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    紅花のシル←ディミ。実はこれが最初に書いたシルディミ。未完のためほぼ表に出てこないがなんかで投げた気がする。忘れた
    実は二万文字くらいあるが制限に引っ掛かったので一万文字で終わりにしとく

    一一八〇年 冬[#「一一八〇年 冬」は中見出し]

     精神的な疲労を抱えながらディミトリは大広間を抜け出した。踊りも華やかな場も得意でなかった。人気のない野外まで来てようやく一息つく。吐き出した息はうっすらと白くなり、夜の闇に溶けていった。冬なのだ。雪一つ降らない冬景色を奇異に思った。ぼんやりと顔を上げれば満天の星空が広がっている。故郷で見た星と同じ星を探そうとしたものの、あまりにも数が多すぎて見つけられなかった。
    「綺麗なもんですねぇ」
     聞き慣れた声を聞き、不思議なことがあるものだと振り返る。予想通り、幼馴染のシルヴァンが頭の後ろで手を組みながら歩いてきていた。
    「踊りはいいのか?」
     女好きを公言して憚らない彼にはこの上なく楽しい催しだろうに。からかい半分、疑問半分で尋ねれば彼は組んでいた手を解く。
    「殿下に助言をしたらすぐに戻りますよ」
     彼の声は随分と弾んでいた。話が見えず、眉間に皺が寄る。対するシルヴァンは笑顔だ。
    「女神の塔に行くんでしょう?」
    「いや、そういうわけではないが……」
    「またまた〜。分かってますって。誰にも言いませんから安心してください」
     何一つ分かってくれないまま、シルヴァンはウンウンと訳知り顔で頷く。彼はディミトリの肩に腕を回すと内緒話をするように耳元で囁いた。
    「いいですか。気の利いた言葉とかは言わなくても大丈夫です。願い事を聞かれたら『お前とずっと一緒にいたい』と答えるんです。それで殿下の恋はバッチリですよ」
     呆れてモノが言えないとはこのことだろう。軽い頭痛さえ覚えた。
     どうやらこの男は、ディミトリが舞踏会を抜け出して想い人と逢引に行くと考えているらしい。それも、願い事が叶うという伝説のある塔で待ち合わせをして。
     シルヴァンの顔と腕が離れていく。満足げな表情だ。どうにも耐えきれなくなってディミトリは彼の手を掴んだ。シルヴァンが目を丸くする。きっと彼の予定では、ディミトリが礼を述べて女神の塔へと去っていき、それを見送るだけだったに違いない。生憎だが、ディミトリにはそんな予定は全くなかった。
     握り潰さないよう気をつけながら、シルヴァンの左手を両手で握り込む。緊張を飲み込んで真っ直ぐに彼の顔を見つめた。
    「お前とずっと一緒にいたい」
     元々丸かった彼の目が更に丸くなる。天地がひっくり返るのを目の当たりにしたような顔だ。ディミトリは己の頰が熱くなるのを感じた。心臓は早鐘を打っている。
     伝わったか、伝わっていないか。
     あまりにも長すぎる数秒が経った。シルヴァンが相好を崩す。
    「その調子です、殿下! 完璧な言い方でしたよ!」
     彼はあっさりとディミトリの手から逃れ、文字通り背を押した。予想もしなかった行為によろけ、足を踏み出す。
    「あとで成果、教えてくださいね」
     文句のつもりで睨んだはずが、シルヴァンがあまりにも嬉しそうに手を振っているのでディミトリの気持ちは一気にしぼんでしまった。
    「ああ、分かったよ」
     諦めの言葉は彼には異なる意味で伝わっただろう。しかし、それで良かった。ディミトリには命を賭してでも為さなければならないことがある。いま、伝えようとしたことはその時には置いていかなければならないものだ。いま置いていったところで何の問題もない。
     女神の塔の方向へ歩き出す。建物の陰に隠れてから行き先を変えれば、シルヴァンにも気づかれまい。背中に突き刺さる視線に急かされるように足を動かした。
