世界に賛美歌 一人の中年の男がいた。やや太り気味で脂ぎっており、肌の色も相まって街灯の明かりで黒光りしていた。男は千鳥足でよろよろと歩いている。身にまとっている高級そうなジャケットやスーツはいくつかボタンが外れ着崩れていた。その夜、男は酒場で呑んでいた。何やら男にとっていい事があったらしく、上機嫌で高い酒をいくつも煽っていたのだ。
男はおぼつかない足取りで街灯のある道から暗い路地裏へと入っていった。そして建物の壁に体を預けるとそのままズルズルと地面に座り込んでしまう。
「夜道には気をつけなさい」と人はいう。
それは大人も子供も、男性も女性も関係なくすべての人に当て嵌る。
特に気をつけるべきは、その身に大きな秘密を抱えている人間だ。
その秘密を、人は時に「罪」と呼ぶ。
「──みーつけた」
「あぁ……?」
女の声が静かな路地裏に通った。男は顔を上げ、声のした方へと首を向ける。
暗闇からはコツ、コツ、と踵を鳴らして月明かりの下に歩み出てきたのは二人のシスターだった。
「これはこれは、ヒック、シスターさんじゃあありませんか」
「はい、こんばんは。なあ、藍湛この男で間違いないよな?」
「ない。この男だ」
快活そうなシスターがもう一人のシスターに確認を取る。物静かで落ち着いた雰囲気の彼女は訊かれたことに対しゆっくりと頷いた。
「シスターさんがこんな時間にどうしたんですかな?」
「あなたにちょっと用がありましてね」
「私にですかい? それはこんな夜更けじゃないと駄目なことで?」
「そうなんですよ〜。昼間じゃ堂々とできないコトなんで」
その言葉に男はニヤリといやらしい笑みを口元に浮かべた。そして壁を支えに立ち上がると、男は話していたシスターの方へよろよろと歩み寄る。
「ハハハッ! シスターさんよ、暗くてよく見えなかったがこりゃまた随分と可愛い顔をしているじゃないか。用があるってんなら今から付き合いますよ。近くに宿もあります。話ならそこで──う゛っ!?」
ベラベラとよく喋る男がシスターの肩に手を伸ばしたその瞬間、男の顔が文字通り歪み、そして体ごと吹き飛んだ。
「穢らわしい手で魏嬰に触れようとしないで」
男を殴り飛ばしたのは二人が話している間ずっと黙っていたもう一人のシスターだった。魏嬰というのは男と話していた快活な方の女の名前である。
手を上げた女は藍湛といい、目にも止まらぬ速さで男の顔に拳をめり込ませたのだ。しかも、彼女の拳には銀色に光るメリケンサックが手袋の上から嵌められている。男の顔にもその凶器の痕がくっきりとついていた。
「藍湛〜〜♡ 助けてくれてありがと♡ 羨羨こわかったぁ〜〜」
「ん、魏嬰は私が守るから安心して」
魏嬰は藍湛にぎゅっと抱きつき甘えた声を出しながらくねくねと腰を振り、そんな彼女の頭を藍湛は優しく撫でる。
「な、なんなんだ!? 人をいきなりなぐ、殴りつけるなど!? 貴様らはそれでも神の使いか……!? こんなことが許されるとでも!?」
体を起こした男は鼻や口から血を垂らしながら動揺の入り交じった怒鳴り声を上げる。それを聞いた瞬間、先程まで藍湛に甘えていた魏嬰の顔からスッと笑顔が消えた。細められた目は氷のように冷たく、男に恐怖心を植え付けた。
「ああ、許されるさ。俺たちは神の許しを得て、神の使いとしてあんたの前に現れたんだ。俺たちは神に命じられたんだ。あんたみたいなクズに罰を与えろってね」
「なっ……! 罰!? 罰だと!? 私がどんな罪を犯したというのだ!?」
「はぁ? それはあんたが一番よくわかってるだろ。それとも、人の口から言ってもらわないとわからないくらい頭が悪いのか?」
「……っ、この女!!」
男は逆上し立ち上がろうとした──が、出来なかった。恐怖心からではない。今立ち上がれば自分の身に危険が降りかかるからだ。
細く長い金色のスティレットの鋭利な先端が男の喉を狙っていた。十字架のようにも見える形をしたスティレットは、シスターが持つには似合いの武器だった。
「あんた、色んな孤児院から今まで何人も子供を引き取ってるよな? その子供たちに、あんた何をした?」
「な、何って……私は子供たちに十分な衣食住と教養を与えている! 孤児院に寄付もしている! 私がしているのは善行だ! 罰を与えられるなどおかしな話だろう!?」
「いいえ、何も間違ってはいません。確かにあなたは引き取った子供たちに衣食住と教養を与えている。表向きですがあなたの評判もそう悪いものではない。しかし、あなたはその裏で子供たちに性的暴行を加え、更にはあなたと同じ趣味を持った仲間たちにも子供たちを回している」
「ほんっと、最低だよ。まさに人間のクズそのものだ。善行だなんてよく言えるな? 神様も今頃は吐き気を催してるだろうよ」
男は目を泳がせ奥歯をガタガタといわせている。汗が滝のように流れ、何か言いたげにしているが声が出ず、今にも失神してしまいそうだった。
二人が語ったことは全て真実だった。
表向き「いい人」を演じていた男の正体はどす黒く穢れた罪人。その罪もとても重く、おぞましい。
「最期に言い残すことは?」
「……?」
「だーかーらー、言い残すこと。あんたこれから死ぬんだぞ?」
「し、しし……っ!?」
「言ったはず。私たちはあなたに罰を与えに来たと」
男の頭の中はぐちゃぐちゃだ。自分の行ったことは確かに罪だ。警察に知られれば即刻捕まり、罪状を言い渡され、牢に入れられ長い時間をそこで過ごすだろう。だが死罪に至るとまでは考えていなかった。子供たちには確かに手を出した。仲間にも共有した。しかし、一人として殺してはいない。
警察に突き出される方がずっとマシだ。少なくともこんな見ず知らずのシスターに……いや、シスターの姿をした「悪魔」に葬られるくらいなら。
「ぁ、あ……く、っ……」
それが男の最期の言葉になった。
魏嬰のスティレットが男の喉からうなじを貫通した。それだけでなく、もう一本のスティレットが同時に男の心臓に突き立てられていた。
即死だった。痛みの声を上げる間もなく男は死んだ。
「本当の悪魔はどっちだっての」
引き抜いたスティレットを振り、血を落としながら魏嬰が吐き捨てるように言う。
「藍湛、コレはいつも通りでいいんだよな?」
「うん。すぐに処理班が遺体を回収に来る」
「じゃあこれで俺たちの仕事は終わりだな! さっさと帰ってシャワー浴びたいな〜」
スティレットを仕舞い、魏嬰はぐっと背伸びをする。その姿からは先程のような冷酷さは消え去り、あどけない少女がいた。
魏嬰は踵を返し男の遺体に背を向け──顔だけ振り向くとこう言い放った。
「俺たちは確かにシスターだけどさ、神様なんてこれっぽっちも信じちゃいないんだよ」
だからいつか、二人一緒に地獄に堕ちるの。