三アン映画デートどうしてこんなことになっているのだろう。
約束の時間まではまだ三十分以上。けれど、その人ー三井ーは映画館のロビーで手持ち無沙汰そうにスマホを眺めていた。紺のポロシャツにデニムというごくシンプルな服装だが、身長やスタイルの良さがとにかく人目を惹く。実際、周りの女性たちもチラチラと視線を送ったり遠くから隠し撮りをしたりしている様子が見て取れた。それに引き換え、自分はどうだろう。兄に相談しながらクローゼットをひっくり返して決めた服装は、中学生には見えないだろうが高校生の域を脱しない。実際高校生なのだから仕方ないのだが。それでも、今からあの三井の隣に並ぶのかと思うと緊張が止まらない。こそこそと様子を伺っていると、くるりと辺りを見渡した三井と目が合った。
「アンナ!」
ニカッと笑う顔はいつもの通りだったが、人だかりの中それが自分だけに向けられていると思うと耳が熱くなった。
アンナが珍しく、映画を見に行きたい、と言い出したのはある日の夜のことだった。高校生になってそのくらいの小遣いはもらっていたが、やや距離もある大きなショッピングモールのシネコンでないとその映画はやっていないのだという。
「友達誘ったんだけど、みんな部活とかで都合合わなくて。一人で行くのはちょっと不安だから、できれば着いてきてほしいなって……」
リョータが主将を、アンナがマネージャーを務める男子バスケ部はその日はたまたま丸一日休日だ。とはいえリョータは受験生で、タイミングの悪いことに希望者向けの補習があった。
「ごめんねぇ、お母さんもその日仕事で……」
「アヤちゃんも補習っつってたし……晴子ちゃんには聞いてみたか?」
「うん、桜木先輩とデートだって」
いいなぁ、と口を尖らせる。それは多分デートではなくて今のうちに試験勉強を見てやるだけだろうな、とは思っても口には出さない。
「ううん、やっぱり一人で行ってくる! もう高校生だし、大丈夫だから!」
迷惑かけてごめんね、と言いながらアンナは部屋に戻っていった。
「とは言ってもねぇ……ちょっと心配ねぇ、リョーちゃん」
高校生になりたてのアンナが遊びに行く範囲はまだ本当に限られていて、件のショッピングモールには年に数回家族で行くようなレベルだ。もう高校生、まだ高校生。明るい時間帯とはいえ、不安そうな妹を一人で行かせるのは心配だった。
「……ってなことがあったんスよ」
へえ、と返しながら相変わらず綺麗なフォームでスリーポイントを決めているのは、自主練に付き合ってくれている三井だ。三井が卒業してから湘北の不安要素となった外からのシュート成功率を上げたくて、時折休みに練習に付き合ってもらっている。まだ慣れない大学で勉強にバスケにと忙しい日々を送っているだろうに、湘北のためだからな、と笑って出てきてくれる三井には頭が上がらない。最近ではこうして進路や家の事まで相談する始末で、知らず知らずのうちに先輩とも友達とも違う不思議な関係となっていた。
「あんまワガママ言うヤツじゃないんで、映画くらい安心して見せてやりてーんスけどね」
「……」
自主練をしているコートから、宮城家まではそう遠くない。三井が練習帰りにシャワーを借りたりお茶を飲んで帰ることももはや珍しくなかった。
「あっ、みっちゃん久しぶりー! 元気してた? 大学どう?」
「よおアンナ。おばさんも、お久しぶりです。手ぶらですみません」
「よく来たねえ三井くん、そんなかしこまらなくていいのよ。リョーちゃんもいつもお世話になってるんだし」
タオルで汗を拭いながら、冷たいポカリを二人して一気に飲み干す。お代わりを注いでいる間に、三井が唐突にアンナに話しかけた。
「お前、映画見てえんだって?」
「えー、何で知ってるの? リョーちゃん余計なこと言わないでよ」