    [#改ページ]
     
     女たちの協奏曲[#「女たちの協奏曲」は中見出し]

     王都フェルディアは春が最も美しい。溶け始めた雪の下から草木が伸び始め、鮮やかな花が咲く。空からは重苦しい灰色の雪雲が消えて目にも眩しい青が広がる。春の訪れとともにやってきた商人たちが市場に他国の空気を運んでくる。大地も空も人も活気に満ちていく。それがフェルディアの春だ。
     ディミトリは芽吹き始めた草花を中庭から眺めていた。今はまだ数えられるくらいの花しかないが、じきに中庭を埋め尽くすほど満開になる。その頃にはまた戦も激しくなっているだろう。待ち遠しさと苦々しさがないまぜになる。昨年から始まった隣国との戦は終わる気配を全く見せていない。それどころか一層激しさを増すばかりだ。片付けなければならない仕事や考えなければならない問題のことがいくつも思い浮かんでくる。それを中断させるように、従者のドゥドゥーが淹れたばかりの紅茶を差し出してきた。
    「ありがとう」
     礼を述べてカップを持ち上げれば落ち着く香りがした。昔、ディミトリが好きだと語ったお茶だ。たった一回口にしただけのその言葉をドゥドゥーは律儀にも覚えているらしく、以降、彼が紅茶を用意する際はからなずこの茶葉を用いてくれる。
     ドゥドゥーはディミトリの礼にかすかに口元を緩ませて、他の茶会の出席者、イングリット、メルセデス、アネットの三人にも紅茶を淹れる。イングリットは早くも茶菓子に気を取られているようで、ドゥドゥーへの礼はキッチリ述べながらも視線は焼きたての茶菓子に釘付けだった。茶菓子の製作者であるメルセデスは普段と変わらぬおっとりとした笑顔を浮かべてイングリットに菓子の出来栄えを語っている。
    「あ、ドゥドゥーの分は私が淹れるよ」
     三人の茶を淹れ終え、茶器を片付けようとしたドゥドゥーにアネットが声をかける。ドゥドゥーは断ろうとしたようだが、アネットの「いいからいいから」の言葉に押され、結局、アネットに茶器を手渡した。けっして大きくない白い円卓の上に、五人分の茶碗と山盛りの茶菓子が所狭しと並べられていた。
    「それじゃあ、いただこうか」
     ドゥドゥーが着席したのを見計らって声をかける。四人分の「いただきます」が中庭に響いた。ディミトリも彼らに遅れて「いただきます」と口にする。
    「こうしてみんなでお茶会するのも久々だね。学生以来?」
     アネットがメルセデスに目配せをする。長い付き合いの二人はそれだけで通じるものがあるらしく、メルセデスは顎に人差し指を当てて考え込むような仕草を見せた。
    「そうねぇ。アンやイングリットとはたまに一緒にお茶を飲むけど、ディミトリたちとはなかなか、ねぇ?」
     実に意味深な物言いでメルセデスはイングリットを見やった。イングリットはこの短い間に紅茶を一口と茶菓子を二つ平らげており、三つめの茶菓子に手を伸ばしながら大きく頷く。
    「まったくです。陛下は働きすぎです。ドゥドゥー。貴方からも言っておやりなさい」
     無言で紅茶を飲んでいたドゥドゥーだが、水を向けられるのは予想していたらしい。イングリットに名を呼ばれるとすぐに茶碗を受け皿に置いた。厳つい顔をディミトリに向けてくる。
    「陛下。昨晩は何時に床に就かれましたか?」
     鋭い眼差しが突き刺さり言葉に詰まる。イングリットの目が三角になった。アネット、メルセデスも心配げな眼差しを注いでくる。
    「その、夜明け前には……」
    「夜明け前⁉︎」
     腰を浮かしたイングリットがさっと顔を赤らめ、こほんと咳払いをしながら椅子に座りなおす。頬の赤みはそのままにキッとディミトリを睨みつけてきた。
    「陛下。夜明けごろには練兵場にいましたよね?」
     誤魔化す前にドゥドゥーが大きく頷いた。
