見られている! ……見られている。
イラズの森も深緑に染まる初夏。
上院中学二年生、体育委員会所属のモブ崎は目下『熱い視線』に悩まされていた。視線の主は判明しているのだ、しかし誰にも相談できない。
——相手は、同学年の椎名裕介だった。
学年きっての有名人に『三人悪』がいる。
てっちゃん・リョーチン・椎名の三人組で、小学生の頃から子ども達からは尊敬を、その大胆な所業によって大人達からは畏怖の念を向けられている。
椎名という子は軍師役で、頭もよく容姿もよい、クールな性格の少年だ。中学生に上がってからは増してモテている。
そこで冒頭の問題に戻る。
はて、そんな子が私を見つめるだろうか?
用事があったとか——今まで話したこともない。
たまたま同じ場所に居ただけ——まあ、それだけならあり得るのかもしれない。
……しかし毎回視線がかちあうのは?
モブ崎が気づいても、椎名は目を逸らしもしない。だから当然のように最後には視線が交わる。
ここで私に気がある!とは思えず(むしろなんだか、怖くないか?)、しかし相談するにも女友達相手では何かとセンシティブな話題だ。誰にも相談できずに、モブ崎は悶々と日々を過ごしていた。
午後の授業の合間。廊下を歩いていたところ、ツンツン頭の男子に呼び止められた。
「モブ崎、ちょっといいか?」
「てっちゃん」
件の三人悪のリーダー、てつしだった。
体育教師から言伝があるらしい(てつしとは委員会が同じなのだ)。
強い陽射しがぶつかる窓辺から影へずれて、しばし二人で話し込んだ。
ころころと表情が変わるてつしには親しみやすさがある。ちらりと相談の二文字が頭をよぎったが、口にはしなかった。伝言も聞けたので、モブ崎は話を切り上げる。
「わざわざ探してくれてありがとう、てっちゃん」
「いいって事よ」
その時、視線を感じた。
——椎名くんだ!
てつしの後方、離れた位置で、椎名がじっとこちらを見ていた。静かな表情、その顔にはなんの色も乗っていないように見える。モブ崎はごくりと息を呑んだ。目も、合った。
やはり勘違いではないらしい……。
それから一週間。
椎名と遭遇しないよう注意して過ごして、ひとつ気がついた。
椎名から強い視線を感じるときは、モブ崎は大抵てつしと相対していたのだ。委員会の当番に伝言、すれ違い際の軽いあいさつ。てつしと会話する機会は、何度かあった。
不可解な視線が発動される条件を知り、しかしながら首を捻る。モブ崎とてつしがちょっと会話をしたからって、一体どうだというのだろう。
何かを怪しまれている? ——いったい、何を。
「……」
その時、モブ崎に電流が走る。
「もしかして。椎名くんって……?」
後日。モブ崎は他クラスの教室を覗いた。
ひとりで居たところに声をかけると、椎名は頷いて、モブ崎を人気のない踊り場に誘導した。
(手慣れてるなあ……)
他人に見られてあらぬ噂が立ってはこちらも困るので、さっそく本題に入った。
「わたし、椎名くんに最近見られてるなって思ってたの。今日はその話をしたくて」
「……」
続きを促す無言だが、話を切り出した瞬間冷えた視線にモブ崎の口端がひくついた。おそらくだが椎名はこちらの用向きを誤解している。むっとした感情を態度に出してしまわないように、つとめて声を平坦にして尋ねた。とにかく、モブ崎のこれまでの悩みの事象を確認しなくては。
「……見てた、よね?」
大前提だ。ここが外れると全ての話が噛み合わなくなる。椎名に見られていたという確信があるんだと、その気持ちを込めてまっすぐ見つめると、椎名がこくりと頷いた。
「……見てた」
「やっぱり。てっちゃんのことを心配してたんだよね」
ホッと胸を撫で下ろした。
これで話が進みそうだ。
「…………ん?」
「何で見られているのかわからなくてずっと考えてたの。……てっちゃんと私が話しているのが、心配だったんだよね?」
「……!」
椎名が目を見開いた。
