ヴァッシュ・セイブレムには、同名で仲の良い従兄弟がいる。彼は何年か前に年下の恋人と結婚して実家を出ていたが、ヴァッシュのことを実の弟のように可愛がってくれているので今でも頻繁に顔を合わせていた。
彼らは式を行わなかったし、会うのは専らヴァッシュの家か外だったので最近までは知らなかったのだが、従兄弟の夫というのが、なんとヴァッシュの友人であるニコラス・D・ウルフウッドの実兄だというのがここ一番の驚きだった。
因みにウルフウッドも何故か兄と同じ名前をしているので、こうして一堂に会する時には兄の方を「ニコラス」と呼ぶことで区別している。尤も、ヴァッシュが彼を呼ぶ時は「お兄さん」で済むので、呼んでいるのは従兄弟だけだが。
閑話休題。
そんな従兄弟夫夫(ふうふ)に誘われて、ヴァッシュはウルフウッドと共に花見に来ていた。暖かい日が続いた所為で見頃も終わりだが、屋台はまだ出ているので問題ないと二人が言ったからだ。
「花見いうんはな、要は酒盛りや。外で昼間っから堂々と酒を飲む言い訳や」
「イギリスのパブなんかじゃ、昼間から飲んでる爺さんも居るってのにさ」
ワハハと笑う二人は呑むのが好きで、大抵毎晩晩酌をしているらしい。仕事や旅行で散々海外へ行っていた挙句、新婚旅行で地球一周してきた彼らはよく海外の話を引き合いに出す。日本は保守的だなんだと文句を言う割に、最終的に住んでいるのだから気に入ってはいるのだろうが。
ヴァッシュたちは高校生なのでお酒は飲めないが、どう考えても二人分ではない量の酒瓶を並べている二人にちょっと……いや、かなり引いた。ウルフウッドと一緒に。
「これがスパークリング日本酒で、こっちは日本酒飲み比べ十本セット! そしてなんと……ジャーン! 魔王です!」
「奮発したなぁトンガリ! ワイは洋酒色々持ってきたで」
コンビニで買い集めてきたのか、ボトルは小さいながらもバーもかくや、という本数のウイスキーやらワインやらをずらずら並べるニコラスに、ウルフウッドとヴァッシュはわあ、と気の抜けた感嘆の声をあげる。
「いやそれ一日で飲む量ちゃうし。二人分でもないし」
「そんなに飲んで大丈夫なの……?」
「ワオ! そっちも凄いな! どれから飲もうか、ニコラス?」
「とりあえずスパークリングいってみるか」
呆れ切った高校生たちを尻目に、ダメな大人たちは酒盛りを始めてしまう。兄がプラスチックではないグラスを取り出す横で、ウルフウッドは中身の詰まった重箱をせっせと広げていた。手先の器用なニコラスは料理人をしていて、今日の弁当も当然のように彼作のものだ。
中身は和洋中が一段ずつ分かれた内容で詰め込まれており、どう見ても酒のツマミがメインである。いやおかしいやろ、と呟いたウルフウッドが開けたもう一つの重箱にはおにぎりやおかずが詰めてあり、彼は安心したように息を吐いた。
「わあ! 美味しそうだね」
そんな姿を見ながら、ヴァッシュも自分の荷物から取り出したものを重箱の横に置く。
「って、その弁当箱なんやねん」
「そっちに任せっきりじゃ悪いと思って、僕もサンドイッチ作ったんだ」
「ほぉん」
広げられたランチボックスを覗き込むウルフウッドに一つ差し出せば、手からそのまま食いつかれ、餌付けのようだとヴァッシュはこっそり笑う。
「どう?」
「ふまい」
「それ、僕も手伝ったんだぜ」
もぐもぐと咀嚼するウルフウッドを眺めていると、横からニコニコ顔の従兄弟がアピールするように顔を出してきた。しかしその後頭部はすぐにスパンと叩かれ、ニコラスが口を挟む。
「おんどれはパンにバター塗っただけやろが」
「きゅうりも切ったもん」
「もん、やないわドアホウ」
流れるようにイチャつく夫夫に鬱陶しそうに肩を落とし、口の中のものを飲み込んだウルフウッドは二人の背中を押して自分達から引き離した。
「こっちはエエから、そっちで酒飲んどれや! アンタらのツマミ広げといたし!」
「はーい。なぁニコラス、これ何?」
「赤ワイン用のパテや。日本酒飲むならこっち先食え」
「おいなりさんだ!」
きゃっきゃとはしゃぐ従兄弟とその面倒を見始める夫を見送って、顔を見合わせた未成年二人は自分達もジュースを持ち出して乾杯する。
こうして花見を始めた四人だったが、三時間もする頃には大人二人はぐでぐでになってきたので、未成年二人は互いの身内の介抱へと回る羽目になったのだった。
「ウルフウッドのお兄さんはどう?」
