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    ##星

    星の御子⑤ 男は盗賊という言葉や所業からの荒々しい印象とは違い、落ち着いた空気をまとっていた。穏やかとも言っていい。体格も筋骨隆々とはとてもいえず中肉中背、どちらかといえば細身の部類に入るだろう。近隣の村人が迷い込んでしまったと言われても納得してしまうほど、この場の空気には似つかわしくなかった。ただ、足元も見えないほど灌木の生い茂る斜面をなんなく降りてきたときの足取りはしなやかで、なんとなく猫を連想してしまう。つまりは、抜かりなくこちらの様子を見やりながら、鋭い爪と牙を隠しもっているのだ。
     実際、頭巾の男は斜面を下り切ったかと思えば、ごく自然な滑らかな動作でつがえた矢を、ベレスたちに向けてきていた。
    「動かないでください」
     盗賊らしからぬ丁寧な物言いの男に、思わずベレスの集中が途切れる。
    「なんだあ、てめえ」
    「あなた方の荷を狙う盗賊です。荷と、その女性たちを置いていってもらいます」
     奇妙な要求といえば奇妙だが、女子供には用途がある。ありえない要求というわけでもない。護衛頭は顔をしかめた。
    「はいそうですかと頷くわけがねえだろうがよ」
    「頷いてくれれば、その人の治療が終わるまでは待ちましょう」
     護衛士たちのあいだで空気が揺らいだ。瀕死の仲間を思ってというより、要求の奇妙さにだ。考えるいとまを与えるつもりはないのか、盗賊の男は言葉をつづけた。
    「早くしなければ、その人は死んでしまいますよ。一時的な仲間と言っても、死なせる数は少ない方がいいでしょう。いやというなら、今ここで僕たちがあなた方を壊滅させるだけです。どうしますか」
     ギチ、と弓がしなり弓弦が張り詰めるいくつもの音が、茂みの中から上がった。薄暗い茂みにチラチラと光ってみるのは、日光が矢じりに反射しているからだろう。その数の多さに、護衛士たちの中にたじろぐ気配があった。盾を構えて危険に身をさらしている護衛士たちからではなく、馬車の影に隠れて身をひそめている経験の浅い者たちの間からだった。
     護衛頭はちらりとそちらを見た。護衛士という仕事はしていても、こうまで命の危機に切迫したことがなかったのだろう。彼らの表情やとりまく空気には、事態が悪い方に転がれば、剣や槍といった得物を振り回して敵前に躍り出てしまいそうな、そんな危うさが表れていた。
     護衛頭はほぞを噛んだ。
     腕前を見るなら、間違いなく彼らよりもベレスを取るべきだ。経験は場数を踏めば積めるが、持って生まれた才能というのは経験だけではどうにもならない。これからも同じ稼業で背中を預けていくならば、ベレス一択しかない。だが――あの怖気づいた新米護衛士の中には、権力者の縁者がいるのだ。愚かなことだと分かっていても、決断するしかなかった。
    「――その二人を差し出せば、俺たちを見逃してくれるのか」
     ベレスがはっと振り向き、傭兵頭を睨みつけた。射殺すような視線を受けて、男は「すまねえ」と詫びた。
    「俺の仕事は……目的地まで隊商を守ることだ。分かっているだろうがそのためなら多少の犠牲はやむを得ん。すまねえな、ベレト、嬢ちゃん。せめて手向けに、荷馬車一台置いてくからよ」
     だが盗賊が首を横に振った。
    「いいえ、荷馬車二台です」
    「多すぎる。せめて一台にしてくれ。その二人は、あんたたちにとってこの隊商以上の価値があるんだろう?」
     だから一台で見逃せ。そう言う男にかみついたのは、今まさに犠牲にされようとしているベレスだった。
    「私が知る限り後ろの一台は捨て荷用に用意されていたよ。もう一台は食材が乗っている」
    「そうですか。でしたら、ありがたく荷馬車一台。それに加えてその二台も頂戴しますね」
    「おい」
     結局三台要求する盗賊に、男は声を荒らげた。
    「業突く張りの盗賊どもめ。聞いただろ、捨て荷は一台だと。なのに三台寄こせだと? 捨て荷は一台だ。それ以上は置いてはいけん」
    「二人を犠牲にする手向けに一台置いていくと言ったのはあなたでしょう。それにあらかじめ用意されていた一台を頂戴するんです。それから自分たちの命と引き換えにするこの二人に、最後に美味しいものを食べさせてあげようと思わないんですか? なにもおかしくはないでしょう」