仰天する椎名を、少しばかり愉快に思う。どちらの驚きなのだろう。モブ崎に悟られた事か、——はたまた自分でも気づいていなかったのか? あの態度でまさかそれはないだろうと考えながら、固まる椎名を眺める。
——コホン。
椎名が咳払いした。立て直したいらしい。
「何のこと?」
「誤魔化さなくてもいいよ。さっきの反応でわかったから」
「…………」
にっこりモブ崎が笑うと、椎名の顔が明らかに歪んだ。ギュッと眉間に皺が寄るのを眺めていたら、謎の視線に悩まされた期間分の溜飲が下がるというものだ。
「……はあ」
「……」
椎名が項垂れた。
核心を突かれて固まってしまっては、図星と白状したも同じだったと、彼もわかっているのだろう。
「心配しなくて良いよ」
椎名が顔を上げる。整っているからこそ、無表情なのが普段は恐ろしくて、とっつきにくかった。クールな様子だし。しかし彼の真意を察した今では、ちょっぴり、かわいくすら思えてくる。
モブ崎はやさしい……とも違った、ひどく生暖かい目を椎名に向けた。
「ひとに言いふらしたりしないから」
「……なんで、わかったんだ?」
途方に暮れた言い様に、笑ってしまった。
「——まあ一番は、心当たりもないのに椎名くんに睨まれてたから、かな。睨みつけられるのってこわいから、もうやめてね」
「……」
「やめてね」
そこは念押しをする。
モブ崎だって人にも話せず、どうしたものかと悩んだのだ。椎名もそこに気づいたのか、ばつが悪そうに一度謝ってくれた。
「ごめん」
「うん」
好きな人を、親しくもないモブ崎に知られて動揺している。……そういうことだろう。
怖い顔の椎名の前に、手のひらを向けた。
「和解しようか、約束も。椎名くんは睨まない、私は口外しない。これでどう?」
「……願ってもないね」
秘密を約束した。椎名の力の籠らない手を思い切り握ってやってから、パッと離した。ぶらりと手が下りてゆく。
「……好きな人の周りが気になるのは、普通だよ。椎名くん」
「……」
「でも、隠したいならあんなふうな態度には出さないほうがいいよ」
「…………」
「てっちゃんのこともそういう目で見てないからね」
ギュウと顔を顰めた椎名には、色々の感情が詰まっていた。そんな姿を見てしまうと、そのせいで悩まされたはずのモブ崎でも、なんだか、応援してやりたくなったのだ。
眩しい夏の訪れ。
青い空の南中から太陽が強い光を振りまき、緑やアスファルトの地面に濃い影が落ちる。
昼休み。渡り廊下の端っこに、駄弁る二人の生徒の姿があった。ツンツン頭の生徒が、夏服の半袖から伸びた腕で身振り手振りしながら快活に話している。
もう一人の女子生徒——モブ崎が聞きながら、何かに気づいて顔を上げて、微笑んだ。
「——てっちゃん、椎名くんだよ」
「椎名?」
小さな変化だった。
「……」
「さあどうぞ、連絡は終わってるので!」
心得ているとばかりにモブ崎は後方に下がってみせる。
てつしと会話する間に椎名と出くわしたら、こうしてニコニコてつしを差し出す。そう決めたのである。
椎名がふっと笑う。
「どうもって、お礼を言うべき?」
「アハハ。椎名くんがそんなに言いたいなら、言ってもらってもいいけどねー?」
表面上は笑顔なのに、なにやら薄寒い空気を放つ二人に何も知らないてつしがのけぞった。
「…………なんだお前ら。仲悪かったか?」
「そんな事ないよ、椎名くんとは全然仲良し」
「そうそう、ナカヨシ」
「う〜〜ん……なんか雰囲気が妙だぜ」
しれっと結託してみせた二人に、てつしはちょっと引いている。
この前まで水面下で睨み睨まれをしていた椎名とモブ崎の関係は、こんなふうに変化していた。
そこに至る流れをまったく知らないてつしは、二人の様子に疑問符を浮かべていたが、すぐニッカと笑った。廊下へ差し込んだ陽光が床を踊る。
「ま、仲良いってんならいいけどよ」
その眩しい笑顔に、椎名の口が綻ぶ。
二人の姿を、モブ崎は微笑ましく眺めた。
その恋路は、すっかり見守られている。
——不本意ながら。