トイレから戻ってきた友人に、ヴァッシュはそう問いかけた。両腕を肩にかけておぶるような形で兄を引き摺るウルフウッドは、首を横に振る。
「アカン。吐いたのほぼ酒や。これ以上は急性アル中なるで」
「え、まさか最初から空きっ腹にいってた?」
青褪めるヴァッシュに、違う違うと手を振りながらウルフウッドはこともなげに返す。
「いや、吐くのこれで二回目やねん。ツマミも多少食っとった筈やけど、たぶん一回目の前やな」
「結局空きっ腹に入れてるじゃないか……」
本当に大丈夫なの、とヴァッシュはウルフウッドが担いでいる相手の顔を覗き込んだ。酒気で頬は赤らんでいるのに少し青いという複雑な顔色をしたニコラスは、静かに目を閉じている。
「お兄さん、寝ちゃった?」
「いや、ワイが締め落とした。急性アル中で救急車よりマシやろ。あんだけベロベロやったら流石に勝てるで」
「ええ……うーん……」
それはそれで大丈夫なのか不安なところだったが、身内のウルフウッドがあっけらかんとしているのならとヴァッシュは口を噤んだ。たぶん、まだ大丈夫な範囲なのだろう。たぶん。
「そっちはどないや」
「うちは、一定ライン超えると寝ちゃうみたいで……」
ヴァッシュが視線で示した先には、一升瓶を抱いて気持ちよさそうに眠る彼の従兄弟の姿があり、なるほどと頷いたウルフウッドは、その隣へと兄の身体を転がす。
「これでしばらくは静かやろ」
言いながら、空になった重箱やら空き瓶をある程度片付け、ウルフウッドは立ち上がった。手伝っていたヴァッシュはきょとんとしてどうかしたのかと首を傾げる。
「どうせ暇やし、屋台でも見に行かんか?」
「え、でも……」
手を差し出す彼の誘いは魅力的だったが、二人を放置していくのも気が引ける。ちらりと気にする素振りを見せるヴァッシュに、ウルフウッドは胸元のボディバッグを叩いてニヤリとした。
「二人の貴重品はワイが預かっとるし、大丈夫やろ」
「うーん……」
朝食を抜いて、昼前くらいにここへ来たヴァッシュたちは、自分達用の重箱の中身をしっかり片付けた。とはいえ、食べ盛りの高校生だ。一度は満足したものの、二時間もすれば大体消化されてしまって腹に余裕が出る。そもそも、屋台があるのだから色々と食べ歩きもしてみたい。大人の花見の楽しみが酒ならば、子供の楽しみは屋台限定の食べ物なのだ。
悩みつつも、もう殆ど気持ちが傾いていたヴァッシュはウルフウッドを見上げる。その視線から答えを察したのか、「決まりやな」と言った彼は、ヴァッシュの手首を掴んで立ち上がらせた。
「何食いたい?」
「えーっと……あ、ベビーカステラ! たまに食べたくならない?」
「初手から口ン中パサパサなるわ。ワイ、横でジュース買うてくるから好きな味選び」
「うん!」
配置はこういったことを狙ったものなのか、目当ての屋台がちょうどよく隣り合っている。手分けして購入し、すぐに合流した二人は連れ立って屋台の並びを一周することにした。
「フルーツ飴とチョコバナナは買ったし……ウルフウッド、他に食べたいものある?」
「甘いモンばっかやんけ。たこ焼き買うてくるわ」
「あ、わたあめ」
「待たんかい!」
ヴァッシュはふらりとその場を離れようとして、ツッコミの声と共にガシッと手首を掴まれる。驚いて振り返れば、思わず大きな声を出してしまったことに対してか、口をへの字にしたウルフウッドと目が合った。
「あー……いや、人増えてきたし、あんま離れんなや」
「う、うん」
確かに、段々と人が増えてきたような気がする。ヴァッシュは人混みに押し流されないようにウルフウッドの側に寄って、結局一緒にわた飴とたこ焼きを買いに行った。
──どうしよう。繋がれた手を見下ろして、ヴァッシュは少しだけそう思う。
あの後、二人は並んだ屋台の端まで行って満足したので戻ることにしたが、ヴァッシュは途中で団体の人混みに巻き込まれかけ、ウルフウッドに手を引かれて脇を通り抜けた。その時から、ヴァッシュの手はずっとウルフウッドの手の中にある。
ヴァッシュよりも、やや前を歩くウルフウッドは人にぶつからないよう、進行方向を気にしている。面倒見の良い彼のこと、きっと子供の手を引くのと変わらない感覚でいるのだろう。
それが僅かに残念で、静かに溜息を吐く。ヴァッシュはこの状況に対し、恥ずかしい気持ちもあるけれど、それ以上に嬉しいと思っていたからだった。どうしよう、は手を離す提案をするかどうかに関してだ。
