スワンプマンは二度笑うのかサマータイムレンダの同一性の取り扱いについておそらく多くの考察がなされていると思うので、ここではシンプルに以下の疑問について取り扱うこととする。
すなわち、この物語において大半動き喋るのは潮の影であるにもかかわらず、それが潮本人であるかのように我々が感じるのはなぜか。そして、その影によってもたらされたハッピーエンドが、実体としての潮によって実感されるのはなぜか。
この疑問について、いくつかの道筋を辿りながら、私は実体とはそれ自身が影であり、解釈であると結論したい。
まず初めに肉体の同一性について、ライプニッツの同一性の原理、およびテセウスの船による思考実験によってそれが不完全であることを示す。
第二に、本編における影と実体の関係について改めてひもとき、そこに総合的な移行と呼びうる実体の移行が前提されていることを明らかにする。
1180