第九章【絶望の世界】/
────……暗黒の種が意志を持って復活するとは。
西島は、部下の報告を聞いてそう思った。良くリアルタイムで分かるものだと関心した。
八神太一の動きを逐一監視していた情報処理局の行動に、ストーカー行為のように思えて、自分も同じ場所にいながら嫌悪感を抱くほどに。
それに、闇の勢力の潜在能力を計り知ることが出来ないから、こうした事態の原因を探そうとしてしまう。
暗黒の種が目覚め、これから世界にどんな影響を与えるのかを。
そしてイグドラシルを回収した情報処理局は、暗黒の種をどう利用しようとしているのかも、だ。
そうなった八神太一を常に監視してまで、利用しようという考えになる上層部には、疑いの気持ちが出てくる。
本当に人間する所業なのかと。
西島はそこで考えるのをやめて、ため息を吐いた。
「まさか……俺が、八神────いや、暗黒の種の世話係になるとは……」
確定はしていないけれど、そのうちなってしまうだろう。
イグドラシルという脅威はなく、八神太一という存在も消えている。それが今の状況だ。
自分が世話係になるのは、選ばれし子供たちと関わった時間が一番多いから。子供たちにとって頼る大人の一人でもあるからかもしれない。
現在のように暗黒の種が意志を持ち合わせていなかったら、今頃、暴走する器になっていたのかもしれない。もしくは、意思のない、魂の抜け殻とも言うべき人になっていただろう。
そういう点で言えば、幸運と見るべきなのか、判断が難しいところだ。
もしかしたら、都合よく人を動かせる駒に、自分が選ばれたのかもしれないな。
イグドラシルと融合した人工知能の捜索機能により、彼──と呼べばいいのだろうか──の行方は分かっている。
彼自身はロイヤルナイツをその管理下に置いているから、駒が近くにいれば自ずと見つけられるように予め用意していたのだろう。
くそ、と思わず口から言葉がこぼれた。
まるで向こうの思惑通りだ。
そこで彼は西島たちの気配に気付く。
「? ああ、あんた……は、西島せんせい、だっけ? 何か用?」
お台場の公園。
海の向こうに、貨物コンテナの見える場所で、暗黒の種とロイヤルナイツの姿があった。
「面白いもん作るよな。イグドラシルの力を自分たちでも使えるようにした、これ。俺がこれを使っても問題ないだろ?」
彼はそう言った。
情報処理局がデジモンを扱えるように作ったプログラムを、大元である彼が使用している。シンプルに考えれば、全く問題ないことであった。
元はと言えば太一の中にあったイグドラシルの力なのだ。
「そうだな。別に俺がここに来たのは、叱りに来たんじゃなくて、迎えに来ただけだ。上は、今の……きみと、話がしたいと言っている」
八神、でも、イグドラシルでもない何か。
暗黒の種と呼称すればいいのに、自分の生徒でもある。そんな彼の姿を見てしまうと、気持ちが割り切れない。……敵対する者だと思いたくない気持ちに駆られてしまう。
「ふうん……。俺は構わないぜ。自由に動いてもいいって言うならな」
「そう来ると思ったさ。交渉をしよう、俺とになるが」
正直、交渉事は性にあわない。流されるままに大人になってしまった自分が、そういう術を身に付けることは全くしてこなかったから。
「なんであんたが? 太一と関わりある大人は、確かにあんたが一番だ。でもな、情に流されないように別の人間を用意するのが良いと思うけど? せんせい? それとも、自分以外の人間に太一を任せたくないと思った?」
同じ声、で話す言葉は彼ではない。しかし、声はそのままなのが、西島の心に棘を刺すようにして責める。
まるで生徒一人も救えない、ただの大人だと言わんばかりに。
「まぁ、選ばれし子どものことを知っているのは俺だけだからな」
「それが理由のようには、聞こえねぇな」
「…………」
思わず口を閉じてしまった。図星だった。
言い訳、でしかない。