    「近頃はずっとその調子だ。おれがいくら言っても聞き入れてくださらない」
    「あらあら……」
     メルセデスが困り顔で笑う。努力しすぎる性質のアネットにすらため息をつかれた。ここまでくるとディミトリもこの茶会が『久々に親交を温めるため』などというものではないことを察した。いや、その要素もあったのだろうが真の目的は諫言に違いない。この場にいない発案者を恨めしく思う。
    『疲れた顔してますね、陛下。そうだ、麗しい女性たちとお茶会なんてどうです? 陛下も女性に囲まれたら元気が出るでしょ』
     軽薄なあの男はそんなことを言って手早く日取りを決めるとディミトリの意志も聞かず参加者の招待を済ませてしまった。結局、肝心の当人は西方の戦に駆り出されてしまったのだが。
    「今は休んでるんだから許してくれ」
     気遣いを含んだ非難に苦笑いを返せば、四人はほとんど同時にため息をついた。
    「そんなですからシルヴァンがこんなつまらない計画を立てるんです」
     座り直したイングリットが四つめの茶菓子に手を伸ばす。このままではイングリットにすべて食べ尽くされてしまいそうだ。その懸念はディミトリだけのものではなかったらしく、慌てた様子でアネットも茶菓子を摘んだ。一口かじると実に幸せそうに目を細める。
    「まあそう言うな。あいつも俺たちのことを思って計画してくれたんだろうし、何より、俺はこの茶会が本当に楽しみだったんだから」
     紅茶をすする。六年前の事件で失われた味覚は未だ戻らず、せっかくドゥドゥーが淹れてくれた紅茶を口にしても何の味もわからない。それがひどく残念で申し訳なかった。
     ふと顔を上げるとアネットがあんぐりと口を開けていた。イングリットは眉を吊り上げている。メルセデスのおっとりとした笑顔は変わらなかったが、彼女は自身の頰に手を添えて遠慮がちに口を開いた。
    「もしかして聞いてなかったのかしら〜」
    「何をだ?」
    「このお茶会が私たちと陛下のお見合いだってこと」
    「……は?」
     ドゥドゥーを見遣る。彼の眉間には深い皺が刻まれていた。
    「おれもシルヴァンからそう伺ってました」
     驚きすぎて声も出ない。ぎこちなく三人の女性に目を戻した。いずれも同じ学級で一年の時を過ごし、その後も交流が続いている間柄だ。彼女たちがそれぞれ魅力的な人物であることはディミトリも保証するところであり、また苦楽を共にしたこともあって親しみを覚えているのも確かだ。が、恋仲などに発展する要素はなかった。
    「あくまでシルヴァンが言っていただけですから。いえ、シルヴァンの話では陛下も非常に乗り気で私たち三人の名前を挙げたとかそういうことになっていたんですけれど」
    「あのあの、私たち、元々断ろうと思ってて。いえ、陛下が魅力的でないとかそういうわけじゃなくてですね、少なくともこの戦いが終わるまではそういう話は無しにしようって……」
    「みんな、ディミトリが働きすぎなのは気になっていたし、この話にかこつけて休んでもらおうって計画したの。ごめんなさい、騙すような形になってしまって」
    「いや……その、皆、信じたのか? 俺がシルヴァンを通じて見合い話を持ってきたことを」
     こういったことに関するシルヴァンの信用度は低いはずだ。疑問を口にすれば、彼女たちは顔を見合わせ、ドゥドゥーは無表情で腕を組んだ。
     はい、と最初に勢いよく手を挙げたのはアネットだ。
    「私は、気分が落ち込んで元気が出ないから側で励ましてくれる人を求めてるって聞きました。陛下がそういうこというのは珍しいなって思いはしたんですけど、シルヴァン相手にならそういうことも話すのかなって思って、信じちゃいました」
     次に小さく手を挙げたのはメルセデス。
    「私は陛下が心安らげる時間を欲してるって聞いたわ〜。ずっと様々なものに追われて本当は疲れ切ってるんだって。本当じゃなかったとしてもディミトリには休息が必要だと思ったから、承諾したの」
