一年年上の先輩である、桐原であった。呼ばれた側である達也も、特別それを不思議とは思っていないのか、無言で頷きだけを返し、最愛の妹である深雪の作ったお弁当箱を手にした。
それに連れ添うようにして目の前の席に座るレオが立ち上がり、遅れて幹比古が達也たちの後を追った。
E組の生徒たちは、初めて見るその光景に目を丸くしたが、それを追求しようとはしなかった。いいや、そもそも聞ける相手がこの場にはいなかった。
そんな混沌が生まれてしまったE組を他所に、四人が目指したのは食堂である。
多くの生徒が短い休息時間を謳歌するために向かう場所。込み合っていて大人数では少し入りづらい場所ではあったが、先に席を確保しに来ていた沢木が四人を手招いた。
「お疲れ様」
沢木の隣に達也が腰を下ろし、挟むようにして桐原が座る。反対側の席には残った二人が着席し、何時もの形が出来上がる。
桐原が達也を呼びに来たのは今日が初めてであったが、何もこの五人が共に昼食を取るのは今日が初めてではない。気が付かれていないだけで、春の一件以来、恒例化しているものであった。
というのも、
「やっぱり深雪さんに頼んで正解だったね」
「あぁ。これなら昼食を抜く、なんてことはしないからな」
先輩二人がそう言って頷く。それに対して達也は酷く不満そうな表情を浮かべたが、弁明の余地もないので無駄な抵抗をすることはなかった。
達也は食に対する欲求がほとんどない。ついでに言ってしまえば、睡眠欲もほとんどないと言っても過言ではないだろう。
これには色々な理由があるのだが、これはまだ達也の胸の内に秘められている。四人が知るのは遠い未来になることだろう。しかし、欲求が薄い、ということだけはすでに明らかとなっている。
それが露顕したのが、先の春の一件の後日談である。
「達也、ちゃんと水も飲めよ?」
「さっきまで体育だったんだし、水分補給は大事だよ」
それくらいの体調管理はできている。しかしながら、それをわかった上でこうも甲斐甲斐しく四人が手を差し伸べてくるのは、それほどまでにその事件が衝撃的だったからだろう。
達也とすれば、あそこでばれてしまったのが運の尽き。自分の行動の甘さを呪うしかないのだが、過ぎ去ってしまった時間を戻すことは、達也の魔法をもってしてでも不可能である。
大人しくボトルを受け取った達也は、すでに取り返しのつかない過去を悔やみつつも、ボトルに口をつけた。
事の発端は、春の一件。つまるところ、反魔法国際政治団体‐ブランシュの一派が起こしたブランシュ事件、または第一高校テロリスト襲撃事件のことである。
国立魔法大学付属第一高校と四月二十三日に起こったその一連の事件は、警察省公安庁にも厳重なマークをされていたブランシュ日本支部のリーダー、司一の弟‐司甲によって襲撃を許してしまうこととなった。
小国の軍隊程度なら単独で退けるほどの武力を保有している第一高校。鎮圧には特別時間を用いることはなかったが、一部の生徒が暴徒化。この中に達也を含めた五人が居た。
達也は妹の深雪と共に正面から。退路を塞ぐようにして十文字を筆頭に、桐原と沢木が続いた。レオと幹比古は達也の指示のもと、後方待機となっていた。
話が進展したのは、丁度司一に対しての私刑を敢行した後のことであった。桐原が刀を収め、珍しく頭に血が上っていた沢木も冷静さを取り戻したころ。十文字が後処理の為に外へと出て行ったとき、達也の体が少しだけ傾いた。
「おっと、大丈夫かい?達也君」
「沢木先輩・・・いえ、問題ありません」
達也の体を支えたのは近くにいた沢木であった。桐原も手はのばそうとしたが、生憎と距離があった。ゆえに達也のその体は沢木の腕の中へと納まる。
達也はすぐさまに礼を言って離れようとしたが、沢木はその体に違和感を覚えたのだ。厳密には、不自然なその体に。
沢木と達也の身長差は十センチほどだろう。先月まで中学生だったのだから、その身長差くらいは別に特別何か思うところはない。達也よりも身長の低い同学年すらもいるのだ。そこに関して何かを言うつもりはない。
では何が言いたいのか。
「軽すぎないかい?」
沢木の言葉に、達也の表情がさっと曇った。沢木もばっちりと見ていたし、はたからその様子を見守っていた桐原も見ていた。沢木は百キロ近い握力を持つ、今も変わらぬ体育会系という風情を漂わせる男である。その沢木と握手をしても特別動揺すら見せなかった男が、今ここで動揺して見せている。
「司波さんは・・・」
「知りません。知らせないでください」
いい慌てぶりである。いけ好かない、いつも冷静沈着な可愛げのない後輩かと思っていたが、どうやらそれは間違った認識だったらしい。
「よくよく見ると、隈も隠している感じかい?」
「睡眠不足に食欲不振か?成長期には悪いぞぉ」
年が一つしか変わらないというのに、なんともお節介な。
達也がそんなことを考えているうちに、ずいっと沢木が顔を寄せてきた。
「弁明は?」
「・・・させてください」
と言うわけで、達也は〝人造魔法師実験〟についてを伏せた状態で情動の一部に異常があること、それによって睡眠欲や食欲に影響が及んでいることを二人に説明した。
これに最初に納得を覚えたのは桐原の方である。何故こうもすぐに納得をしたかと言えば、達也が桐原の展開した〝高周波ブレード〟に対し、臆することなく突っ込んできた例の事件があったからである。
「納得と言えば納得だが・・・怖いな」
「あぁ。そうだね」
桐原の言葉に、同意するように沢木が頷いた。達也はこれに対して首を傾げたが、二人は少しばかり難しそうな表情を浮かべた。
「恐怖心がないということは、リスクに対する危機感がないということだよ」
達也はそれを今まで普通と思って生きてきたために、それを違和感として感じることはないだろう。しかし、恐怖心を抱えてきた二人からしてみれば、それは凄いと感じると同時に、嫌な予感を感じさせた。
睡眠欲や食欲だってそうだ。本来であれば生命維持のために必要な欲求である。これを正常に感知できないということは、
「栄養を取れない、休息を取れない・・・体が必要としていることを、感知できないってわけだ」
桐原はそう言って仰ぐように体重を背もたれへと預けた。簡単に言ってしまえばそんなものだが、もっと詳しいことを言いだせば、そんなものでは済まないだろう。
「こんな大事なことを、司波さんにも言っていない、ということもいただけないね」
沢木はそう言って肩を竦めるが、達也とすれば深雪にこのことが露顕する方が大問題であった。自分よりも何よりも大事な妹‐深雪。彼女に心配されることが何より、達也の危惧している問題であった。
「であれば」
沢木は何を思ったのか立ち上がり、おもむろに達也の肩を掴んだ。
「僕たちがお世話してあげるよ」
僕たち、ということは勿論桐原も含まれているのだろう。一瞬何を言われたのか達也は理解できなかったが、いつの間にか沢木と桐原が作戦会議を始めたところで、すでに時遅し、であった。
勿論、この時の達也がこの同盟にレオと幹比古が加わるなんてことは思ってもいない。