西島の認識では、本心とは言えない言葉でもある。でも、彼はそれを見つけている。
八神太一という人間を、他の人間が世話をするのは我慢ならない。
「俺が協力することで、何のメリットがあるんだ? ヤマトたちは多分、太一を取り戻そうとして、他のロイヤルナイツと一緒に来るだろうし?」
「きみ……だけがイグドラシルの力を使うことが出来る。おそらく、あの中にいるイグドラシルも協力してくれるはずだ。我々に協力してくれるのなら、この世界で自由に動けるように取り計らう。約束する」
「へぇ、そう」
何も興味無さそうに、彼は答える。
「選ばれし子供たちの動向を探ることも、事前に把握することも出来るようになる。デジタルワールドにある闇の勢力と接触することも可能になれる」
闇の勢力と聞いたところで、彼の表情は無に変わった。
暗黒の種を産んだとも言える存在ともなるはず。なのに、彼は興味の一切を持ち合わせていない様子だ。
「闇の、勢力……。そいつらと俺にどんな関係がある?」
「暗黒の種だろう?」
「────だから? それがなんの関係があると言っているんだよ」
苛立ち紛れに彼は言う。
「暗黒の種だから闇の力だって言われても、確かに事実だよ。でもさ、生まれた場所が違うのに、話したことも会ったこともねぇのに、同じだと言わないだろ」
「けど、待て」
「同じ原料でも生まれた土地が違うだけで、味も違う。全く同じってことでもない。認識が違うことで、向こうと考えが同じだと言える根拠はあるのか?」
「そう……だな」
イグドラシルの影響なのか、確固とした意志がある。
ハッキリとした考えも持っている。
太一の中にもいたから、共に成長をしたのかもしれない。
「闇の勢力で得があるって言われても、何も無い状況で納得なんかできねぇよ」
でも、と付け足す。
「あんたが俺の面倒を見るんだろ? 闇の勢力うんぬんより、そっちの方が楽しそうだから、協力してやるよ」
彼の言葉に西島は、一瞬、頭が真っ白になった。
何を言っているんだ?
俺はそんなこと、彼に一言も言っていないぞ?
「良いだろ? あんたは俺の行動を見れる。俺は、自由に動ける資格がある。条件としては、そっちの方が得だ」
「待て待て。俺が面倒を見ると言ってないだろ!」
「今決めた。そうするなら別に付いて行っても良いぜ」
自分を受け入れるその様子に、西島は八神太一の意志がそこにあるのではないのかと思った。
消えたのではなく、現れなくなったと言えるような。
だって、こうして会話しているのが何よりの証拠ではないのか。
「話をするから待っていろ」
後ろにいる部下に、視線を合わせた。部下は急いで携帯を取り出して、上に連絡をしている。
「なぁ、せんせ」
暗黒の種────彼が、そのように呼ぶ。
敵が、敵となっているはずの彼が、そのように呼んでいる。せんせい、という言葉が何故か甘えているようなかたちで。
「俺って、なんなんだろうな」
寂しさを感じさせる言葉だった。
「さぁな」
西島は、その呼び方から感じることで、太一が生きていると考えている。まだ太一の心はあると信じている。
だから馴れ馴れしくとも、付き合おうと思ったのだ。
いつか戻ってくる彼の為にも。
「暗黒の種っていうけどさ。なんか、違うんだよ」
「は?」
「言っても分かんないと思うけど」
苦笑交じりに答えた彼は、太一と同じ笑顔だ。
これ以上は秘密。と言った。
どういうことだ、と西島が尋ねる。
「せんせいは、人間だから。大人だから」
だから、わかるわけがないよ。
そう、暗黒の種は言った。
「太一のこと、わかってる人間なんていない。イグドラシルさえ、見えてなかった」
ポツリと彼は言葉をこぼす。
そこにある思いを。感情を。少しずつ。
「分かるわけないよ。俺の事なんて。だから俺は、せんせいと居たいと思ったんだよ」
まるで、自分が罪人のように感じた。
目の前にいる少年は、そんな大人を気にしもしない。
海の音だけが、耳に響いた。