     最後はイングリット。
    「私は、陛下が国の安定を示し、民を安心させるために妃が必要だと考えていると聞きました。他にも色々言っていましたけれど、嘘や冗談の類だったので忘れました」
    「皆に違うことを吹き込んでいたのか。まったく、あいつは……」
     調略のときに発揮すべき能力をなぜこんなところで活用してしまうのか。まったく理解に苦しむ。
    「まあ、いい。あいつには面と向かって文句を言ってやろう」
    「そういえば今日でしたね、シルヴァンたちの帰還予定は」
    「お前たちに会いたいから必ず戻ると言っていたぞ」
     出立前に騎士の名にかけて約束した男を思い出し、ため息が漏れる。女性問題さえなければ頭のよく回る面倒見のいい男で、この上なく有能なのだ。
     茶菓子に手を伸ばす。口に含めばサクッとした食感を味わえた。生地に木の実を混ぜているのか、一部、食感の違う箇所があった。味は分からずとも、楽しい菓子だ。アネットやイングリットが気にいるのもよくわかる。
    「三人とも元気かしら? 怪我をしてないといいのだけれど」
     メルセデスが心配そうに言う。三人とは同じ学級で過ごしたシルヴァン、フェリクス、アッシュを指すに違いない。
    「そのあたりは問題なさそうだ。昨日、シルヴァンからの手紙が着いた。アッシュもフェリクスも活躍華々しく女性たちに大人気で、とあったからな」
     他にも前線の様子などが書かれていたが、この場で口にする必要はないだろう。穏やかな春の日差しが差し込む中庭に、血生臭い話題はそぐわない。
    「報告書にもそんな浮ついたことを書いているんですか? まったく、落ち着くべきは陛下ではなくシルヴァンの方でしょう」
     文句を言いながらイングリットはいくつめかの茶菓子をつまむ。気づけば茶菓子は半分まで減っていた。皿をドゥドゥーの前に持って行き、取るように促す。彼は申し訳なさそうに目礼したのち、茶菓子を手に取った。それを確認して皿の位置を戻す。今度はメルセデスが茶菓子をつまんでいった。
    「シルヴァンってあんなにいろんな女の子と付き合ってるのに、ちっとも本命の話は出ないよね」
    「本人はみんな本命で本気だって言ってるけどね〜」
    「本気じゃありませんよ。その手の口車で何人の女性が餌食になって、その度に何度私が頭を下げに行ったか……」
    「でも、本当にいないのかな、本命。一人ぐらいはいたりして」
    「う〜ん。どうかしら。ねぇ、イングリット。心当たりはない?」
     ポンポンと交わされるやり取りに口を挟めないまま、ディミトリは紅茶を飲んだ。飲み終わるのを見計らってドゥドゥーが茶を淹れてくれる。そのまま彼はメルセデスとアネットの茶も淹れた。イングリットの茶は中身が減っていなかったようで一瞥したのち彼は自席へと戻る。少し身を乗り出してドゥドゥーの茶の量を確認すれば残り僅かだった。
     イングリットが空を仰ぎながら持っていた茶菓子を食べ、茶器を傾ける。
    「ないですね。そもそも彼は女性との関係が長続きしないのです。友人としてすら一年もつかどうか」
    「そっかぁ。でもちょっと納得かも」
    「あら、どうして〜?」
    「だって、シルヴァンって顔も悪くないし、頭もいいでしょ。武術だってそれなりにできるし、本気になって女の子を口説いたら絶対相手の子はシルヴァンのこと好きになるよ」
    「えぇ? そうですか? 勉学にも鍛錬にもまったく身を入れない上に、口八丁手八丁で逃げ続けるような男ですよ?」
    「あらあら。イングリットは手厳しいわね〜」