「……俺と行くか? 今度の日曜なら」
え、と呟いた形のまま、アンナが固まる。
「ちょうど土曜が練習試合でよ。日曜は休養日なんだわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ三井サン、いくら何でもそこまでしてくれなくても」
三井の申し出は、正直有難い。母親ともアンナとも親しいし、何よりアンナ一人より大学生でガタイもいい三井が一緒なら格段に安心だ。けれど、そこまで甘えて良いものか。
「いやいや、ウチのワガママに付き合わせる訳にいかねえっスよ、映画も多分三井サンの好きなやつじゃねえし」
「そ、そうだよ、みっちゃんきっと好きじゃないしさ。私もう高校生だから一人でも行けるよ」
「そうだなー……俺は俺で服でも見てえなと思ってたとこだから、よかったら映画の後付き合ってくれよ。お前らの方がセンスあるし」
へらり、と笑う三井にリョータとアンナは顔を見合わせる。でも、だって、とほのかに頬を染めて言い淀むアンナに、リョータは意を決して答えた。
「…………じゃ、お願いしてもいいっスか?」
「りょ、リョーちゃん!?」
「お前いつも我慢してばっかだろ。三井サンにはまた今度お礼すっから甘えとけ」
「おーおー、甘えとけ甘えとけ。三井サンを簡単に連れ回せる機会なんて早々ねえぞ」
アンナが三井に憧れというか淡い恋心を抱いているのは、リョータも何となく分かっていた。それが最終的に叶うかどうかはともかく、思い出の一つくらいあってもいいだろう。三井は鈍感だしデリカシーにも欠けているが、一日付き合ったくらいでアンナを泣かすようなことにはなるまい。そうして、話は冒頭へと繋がる。
三井はアンナのそばまで寄ると、首を傾げるようにしてじっと彼女の姿を見つめた。穴が空くから止めてほしい。制服ともジャージとも違う見慣れない三井の私服でアンナは既にキャパシティの限界だった。
「な、なに……?」
「いやぁ、お前いつもとイメージ違うなと思ってよ。は? いや褒めてんだって。似合ってる」
そう言ってくしゃくしゃといつものように髪をかき混ぜて笑うものだから、アンナはもう倒れそうだ。必死に髪を直しながら平静を装ってはいるが、この調子でちゃんと映画が見られるか心配でならない。
チケットの販売機に並ぶと、アンナは急に不安になった。自分が見たい映画は、いわゆる少女漫画原作の実写化というやつで、とても三井が好きそうとは思えない。幸いここはショッピングモールだ、いくらでも時間を潰す場所はある。
「……やっぱりいいよ、みっちゃん居心地悪いだろうし。ここまで着いてきてくれてありがとう。あとは一人で見るから、帰りにまた」
「あー、コレか!」
アンナが勢いよく顔を上げてそこまで言うと、被せるように三井が声を上げた。
「同期のやつが彼女と行ったけどまあまあ面白かったっつってたな。おい見ろよキャンペーンでペアだと割引だってよ! 俺連れてきてよかったな」
喋りながらも手慣れた様子で三井はチケットをピッピッと選び、さっさと二人分の決済を済ませてしまった。あまりの展開の早さにアンナはポカンとすることしかできない。と、慌てて母からもらったお金のことを思い出す。
「わ、私払うから! お世話になるからってみっちゃんの分までお金もらってきてるから!」
「ああ? もう払っちまったし別に気にすんなよ」
「私が困るの! お母さんに言われてるんだから!」
「あー……じゃあ、後でコーヒーでも奢ってくれよ。そんでチャラな」
結局押し問答の末、昼はアンナが奢るということで落ち着いた。元々その分のお金ももらっていたのだから、それでも足りないくらいなのだが。
まだ、映画が始まるまで三十分。この調子で、映画を見て、ご飯を食べて、挙句三井の服なんて選べるのだろうか。アンナは深い溜息を吐いた。