く 明かりは唯一、焚き火の炎だけだった。その赤く揺らめく光の恩恵から一歩でも足を踏み外せば、文目も分からないほど濃い闇が広がっている。
そんな暗がりのなか、ディミトリは焚き火の明かりを頼りにして力加減に四苦八苦しながら、仕留めた蛇の皮を剥ぎ肉を裂いて、なんとか内臓を取り終えたところだった。
まずは一段落ついたことで、ずっと下を向いていて凝り固まった首を上向けてほっと息を吐く。闇に沈むはるか頭上からは夜鳥の陰鬱な声に交じり、さやさやと梢が囁く音が聞こえて、かすかに星が輝いているのも見えた。星が覗いたのは一瞬のことだったので、本当にわすがではあるが風が吹いているらしい。
(やはり上空から直接見つけてもらうのは難しいか)
ディミトリは日があるうちに見た、両側の崖上からきらめく緑で天を覆うように茂る樹木の枝葉を思い出していた。
一昨日の昼下がり、崖から下の川に転げ落ちたディミトリとベレスが泳いで辿り着いたのは、両側を切り立った崖に挟まれた谷底にあるこの沢辺だ。大雨が降れば川底になるような場所だが、幸い今は白く乾いた石が転がっている。陽の光は木漏れ日となって届くものの、頭上は木が生い茂っていて空の様子はうかがえない。天馬や飛竜による上空からの捜索では、見つけてもらうのは困難だろうことはたやすく想像できた。
(明日も、狼煙を上げなければな……)
立ち昇る煙を目印にしてもらうしかない。それだって昼間しか使えないから、自分たちが救助されるのはいつになるか分からない。実際、昨日一日はなんの音沙汰もなかったのだ。いつになるか分からない救助を待って、水はなんとかなるにしても、食料を切り詰めつつ、自分たちで――ベレスは足をひどく挫いて動けないから、主にディミトリひとりで――狩りをして賄っている状態だ。
(先生も怪我をしている以上、ここでじっとしているしかない)
当のベレスは、人より怪我の治りは早いから問題ない、と平静を装っている。実際、すでに腫れも引いていてつかまり立ちして動けるようだが万全とは言えず、ふとした際に見せる横顔はいかにも気落ちしたものだ。それがディミトリには気がかりだった。
(だが、明日の食事は一品増える。先生の気持ちもこれで少しは上向きになるだろう)
食糧は切り詰めるべき状況だが、今はベレスの気持ちを持ち直すのが最優先だ。明日は遠慮せず食べてもらおう。最初は遠慮するかもしれないが、気にするなと伝えて串焼きにしたものを握らせれば食べるだろう。食べ始めればきっと、いつものようないかにも美味しげに、満足げに、楽しげに食べてくれるはずだ。
その様を想像して、ディミトリは微笑んだ。
ベレスの食べ方は見ていて実に気持ちがいい。細身の引き締まった体からは思いもよらぬみ見事な食べっぷりもそうだが、食材となったものを残すことなく最後まできれいに食べきるから、見ているだけでも爽快なのだ。
「よし、続きをやるか」
声に出して、ディミトリは今後の心配からベレスの笑顔へと気持ちを切り替えた。沢のきれいな水で作業場や手についた血を洗い流し、取り除けなかった骨ごと石で砕いて身を柔らかくする。ゴッゴッと鈍い音が静かな夜にはやけに大きく聞こえて、ディミトリはベレスを起こさないように慎重に慎重に作業を進めていった。
「これを、君が?」
夜が明け、岩壁に掴まりながら洞から出てきたベレスは目を瞬かせた。みずみずしい緑の木漏れ日の下で昨晩の残り飯を食べながら、ディミトリがベレスに夜のあいだに異常がなかったことと、蛇を捕まえたので捌いておいたことを伝えたのだ。
きっと驚きながらも喜んでくれるだろう。そんなディミトリの目論見は、ベレスの顔を見たら半分外れたことに気づかないわけにはいかなかった。
「そう、か。すまない。動けないぶん私が食事を作るべきなのに、君にさせてしまって」
「そんな大げさにとらえないでくれ先生。火の番だけでは眠くなってしまうから、ちょうどよかったんだ。それよりも、俺が興味本位で捌いてしまったせいで身が減ったりしていないかが心配だ。このあとの調理は先生に任せてもいいだろうか? もちろん、俺も手伝わせてもらうから」
ディミトリの笑顔に引きずられた様に目元を和らげたベレスは、促されるままにぶつ切りにされた肉のたたきに目を落とした。
「うん……きれいにさばけているよ。君は力加減が苦手だって言っていたから、きっと苦心したでしょう。ありがとう」
「そうか。よかった」
ディミトリはほっと息を吐いて笑みを浮かべた。
ベレスの言葉に安堵したのもあるのだが、それ以上に、顔を上げたベレスの口端が少しだけ、ほんの少しだけ上向いたように見えたのだ。