     ドゥドゥーが茶碗に口をつける。それを見計らってディミトリは茶器を手に取った。茶を淹れるなど久しくしていないが、注ぐぐらいなら問題なくできるだろう。ドゥドゥーが茶碗を受け皿に置いた瞬間、遠慮される前に奪い取る。ドゥドゥーの顔がサッと青ざめた。『陛下にそのようなことはさせられません』と書かれた顔を無視して茶を淹れてやる。日頃、ドゥドゥーには世話を焼かれてばかりで恩の一つも返せていない。小さなことではあるが、こうして彼のために何かをしてやるのはディミトリのささやかな楽しみだった。
     湯気の立ち上る茶碗を差し出してやれば、ドゥドゥーはひどく申し訳なさそうに頭を下げた。それから繊細なガラス細工に触れるかのように茶碗を持ち上げ、中身を口に含む。厳つい顔が綻んだ。注いだだけだというのに大袈裟な。嬉しそうな彼の様子にディミトリの口元もつい緩んでしまう。
    「陛下、シルヴァンへの見合いの話は来ていないのですか?」
    「えっ?」
     気が緩んでいたため、イングリットの言葉が一瞬、理解できなかった。
    「ええと、すまない。話を聞いていなかった」
    「いえ、こちらこそ唐突に失礼しました。シルヴァンへの見合い話です。彼もゴーティエ家の嫡子ですから、それなりに来ているでしょうと思いまして」
     顎に手を当てる。正直なところ、あまり考えたくない話題だった。しかし、真っ直ぐに、何の深い意図もなく見つめてくるイングリットの視線から逃げることもできなかった。眉間に皺を寄せ、記憶を探る。
     たしかに、学生時代もその前も、後も、縁談の噂そのものはあった。特にディミトリが幼い頃ほど多かったと思う。それが、シルヴァンの素行の悪さが周知されるようになってから減り、学生時代にまた増えた。実際にシルヴァンを目の当たりにして意見を変えた女性がいたのだろう。その後はまた減ったのだが、それはシルヴァンの問題というよりは世情の問題だろう。開戦をきっかけに婚姻がより重い意味を持ったのだ。
     しかし、どれもこれも噂である。シルヴァン本人から、あるいはゴーティエ家から直接そういった話を聞いた記憶はない。
    「来てはいるんだろうが……」
     素行がまったく改まらないところを鑑みると、本人が乗り気でないことはたしかだ。
    「陛下もご存知ないのですか」
     イングリットが残念そうに言うので、少し引っ掛かりを覚えた。
    「俺よりお前やフェリクスの方がシルヴァンに詳しいだろう?」
     二人ともシルヴァンとは幼馴染で領地も近い。王子という身分と領地の遠さもあってあまり遊べなかったディミトリより親しい間柄だろう。学生時代も三人で話している姿をよく見かけた。
     イングリットが小首を傾げる。
    「そうでしょうか? フェリクスはこういった話題を好まないと思いますが」
    「いや、あいつの色恋に限らずだな。よく一緒にいるだろう。お前たちは」
     イングリットはますます不思議そうな顔をした。
    「共にいる時間というなら陛下とそう変わらないと思いますが。ねぇ、ドゥドゥー」
     ドゥドゥーは「ああ」と一度頷いてから「いや」と否定する。
    「陛下の時間という意味でなら、シルヴァンに割いている時間は長い」
     まったく自覚がなかったのでどきりとした。一瞬遅れて、それがシルヴァンへの説教の時間だと気づく。焦りを隠して咳払いをした。
    「あいつはすぐに問題を起こしたからな。あれさえなければ騎士として何の問題もないからつい言い過ぎてしまう」
     あくまで王子として、王として気にかけているのだと主張してみるが、イングリットたちには重要な要素ではなかったらしい。彼らの様子に目立った変化はなかった。
    「本当に単に結婚したくないだけなのかなぁ」
    「それ以外に考えれないのでは? 昔から趣味は女遊びだと主張していた男ですから」
    「でもほら、道ならぬ恋とかそういうのもあるんじゃないかな。本当に好きな人とは絶対に結ばれない、とか」
    「はあ、あのシルヴァンに……?」
    「そうね〜。あるかもしれないわね〜」
    「メルセデスまで」
