気まずい。
寒さも増してきた年の瀬、シャーレの先生が拠点としている執務室の扉を開いて第一に脳裏に過ったものはそれだった。
二日前、先生から入った着信で今日の当番を頼まれた時に二つ返事で引き受けるべきではなかったのかもしれない。例え三食の支給に加えいくらかの報酬があると聞いていても、断るべきだったのかもしれない。そこまでを五度の瞬きの間に考える程度には、気まずい。
そこまでを考える原因……要因は、目の前でこたつに入り寛いでいるトリニティ生――確かカズサ、という名前だったか。彼女のじとりとした視線だ。こちらを値踏みでもするかのように鋭い視線が私の足を縫い止め、空気が張り詰めるのを感じる。
「……寒いでしょ、早く閉めてよ」
茫然と突っ立っている私を諫めるかのように不機嫌そうな声が飛ぶ。その声で漸く我に返り、慌てて扉を閉めると足早に先生の居室の隅へ向かいそのまま壁際を陣取ると武装を壁に寄り掛けてから目深にキャップを被り直しなるべく彼女と視線を合わせないよう努める。
……例の事件の後、アリウス分校に対する目線が少しずつ変わり始めているのは事実だ。ティーパーティーやシスターフッド……それに、あくまで噂の範疇でしかないが、アズサも含めた面々が方々でアリウスとの”仲直り”をしようと尽力しているのだとアツコがモモトークへ残してくれていた。
しかし、その”仲直り”を素直に受け取るには、少なくとも私は罪を犯しすぎている。アツコやヒヨリ、ミサキをはじめとしたアリウス生にはそれを素直に受け取ってほしいとは思うが、私はまだ、それを受け取れる心の準備も禊も、なにも出来ていない。
そんな自覚……負い目があるからだろうか、戦場以外でトリニティ生と対面するには気まずさが先走ってしまう。
「そんなところに立ってないでさ、こっち来なよ」
「いや、私は」
「……来なって言ってるじゃん、嫌?」
突き刺すような視線と共にそう投げかけられれば、流石に断る方が不躾にも思えてくる。観念し、彼女の入るこたつの対面に遠慮しつつ脚を入れると柔らかな暖かさとこたつ布団のふわふわとした感触が冷え切った下半身を暖める。
「そんな薄着で……あったかくしないと風邪ひくよ。体調崩したら任務にも差し支えるでしょ?」
「……あぁ。確かに、そうだな」
私をこたつへ入れるための動機付けではあるのだろうが、その言葉に甘えるように納得すると頷きこたつ布団の中へと腕も潜らせる。いつかの当番の時、先生が”こたつは魔物だ”などと言っていたのをその頃はよく分からず聞いていたが、自分で経験するとその言葉は正論だ、と実感してしまう。
「先生、小一時間くらいしたら戻るってさ。それまではサボってもいいんじゃない?」
「……だが、任務はこなさなければ」
「真面目だなぁ……任務の指示をくれる先生がいないんだし、いいんじゃないの? それに先生だって、サボってるくらいで怒ったりなんてしないでしょ」
あの人がそんな風に言うと思う? そう苦笑しながらこたつへ顎を付くカズサの様子に、私は反論することは出来なかった。
「ほら、一緒に食べよう。弁当もあるよ」
カズサがそう言いながら重箱を取り出しこたつの上へ並べていく。その中には様々な種類の――クッキーやビスケットといったポピュラーなものから名前を知らないような焼き菓子までがみっしりと詰められている。
「……甘いものしか入ってないんじゃないのか?これ」
その箱を弁当、と称する彼女に若干の戸惑いを隠せない声で尋ねるが、その言葉に反し彼女の表情はどこか得意げだ。
「知らない?甘いものはストレスの緩和にいいんだよ。……あんたも食べなよ、そんなに難しい顔ばっかりして……甘いもの食べてリラックスするの、大事だよ」
そう言うと彼女の指先が弁当箱に詰められた焼き菓子をひとつ摘み、私の口許へ差し出す。
確か……ブラウニー、だったか。ヒヨリの読んでいた本に調理手順が載っているのを少し見た記憶がある。
誰かの手から物を食べた経験などほとんどないせいか些かぎこちなくはあるが、差し出された焦茶色の焼き菓子を口にすると濃厚な甘味と柔らかな香りが咥内を満たしていく。
「はは、ダイレクトに行くとは思わなかったな。けど、食べてくれてよかった。……結構美味しいでしょ、スイーツ」
苦笑混じりにカズサがそう言うのを聞けば、今になって普通に手で受け取ればよかったのだと気付いてしまい顔が一気に熱くなるのを感じるが、それを隠そうとするにもふわふわとしたこたつ布団が邪魔をし間に合わない。
「いいんだよ、別に慌てなくたって。あんただってちゃんと甘いもの食べたりあったかいところで休んだり……かわいいものを身に付けたり、さ。したって誰も咎めないよ。なんたって、先生がそうしなさいって言ってるんだから」
「……先生、が?」
唐突に出された名前にぱち、と思わず瞬きをすると鸚鵡返しのようにそう尋ねてしまう。その言葉に、知らなかった? とカズサの方もきょとんとした様子で尋ね返してくる。
「そうだよ。先生、今日はサオリが来てくれるってこたつも大きいやつに買い換えて今ケーキ取りに行ってるの。サオリはなかなかシャーレに来てくれないから、って」
「……ならお前は、どうして」
「先生からのご指名。スイーツビギナーへ贈る最高のスイーツを持ってきて、一緒に食べてほしいって。勿論……私自身、アリウスの子のことをもっとちゃんと知りたいっていうのもあるしさ」
敵意も害意も、何もないまっさらな好意の色を声と笑顔に乗せカズサはそう教えてくれた。
「……そう、か」
そっとこたつ布団から腕を出し、タルトに似ているが見たことのない形をした焼き菓子に手を伸ばしながらカズサへ尋ねる。
「……カズサ、これは何という菓子なんだ?」
「ん、それはアマンディーヌ。タルトの生地にアーモンドの生地を重ねてあって……これ、好きなの食べていいんだからね?」
そう促されるままアマンディーヌを一口囓ると、ナッツの香ばしい香りと優しい甘さが口いっぱいに広がる。
「あぁ……美味いな。心が穏やかになるようだ」
「でしょ?甘いものはリラックスに最高だからね。……先生から通話だ、ちょっと待ってて」
不意に彼女の端末が呼び出し音を鳴らし、着信に応じる。その様子をアマンディーヌを囓りながら眺めていると、だんだん通話内容が不穏になっていっている気がする。
「……え?ミレニアムの脱税犯が逃げ出してそれの追跡指揮を?ケーキは?まだもらってない!?先生!?」
……弁当箱にはあと2段分、焼き菓子が詰められていると聞いた。
それを平らげるまでにはケーキと共に彼が戻ってきてくると、信じよう。