Scent Commandーcontinuation3『不満ですよ、勿論』
達也の言葉に、こっそりと聞き耳を立てていた渡辺は、眉を顰めた。しかし、その後に続く言葉がなんとなくではあったものの予想がついたため、特別危惧することはなかった。
それほどまでに、司波達也という男を知ってしまっている。
『ですが俺には別に、学校側に変えてもらいたい点はありません』
達也はそこまで、教育機関としての学校に期待はしていない。あくまでも、魔法大学系列でのみ閲覧できる非公開文献の閲覧資格と、魔法科高校卒業資格さえ手に入れば、どうでもいいのだ。
彼のレールはどのみち決まっている。
達也の容赦のない言葉が壬生を責め立てるようにして並べられ、完全に壬生が沈黙したところで、椅子を引く音が響いた。
主義主張を共有できない、達也はその一言で区切りをつけ、壬生の前から立ち去った。と共に、渡辺も趣味の悪い盗聴を辞め、借りていた機材をソファの上へと投げ捨てた。
***
それからしばらくは、平穏な日々だったと思う。
達也も特別やることはなく、気ままに学校生活を満喫する日々。このまま何もなければ、と言ったところであった。
が、そう簡単にことが終息に向かうはずもなく。
『全校生徒の皆さん、僕たちは学内の差別撤廃を目指す、有志同盟です!』
おそらくこの自称〝有志同盟〟の方々は、一度有志という言葉を調べたほいがいいだろう。達也は肩を竦めて苦笑し、呼び出される前にと廊下へと出た。途端、鼻の奥を擽る果実の匂いが漂った。
本当に微か、けれども達也が感じ取るには十分と言えるグレープフルーツの匂い。
警備用のロックを外し、窓を大きく開く。
「達也っ?!」
達也の急な行動に釣られたのだろう。後を追ってきていたレオが悲鳴にも近い声で達也の名を呼ぶが、呼び終わるころには達也は窓枠から足を離していた。
器用に下の階の窓枠へと着地し、己の魔法で窓を無かったものとする。侵入を果たしたと共に元通りに戻しておけば、警備システムがエラーを吐き出すまでには間に合う。何もなかった、というわけだ。
達也はさっさとその場を離れ、駆け出す。匂いの元である、彼女の元へと走り出し、床であろうが壁であろうが、手すりであろうがところ構わず飛んだ。
「まるで猫見たいだな」
と言って苦い笑みを浮かべたのは渡辺である。
『僕たちは、生徒会と部活連に対し、対等な立場における交渉を要求します』
この放送は、達也が今いる扉の中、つまるところ放送室から流れているのだろう。主電源が落ちるような微かな音が聞こえ、放送は鳴りやむ。
「うまく行ったみたいだな」
「主電源が落ちてこれ以上の放送ができなかったとしても、問題はこの立てこもりですよ?」
本当の立てこもり事件ならば、達也一人でもなんとかなっていただろう。しかし、明らかな犯罪行為だったとしても、学校の備品を壊してまで早急な解決を求めるか、と問われると少し曖昧な部分がある。
「連中は内側から鍵を掛けて立てこもっている。おそらくマスターキーも奪取済みだろう」
渡辺がそう言って肩を竦める。
全く面倒なことである。
「暴発させないように慎重になったところで、大人しくなるかと言われても微妙ですしね」
達也はそう言って扉へと手のひらを押し付ける。いつだってその扉を無かったことにすることは可能だし、そうでなくとも壊すことだって可能である。
「お前がいるのなら、強行手段も取れなくはないが・・・」
渡辺はそう言って渋ったような声を出す。できれば、大事にはしたくないのだろう。それは自分の心情と言うよりは、達也の為を思っての行動。達也は呆れたため息を吐き出した。
「マスター」
達也がそう、渡辺のことを呼ぶのは随分と久しい。けれども馴染んだような呼び名に、渡辺は息を詰まらせた。反対に、達也はいっそすがすがしいほどの表情であった。どんな時よりも生き生きとしていたし、輝いているようにも見えた。
これが彼なのだ。
そう理解できていても、許容しきれていない自分がいることに、渡辺は苦しさを覚えた。
「・・・やってくれ」
「はい」
渡辺の一言で、仄かに漂ったスパイスの香りに達也は達也は動いた。風紀委員に選ばれたことによって、学内携行を許可された拳銃型CADを取り出し、その照準を放送室の扉へと向ける。そのまま引き金を引けば、扉はなかったことになった。
獣が通る。
風だけを残し、扉はまるで〝なかったこと〟になっていたのは幻であったかのように元通りになっており、廊下は静けさを取り戻した。
***
数刻して、風紀委員と生徒会役員、それから部活連の数名の生徒がラベンダーの香りが漂う放送室前へと揃った。しかし、そのころには全て片は付いており、達也は手短な所にあったロープなどで放送室を占拠していた生徒たちを縛り上げていた。
「これは・・・いったい」
誰もがその光景に目を奪われた。けれども、説明など不要であることは誰でも容易にわかった。
この二科生が、事を終幕へと導いた。
端的に言えばそういった所だ。
「私たちを・・・騙したのね」
さすがに女性に対しては手荒な真似は取りたくないのか、唯一実行犯の中にいた女性‐壬生に対してだけは、達也はロープを使うことはなかった。けれども、その腕を取った時、壬生はそう言った。
「だました・・・とは?」
達也ははて、と首を傾げて見せるが、壬生はそれに逆上した。
「私たちの味方のふりをしておいて!!貴方、渡辺先輩の手先だったの?!」
手先、とはずいぶんな言い方だ。しかし、それよりもまず前提として、
「達也君は、君たちの味方のふりをしてはいないと思うんだが?」
ピリ、と肌を刺すような言葉だった。達也は勿論それに驚いた。けれども、彼女もそれ相応の覚悟を持った、という事なのだろう。それを嬉しく思うべきなのだろうが、達也は何とも言えない感情に飲まれていた。
壬生の手を離し、達也は一息つく。
「生徒会は、貴方たちとの交渉に応じるかもしれません。けれど、貴方たちの取った行動を認めることは、別の問題です」
風紀委員として、実行したまで。
「俺は風紀委員、ですので」