     アネットが円卓の上に両腕を乗せてずいと身を乗り出す。心なしかその目はキラキラと輝いていた。
    「どこかの貴族のご夫人とか?」
    「あの男は結婚の有無を問わず口説く軽薄な男です」
    「他国の女性とかは?」
    「シルヴァンが気にすると思いますか?」
    「なら、同性の方とかかしら〜」
    「む」
     イングリットの否定が止まる。真剣な表情で考え込み始めるので、ディミトリは笑ってしまった。
    「それこそないだろう。あのシルヴァンに限って」
    「ですが陛下。彼は何回か見目麗しい男性を口説いた経験があります」
     笑みが固まる。思い当たる節があった。それを悟られないように舌を動かす。
    「いや、しかし、それはきっと女性と間違えてのことだろう?」
    「ええ、その通りです。でも、妙にそのことが引っかかって……」
    「そうね〜。彼、真面目だから領主の務めは捨てられないだろうし、同性相手だったら想いも伝えられないかもしれないわね〜」
     シルヴァンが真面目かどうかは疑わしいが、あのメルセデスに言われるともっともな気がしてくる。
    「そうなると、相手は誰だ?」
     疑問を口にすれば、三人ともうーんと考え込んでしまう。最初に口を開いたのはアネットだった。
    「もし、その恋を諦めるためにああいう行動をしてるなら幼い頃に出会った人じゃないですか?」
    「彼の交友関係は広いようで狭いですからね……。昔馴染みとなるとフェリクスか、陛下か、あるいは」
     そこでイングリットは痛みを堪えるように言葉を切った。おそらく、彼女の婚約者だったグレンのことを思い浮かべたのだろう。フェリクスの兄でもあった彼は、ディミトリたちの良き兄貴分だった。シルヴァンとも親しかったと記憶している。可能性はあるだろうが、イングリットのためにもその選択肢は除外した。
    「俺はないだろう」
     シルヴァンの態度はどう振り返っても友人の域を出ない。いつかの応援が蘇り、胸が痛んだ。
    「そうかしら〜?」
     メルセデスがにっこりと笑う。慈愛に満ちた彼女の笑顔はいつ見ても人を癒す。
    「シルヴァンは貴方のことをとても気にかけていると思うわ〜。このお茶会も貴方のために開いたものだし」
    「それはあくまで友人としてだ」
     有り難いことだと思いつつも不足に感じてしまう自分を嗤う。すっかり冷めてしまった紅茶で喉を潤した。
    「……陛下。つかぬ事を伺いますが、幼少期にシルヴァンに口説かれた経験がおありでは?」
     危うく紅茶を吹き出すところだった。必死に飲み込むが、今度は妙なところにお茶が入り、ゴホゴホと咳き込んでしまう。慌てたドゥドゥーが駆け寄ってきて背中をさすった。
    「やはり。幼い頃の陛下は少女のように可愛らしかったですから、実はかねてから懸念していたのです」
    「え、え⁉︎ ってことは、シルヴァンの好きな人って……⁉︎」
    「い、いや、だからそれは女性と間違えてだな……」
     涙目で訴えれば、イングリットは哀れみの眼差しとともに首を左右に振った。
    「私の懸念は、陛下が口説き落とされたのでは、ということです」
     咳がさらにひどくなる。メルセデスまで寄ってきてディミトリの背を撫で始めた。
    「え? え、つまり、え?」
     混乱しているらしいアネットがイングリットとディミトリを交互に見やる。イングリットは深く長いため息をついていた。
    「陛下はシルヴァンを好いておいでなのですね」
     もはや質問ですらない。確認だった。頰が熱くなり、ディミトリは顔を伏せた。墓にまで持っていく予定だったというのに、まさかこんなところでこんな風に露呈するとは。ゆっくり呼吸を整えながらこの場からどう乗り切るか思案する。せめてシルヴァンが帰ってくる前になんとかしなければならない。