    「無茶苦茶だ」
     吐き捨てた男に、盗賊は笑った。
    「きっと来節の今頃には、盗賊と戦いたくないがために、隊商に同行していた母子を売って逃げた傭兵頭がいる、とこの辺りの街に噂が流れるんでしょうね」
     心底案じているような口ぶりの盗賊の言葉に、男はぐっと言葉を呑んだ。この稼業は信用がものを言う。信用は依頼主からも、同業者からも必要なものだ。信用ならないやつだと依頼主から思われれば仕事はもらえないし、非力な女子供を生贄にするような卑劣なやつだと同業者に思われたなら、命を張るこの仕事で背を預けることも預けてもらうこともできなくなるだろう。
    「……一台では、いかんか」
     それでも、いくら捨て荷用とはいえ損失はあまり出したくないと言い募る。
    「三台置いていってください。……と言いたいところですけど、二台で結構ですよ。後ろの二台、残してください」
     一歩譲歩したもののやはり多く要求する盗賊の言葉に、男はこぶしを握り締め、食いしばった歯の間から長く息を吐いた。
    「仕方ねえ。欲を出せば、身を亡ぼす……おい、捨て荷は二台だ」
     男はぽつりとつぶやくと荷馬車で待機していた部下たちに声を張り上げた。様子をうかがっていた部下たちはすぐさま動き出し、幾人かは守っていた荷馬車から飛び降りた御者を拾って離れていく。最後尾の一台はそのままだったが、二台めは、御者と護衛が分担して荷車とつながる馬の胴引きを外しにかかっていた。
    「せめて一台分の馬は返してもらうぞ」
    「かまいません。欲を出しては身を滅ぼす、ですからね。……あなたは作業が終わるまでの間、けが人の治療をしていてください」
     飄々とした盗賊の返事に、護衛頭の男は苦々しく顔をゆがめた。
    「悪いなベレト……」
    「こういう仕事だと理解している。あなたを恨みはしないよ。忘れないけれどね」
    「……ああ。俺もお前たちを忘れねえさ」
     治癒魔法をかけつづけるベレスは、苦々しい顔で見下ろしてくる護衛頭をちらと見上げた。
    「悪いという言葉が本心なら、今いる護衛士たち全員に、私たちのことは絶対に他言しないよう言い聞かせてもらいたいのだけれど」
    「……心得た。約束しよう」
    「ありがとう。何年かしたら、またどこかで会うかもしれないね。そのときは、よろしく」
    「……そうなることを、願っているよ」
     しばらくの間無言で、護衛頭はベレスの治療を見守っていた。やがてベレスの手と患部との間で舞っていた光の粒子が弱くなり、そのうちに溶けるように消えていった。
    「ふう……これ以上は私の力ではどうにもならないね。あとは街で医者を探してほしい」
    「わかった。お前たちの代わりに、こいつは必ず救って見せよう。……世話になったな、ベレト、嬢ちゃん」
    「こちらこそ」
     護衛頭は部下たちにいまだ意識のないけが人を荷馬車に乗せるよう指示をする。その間もベレスと少女を前に顔をゆがめる男に、盗賊が行けと出立を急かした。
    「詫びにもならんが、受け取ってくれ」
     護衛頭は手持ちの財布を少女に押し付けると、じゃあな、と告げて自責の念を振り払うように馬腹を蹴り、先を行く隊商たちを追っていった。
     男の姿が遠ざかっていく。その姿が木立で隠れ見えなくなったころ、ベレスは視線を切って盗賊たちを見やった。傍らでは少女が、縋るように剣を抱えている。視線に気が付いたのか、荷馬車の回収を指揮していた盗賊がおもむろに頭巾を取りながら、ベレスに振り返った。
     ベレスは息が止まるような思いだった。
     声や身のこなしからなんとなく予想はついていた。年月を経ても、青年と少年の狭間の頃の面影を残すその顔を見て、ベレスはため息をついた。生きていてよかったと思う。だが、会いたくはなかった。
     そんなベレスの姿に、盗賊は灰色の髪を汗で額に張り付かせたまま微笑んだ。口元に刻まれた皺が、笑みを浮かべる目じりに深く溝を掘る皺が、あれから経た年月の長さを突き付ける。
     ベレスの記憶の中と変わらぬ柔和な笑みと朗らかな、けれど少し掠れた声で、盗賊は言った。
    「お久しぶりです、先生」



    令和4年9月22日
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