Island in the Sun(うーん……)
ひと月にわたる大きな任務を終え、レポートを提出したオレは、思い切り伸びをした。これでしばらくは落ち着けるだろうか。
もっとも、日々のトレーニングに魔術や歴史の勉強、サーヴァントたちの世話など、やることは山積みだ。それでも、慣れたカルデアで慣れた面々と毎日を過ごせるだけで気持ちはずいぶんと楽だった。
「おーい。マスター君」
そんなことを考えていると、後ろから、ダ・ヴィンチちゃんに呼び止められた。
「どうしたの? レポート、何か問題あった?」
「まだざっと見ただけだけど、よくまとまっている。問題はないよ。ちょっと話があってね」
その声色が明るいことから、どうやら悪い話題ではなさそうだ。なあに、と問うと、彼女はこんなことを口にした。
「君に、オフを与えよう!」
***
「休みとな」
「そう。一日だけではあるけど」
ダ・ヴィンチちゃんが言うには、上層部で話し合って、いつも頑張っているオレにリフレッシュ休暇を与えようと決まったという。その期間は一日。本当はもっとゆっくり心と体を休めてほしいが、状況はそれを許さないと。すまないね、と彼女は言うが、オレとしては一日だってありがたい。何より、みんながオレを思いやってくれたことが嬉しかった。だからそんな険しい顔をしないでくれと、オレは目の前の恋人・渡辺綱さんに笑いかけた。
「……あまり無理をしないでほしい」
「大丈夫だよ。それに、あんまりのんびりしてても体が鈍っちゃうしね」
オレを案じる恋人を宥める。彼の気持ちだってもちろん嬉しいが、オレはマスターという立場上そう休んでいるわけにはいかない。それに、仮に部屋で惰眠を貪っていたとしても、暇を持て余したサーヴァントの誰かしらが訪ねてきたり、力を持て余したサーヴァントにトレーニングへと駆り出されたりして、あまりゆっくりできないだろうことは目に見えていた。
「休みは何をして過ごすのだ……?」
綱さんの控えめな、伺うような声色からは、その日は自分をそばに置いてほしいという願いが滲み出ている。せっかく結ばれたこの人とも、二人で過ごせる時間は日々そう多くはない。フリーの日くらいはオレを独占したいと考えてもおかしくはないだろう。もちろん、こちらにも考えがある。
「デートしようよ」
「でーと……それは確か、恋仲の二人が出かけることだったか……?」
オレにふさわしくあらんと、綱さんは現代の言葉や文化についても学んでくれている。まだ、カタカナの言葉はどこかたどたどしいが。そんなこの人にとって、体験学習にはピッタリだろう。すでにダ・ヴィンチちゃんたちから了承は得ていた。夕方までの短い時間だが、二人で現代の渋谷へ遊びに行こう。
「……」
喜んでくれるかと思いきや、綱さんはどこか不安げな面持ちだった。
「どうしたの?」
「俺はこんな旧い時代の武者だ、当世でどのように振る舞ったらいいか……」
「大丈夫だよ。オレに任せて」
オレは綱さんの手を握った。当日はこの人のエスコート役も務めることになりそうだ。二人で最高の思い出を作れるように、気合を入れていこう。
「……頼りにしている。楽しみだ」
安心してくれたのか、綱さんは手を握り返して微笑んだ。
一
「準備はできたかな?」
迎えたデートの当日。そろそろ着替えも済んだことだろうと、オレは綱さんの部屋を訪れた。
静かに扉が開き、部屋のぬしが姿を現す。オレは彼に思わず見惚れていた。
現代日本へ赴くにあたり服を新調することとしたのだが、着るものに頓着しない綱さんには選び方が分からなかったので、不肖このオレが全身をコーディネートしたのだった。クールな外見の彼には黒やベージュがよく似合うが、今回はあえてそれを外した。見た目に反してかわいらしいところのあるこの人の、その内面を際立たせるため、柔らかなパステルカラーを中心に選んだ。ミントグリーンのシャツにアイボリーのベスト、淡いブルーの細身のジーンズに白いスニーカー。まだ少し肌寒い季節に、明るいブラウンのチェックに彩られた薄手のコートを羽織る。綱さんは着慣れない色の衣装が恥ずかしいのか、どこか落ち着かない様子だ。
「自信を持って。よく似合ってるよ」
「……あなたがそう言ってくれるのならば」
微笑んでみせると、彼は安心したように表情を緩めた。
「主もいつもより肩の力が抜けているようだ。魔術礼装ではないからだろうか?」
「ああ、それはあるね」
普段のオレが身につけているものは、いつでも戦闘に臨めるための衣装。今日はただ、恋人と休暇を楽しむためだけの装いだ。ネイビーのアウトドアジャケットの下には白い長袖のシャツと黒いスキニーデニム、足もとは黒を基調とした白いソールのスニーカー。まだカルデアに来る前、休日に出かけるときに好んでいた一式だ。ダ・ヴィンチちゃんに頼んだら、レプリカを快く用意してくれた。慣れたそれらに身を包むことで、心もオフモードに切り替わっているのだろう。
「今日はたくさん楽しんでこようね」
「よろしく頼む」
***
久々の渋谷は相変わらずだった。三月の穏やかな風も、人々の熱気にかき消されるようだ。
「映像で学んではいたが、こうして立ってみると想像以上だな。京も活気があったが、ここまでではなかった」
ここは世界でも屈指の賑やかな街だ、平安の昔を生きたひとが驚くのも無理はない。
「あれは、てれび、というものか。なんだか首が痛くなりそうだ」
綱さんの視線の先には大きなモニタ。夏のイベントの開催案内が放映されており、周りの人々も足を止めて見上げている。もちろん彼の生きていた時代には存在しなかったものだ。その他にも目につく何もかもが物珍しいのだろう、綱さんはそのままきょろきょろと辺りを見渡していた。
「そんなところかな――ねえ、はい」
手を差し出すも、綱さんは意味するところが分からないようで、クエスチョンマークを頭の上に浮かべながらじっとオレの顔を見ている。オレは何も言わず、彼の手を取った。
「ひゃっ! あ、主……」
声をひっくり返した綱さんに構わず、指を絡める。
「迷子にならないように、ね。それから、今日は名前で呼んで?」
「……」
綱さんは顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。彼は見かけや戦場での勇ましさによらずとても恥ずかしがりで、自分からオレに甘えることができない。いつもこちらから仕掛けて、彼が顔を赤らめるのが定番の流れになっていた。もうそろそろ慣れてくれても、と思うのだが、この慎ましやかなところもかわいいのだ。
「りつ、か……」
オレの名すら、いつも照れて口にしてくれない。今、このひとは相当頑張ったのだろう。なあに、と優しく問うと、ぼそぼそと呟かれた。
「急に、そんなことを……心の、準備というものが……」
「ごめんね」
すると、言葉とは裏腹に、おそるおそる手に力が込められた。離さないでくれという控えめな意思表示に、こちらも力を込めることで応える。
「よし、じゃ、行こうか」
まだ赤い顔のまま頷く恋人と、手を繋いで歩き出す。まずは――