    「陛下、本当なのですか?」
     頭上から滅多にないドゥドゥーの動揺しきった声が降ってきた。落ち着きかけた呼吸が乱れ、目尻に涙が浮かんだ。メルセデスが手巾を取り出し、拭ってくれる。それに礼を述べ、こほんと咳払いをした。痛んだ喉を紅茶で潤す。
    「たしかに、シルヴァンに口説かれたことはある」
    「何日間ですか」
     話を遮るようにイングリットに質問をされ、少し困った。
    「三日間だ。だが、最終的には俺が男であり王子であることも伝わったし、シルヴァンも平身低頭して謝罪を」
    「陛下、本当にシルヴァンを愛しておられるのですか?」
     今度はドゥドゥーに問われる。愛。少し冷めかけた頰の熱がまた急上昇した。
    「そ、それほどたいそうなものではなくてだな、そもそもシルヴァンの本命の話じゃなかったか? 俺のことは関係ないだろう」
    「陛下、質問に答えていただきたい」
     少しばかり責めるようにドゥドゥーに言われ、ディミトリはうつむいて首を左右に振った。顔どころじゃない。耳まで熱い。
    「頼む、置いて行くと決めたんだ。言わせないでくれ」
    「……失礼しました」
     ドゥドゥーはなだめるようにディミトリの背を叩き、離れていった。かちゃかちゃと茶器が音を立てるのが聞こえる。そっと顔を上げれば紅茶を淹れ直すドゥドゥーの姿が見えた。
     パンとアネットが手を叩く。茶菓子の皿を掴むとずいっとディミトリの方へ押しやってきた。
    「陛下! 残り全部食べてください!」
    「えっ⁉︎」
     イングリットが悲嘆の声を上げたが、アネットは構わなかった。
    「甘いものを食べたらきっと元気になります! シルヴァンのことも吹っ飛びますよ!」
     そんなことはないと思うのだが、彼女は固く信じているらしい。固辞するのも失礼かと考え、皿から茶菓子を
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    MAIKING紅花のシル←ディミ。実はこれが最初に書いたシルディミ。未完のためほぼ表に出てこないがなんかで投げた気がする。忘れた
    実は二万文字くらいあるが制限に引っ掛かったので一万文字で終わりにしとく
    一一八〇年 冬[#「一一八〇年 冬」は中見出し]

     精神的な疲労を抱えながらディミトリは大広間を抜け出した。踊りも華やかな場も得意でなかった。人気のない野外まで来てようやく一息つく。吐き出した息はうっすらと白くなり、夜の闇に溶けていった。冬なのだ。雪一つ降らない冬景色を奇異に思った。ぼんやりと顔を上げれば満天の星空が広がっている。故郷で見た星と同じ星を探そうとしたものの、あまりにも数が多すぎて見つけられなかった。
    「綺麗なもんですねぇ」
     聞き慣れた声を聞き、不思議なことがあるものだと振り返る。予想通り、幼馴染のシルヴァンが頭の後ろで手を組みながら歩いてきていた。
    「踊りはいいのか?」
     女好きを公言して憚らない彼にはこの上なく楽しい催しだろうに。からかい半分、疑問半分で尋ねれば彼は組んでいた手を解く。
    「殿下に助言をしたらすぐに戻りますよ」
     彼の声は随分と弾んでいた。話が見えず、眉間に皺が寄る。対するシルヴァンは笑顔だ。
    「女神の塔に行くんでしょう?」
    「いや、そういうわけではないが……」
    「またまた〜。分かってますって。誰にも言いませんから安心してください」
     何一つ分かってく 10000

    no_________

    MAIKINGシルディミのボツ。亡霊の話を書こうとしたパート2。今回は生き霊です士官学校には不思議な話が多い。一人でに動く人体模型や、深夜に鳴り響く鐘とか、特定の時間帯にだけ増える階段とか、そういった話に事欠かない。だから、幼い頃の幼馴染みそっくりの『何か』を見かけたとき、その類かとシルヴァンは思ったのだった。