「ところでディミトリ、この蛇はどんな蛇だった?」
「どんな、と言うと……? 先生に注意するよう言われていた毒蛇のように見えたのだが。頭が三角形をしていて、全身に白い縞が入っていた」
「うーん、多分あの蛇で間違いないと思うけれど……剥いだ皮や頭はどこかにある?」
「いや、すまない。皮は破いてしまったから捨てて火にくべてしまったし、頭は切り落としてからは気にしていなかったから見失っている。探した方がいいだろうか?」
余計なことをしてしまったかとそわそわしだしたディミトリに、ベレスは首を横に振った。
「ううん、大丈夫。念のため確認したかっただけだから」
「そうか……? 次は気を付けるよ、先生」
「気にしなくていいよ、ディミトリ。料理の味付けの参考にしたかったのと、蛇皮は状態によるけれど職人に売れるのになと思ってしまっただけだから」
「そ、そうなのか」
傭兵時代の金策の知恵らしい。
もう当分関係ないのにね、と肩をすくめるベレスに、さすが先生は物知りだな、とディミトリは戸惑いつつも目を輝かせた。
「しまった。君にはいらない知識だったかな」
「そんなことはないぞ。俺だって蛇革の製品があることくらいは知っている。加工の過程や流通に関しても知識としては知っているが、実態は詳しくないからな。とても興味深い」
「いや、私も素材を売るところまでしか知らないから、君の期待には応えられそうにないのだけれど」
「だとしても、俺は先生からたくさんのことを学びたいよ。城や学校でも学ばないような、様々なことを。知識はあって困るようなものではないしな」
朗らかな笑みを浮かべるディミトリの姿にベレスは目を瞬かせると、ふっと口から息を吐いた。
「君は本当にまじめだね。いいよ。私が知っていることなら教えてあげよう。それがいつか君の役に立つのなら、私も教え甲斐があるよ」
「ああ、よろしく頼むぞ、先生」
今のところ真っ先に教えるべきは、この蛇の調理法だった。ディミトリの故郷フェルディアには生息しない種類なため、ベレスの知識だけが頼りだ。
「細かく刻んで素揚げにしたり炒ったりすると、肉のうまみが味わえるそうなのだけれど」
「だが先生、ここには鍋などないぞ」
「うん、残念だけれどそれは今度、食堂を借りて食べてみようか。今日のところは魚なんかと同じように炙って焼こう。香草を見つけてきて刷り込んでもいいかもしれない」
「食堂で蛇など捌いていたら、大騒ぎされそうだな……」
眉を顰める常駐の料理人たちをよそに調理をする自分たちと、興味深そうに覗き込んでくるイングリット。アネットあたりは悲鳴を上げて逃げ出すかもしれない。その様を想像して苦笑しながら、ディミトリは頷いて立ち上がった。
「それじゃあ俺は香草探しと、獲物を探してこよう。これと魚は任せたぞ、先生」
「任されたよ。……気を付けて行ってきて、ディミトリ」
「ああ、先生も気をつけて」
ディミトリとベレスは二手に分かれ、食料の調達に取り掛かった。ベレスはこの野営地で狼煙の番と沢での漁を、ディミトリは周囲の地形を探りつつ、昨日見つけた比較的なだらかな傾斜地で採取と狩猟をする分担だ。
(やはり外には出られないか……)
ディミトリは狩猟地へと向かう道すがら、どこまでも続くような断崖と谷を覆い隠すように茂る木々を見上げながら眉をひそめた。
どうやらここは細い壺の底のような地形になっているらしい。崖は険しく高く、とても登れない。川は流れているものの上流は高い滝でこちらものぼることはできず、下流は暗い洞に吸い込まれている。一度ここに落ちたら、鳥や魚にでもならなければ外に出られそうもなかった。
そんな場所だから当然動物はおらず、いるとしたらディミトリやベレスのようにうっかり崖から落ちてしまった不運な生き物だけだ。
(いや、蛇がいた。昨日は野ウサギやリスの姿も見かけた。小さな生き物なら行き来できるような隙間が空いているのかもしれないな)
残念ながら自分たち人間はそこを通ることはできないが、獲物はやってくるのだ。だったらその好機を逃さず狩ることができれば、救助を待つ間に飢えることもないだろう。
ディミトリは手にした弓と矢を握り直した。槍と剣を得意とする自分だが、狩猟を趣味としているだけに弓術にも心得はある。そして今回の課外奉仕では、ベレスが弓の兵種についていたのが不幸中の幸いで、弓矢もあった。となれば、ディミトリが望む成果はひとつだ。
(野ウサギの一羽でも狩ってやりたいものだ)
蛇肉だけでは心もとない。食べ物は、心置きなく食べられるほうがいいのだから。