星➅　しくじった、とベレスは思った。
　これまで、この護衛の旅の途中で刻を巻き戻していたために、盗賊の正体を知ることはなかったのだ。
（知らなければよかった……）
　できれば捕まる前に戻ってしまいたい。だが、これまでとは違うことの成り行きを見守っていたためにあまりに時間が流れてしまって、それは叶わない。戻れたとしても、こうなることは変わらない気もする。どうにもならない流れというのは、いつの時にも存在するのだ。
　ベレスはため息を吐いた。今の白魔法治療で疲労が押し寄せてきたのか体が重く、頭も回らない。対立する勢力だったとはいえ知己と再開して緊張の糸が緩んだのかもしれない。鈍い思考のなかで強く思うのは、ただ一つだった。
（知りたくなかった……）
　最後に見えたのはあの決戦の地のはずで、将を討ち取られて敗戦者となり混乱のなか今日まで生きのびていたことは素直に嬉しい。だが学級は違ったとはいえかつての教え子のひとりが、騎士として王に仕えていたはずの彼が、盗賊に身を落としていたなんて知りたくはなかった。
　そうさせたのはベレスでもあった。きっと恨み骨髄だろう。どう謗られようとも構わないが、傍らで鞘に納まったままの剣にすがりながら困惑した様子で成り行きを見守っているこの子だけは守らなければならない。
　ベレスは腰の短剣の位置を肌感覚で、白魔法をほとんど限界まで使って酷使した指先の痺れがどの程度か、指先をこすり合わせて確認する。
「動かないでください」
　だがすぐさま矢じりをその手へと突きつけられて、ベレスはどうしようもなくなった。
「先生、抵抗しないでください。武器を取り上げて詠唱もできないように轡を着けて貰わなければならなくなります」
　どう切り抜けるか。その算段を立てることすら許されなかったが、おやとベレスは思った。この口ぶりからして、彼は自分たちをどこかに連れて行こうとしているのではないだろうか。
「……轡を噛ませて、どこかに売るつもり？」
「まさか、そんなことしませんよ」
「じゃあこの場で殺す？」
　途端に男は目を丸めて驚いた。
「それこそまさかです。そうですね……分かりました、とにかく二人ともついてきてください。分かっていると思いますが、逃げ出そうとすれば容赦なく射ます」
「嫌だと言ったら？」
　ベレスの言葉に、見開かれていた盗賊の若葉色の目がすっと細まった。
「いまの先生は、それが言える立場でしょうか」
　先ほどまでとは一転した低くひんやりとした冷たい声に、成り行きを見守っていた少女は背筋を震わせながら剣をぎゅっと握りしめた。そうしないと、体全体に震えが走って動けなくなりそうだったのだ。
それに気づいた男が、少女ににこりと笑みを向けた。
「大丈夫、決して悪い扱いはしません。お嬢さんも怖がらないで。ちょっとお話をしたいだけで、あなたたちに危害を加えるつもりはありませんから」
　もとの柔和な声音で、少女に目線を合わせるように屈みこみながら人懐っこい笑みを浮かべて言う。確か彼には弟妹がいたはずで、それ故か少女への接し方も心得ているようだった。けれど柔らかな声音と表情とは裏腹に、男のその言葉にも状況にも有無を言わせぬものがあって、少女はじっと男を見つめたまま、思わずこくりと頷いていた。
「よかった。その剣は抜けないように細工させてくれるなら持っていても構いません。魔法の詠唱もしないと約束してくれるなら、轡を噛ませたりもしません」
「ベレス」
　少女がベレスの袖を引き、見上げてくる。もし話し合いで済むのなら争うよりも余程いい。そんな言葉が聞こえてくるようだった。
　ベレスは観念したように息を吐き、くるりと男に背を向けると後ろ手に回した両の親指を差し出した。
「魔法は使わない。抵抗もしない。その証に縛ってくれて構わない。代わりに、この子の安全だけは約束してほしい」
「ベレス……」
　泣きそうな声を上げる少女を宥めるようにベレスは目で頷き、男は少女の肩を優しく叩いた。
「彼女は必ず守ると約束しましょう。……ありがとうございます、先生」


令和4年10月11日