     最初に見かけたのは春の終わりだった。その日は学友と怪談話でひどく盛り上がり、気づけば日はすっかり傾いていた。所用のある学友と別れ、一人、自室に帰ろうとした時だった。駆けていく子供を見つけたのは。
     少女と見まごう容貌も、特徴的な青の装束も、肩口で切りそろえられた眩い金髪も、どれも見覚えがあった。ディミトリ。シルヴァンの幼馴染みであり、ファーガス神聖王国の王子。その幼い頃に、子供はそっくりだった。
     シルヴァンの視線に気づいたのか、子供は振り返ると人差し指を口元に当てニッと笑った。
     見つかった。
     理屈のない感情に襲われて目を逸らす。冷や汗と共にその場を後にした。あんな話を聞いた後だから見間違えたのだ。そう自分に言い聞かせしたが、茜色の世界にポツンと浮かんだ青のことはなかなか頭から離れなかった。
     それでも、季節が過ぎれば鮮烈な感情も色あせ、記憶からも薄 660

    no_________

    MOURNINGシルディミのボツ。翠風のディミトリが死んだ後の話を書こうとした。彷徨うやつ好き辺りは死のにおいで満ちていた。北方の川には死体が浮かび、水を赤く染める。平原の中央では砦と大地が焼けていた。死肉を求めて鳥が上空を旋回する。枝に刺さる兵士の上に舞い降りると、黄色い目をギョロリと動かしてあたりの様子を伺った。
     赤毛の男は疲労を顔に滲ませて戦場を歩いていた。一人では真っ直ぐ立つことも歩くこともできず、彼は槍を杖の代わりとした。折れた右足を地面に下ろすたび、その顔は苦痛に歪む。額に浮かんだ脂汗ごと返り血を拭った。
     ガサガサと茂みを掻き分ける音がした。男は呼吸を止め、半ば反射的に槍を構える。彼から数十歩向こう、木々の合間を駆け抜ける影があった。白髪まじりの壮年の男が金髪の男を抱えていた。壮年の男は悲痛と後悔に呻きながら、北へとひた走る。金髪の男は動かない。背に十数の矢を生やしたまま、腹から剣を突き出したまま、首から斧を下げたまま、だらりと脱力している。壮年の男が足を動かすたびに、その身体から血が溢れて草を濡らした。
     赤毛の男は、彼らの姿が遠くに消えるのを見送った。足はその場に縫い止められ、追いかけることは叶わなかった。
     鳥だけが新たな餌を目指して飛んでいった。


      1668

    no_________

    MOURNINGシルディミで犬の話を書こうとしたやつのボツ。マイクランがかわいそうで気に入ってる棒で叩かれる犬を見た。あばらの浮いた犬は、その家の何かを狙っていたようだった。頰のこけた女性は金切り声を発しながら棒を振り、犬をもう一度叩いた。犬はキャンと大きく鳴くと、駆け去っていった。後に残された女性はだらりと腕を垂れ下げ、ヨロヨロと犬がいた場所に近寄った。赤く染まったその場所には食い漁られた鶏がいた。女性がその鶏をどうしたのか。馬車は遠ざかり、シルヴァンは目にすることができなかった。馬車の中には重苦しい沈黙が満ちている。頰を腫らした兄は膝の上で拳を握ったまま唇を噛みしめ、父は無表情で窓の外を眺めている。
    「犬ですら棒で叩けばいうことを聞くというのに」
     ポツリと父が呟いた。兄は口角を吊り上げ、父に向かって唾を吐き捨てる。父の手が翻り、流れるように兄の頰を打った。パァンと響く乾いた音に思わずシルヴァンは目を瞑り、耳を塞ぐ。口の中がひどく乾いていた。手のひらの向こうから口汚い兄の罵倒が聞こえる。父の叱責が聞こえる。息を殺し、自分はここにいないと思おうとした。
     兄の手がシルヴァンの手首を引っ掴む。兄は蒼白なシルヴァンを父に向けて突き飛ばした。父の手がシルヴァンを抱き留める。
    「あんた 1686

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