自分よりも厚くて大きな掌、太めの指、温かい体温。ぜんぶ心地よくて、離したくないなぁと思ってしまうのだ。きっと、指摘すればウルフウッドも恥ずかしさに気がついて離してしまうだろう。それが嫌で、どうしよう、と考えている。
ヴァッシュは、ウルフウッドのことが、好きだと思う。
友人としての枠を超えて、従兄弟夫夫のようになりたいと思う“好き”だ。同姓同名同士の相手を好きになるなんてどういう因果なんだろうね、と笑っていた従兄弟を思い出す。だが、因果でも何でも、それでもヴァッシュは目の前の人を好きになってしまったのだから、仕方がない。
口も態度もガラも悪いけれど、実は面倒見のいいところ、優しいところ、自分を呼ぶ声。一緒にいると安心してしまうから、ふらふらと近づいてしまいそうになるのをいつも必死で抑えている。
自然に振る舞えていただろうかと一日の最後に反省をして、翌日のウルフウッドが変わらない態度で接してくるのにホッとして、ようやくその日が始められるのだ。
今日は、自分が持ったサンドイッチに直接かぶり付かれて驚いたけれど、とても嬉しかった。甘えてくれているような感じがしたし、動物を手懐けたようで可愛いとも思った。
ずっとこの手を繋いでいられたらいいのに。そんなことを考えて、ヴァッシュは内心で苦笑した。自分たちのシートの場所はもうすぐだ。数分もしない内に、この時間は終わる。
「ウルフウッド……?」
そう思っていたのに、ウルフウッドは敷かれたシートとその上の夫夫を通り過ぎて、少し奥まった場所まで進んでいく。
どうかしたのかと問う前に、大きな桜の樹の前で彼が足を止めた。ちょうど見頃の立派な大樹だが、周りに木立が乱立しているためにシートを敷くほどのスペースはなく、ひと気はない。
「ここ、穴場やねんて。立ち見するだけやけど」
「そうなんだ」
だから連れてきてくれたのかと納得して、ヴァッシュは桜を見上げる。満開の桜は絵に描いたように見事で、自然と口元に笑みが浮かんだ。穴場だという情報が誰から齎されたものなのかは分からないけれど、それを知って自分を連れてこようとしてくれたことが素直に嬉しい。
「ありがとう、嬉しいよ。連れてきてくれて」
一頻り桜を眺めて、ヴァッシュは視線を落とした。ウルフウッドに礼を言って、そっと手を離そうとする。こんなシチュエーションで手を繋いでいたら、勘違いをしてしまいそうだったからだ。
「とっ、トンガリ!」
「うん?」
けれど、その手は強く握り締められてウルフウッドの手の中から抜け出せなかった。勢いよく振り向いた彼に呼ばれて、思わず目を丸くする。
「わっ……ワイ、オドレに言いたいことあんねん……!」
「う、うん」
何やら必死な様子に、ヴァッシュも呑まれて頷いてしまう。別に、ウルフウッドの話ならいくらでも聞くけれど、突然どうしたのだろう、と思いながら。
「その……」
握ってくる手が、徐々に熱を帯びている気がしてヴァッシュは首を傾げる。ほのかに赤くなったウルフウッドの耳を見つめて、一体何だろうか、なんて考えたところで、不意に気がついてしまった。
二人きり、恥ずかしそうな彼、言いたいこと。これは告白のシチュエーション以外の何物でもない、ということに。
「ぁっ……」
その事実に、頬を染めたヴァッシュは思わず声を漏らしてしまう。いくら鈍いと言われる彼でも分かってしまう状況に、じっとしていられなかった。
そしてヴァッシュが気付いたことに、彼の様子でウルフウッドも勘付いてしまう。このままではまずいと思ったのか、言い淀んでいた筈の彼は、次の瞬間叫んでいた。
「すっ、好きや!」
「ひぇっ」
語気の勢いに、ヴァッシュはつい一歩身を引いてしまう。告白されているというのに、とんでもなく色気のないシーンになってしまった。
両思いで嬉しい筈なのに言葉が紡げなくて、ヴァッシュはおろおろと瞬きを繰り返す。どう返事をしたものだろうかと悩んでいるうち、一周回ってヤケになったのか、ウルフウッドは歯を食いしばってヴァッシュを睨んできた。どう見ても告白してきた男の顔ではない。
「へ、返事ぃ……」
「はへ」
「返事もらうまで、手ェ離せへんからな……!」
「いっ、痛い痛い! 力強いってば!」
ギリギリと力を込められる手に、ヴァッシュは手を振って訴える。涙目になった彼にウルフウッドは力を少し弱めてくれたが、その手は決して離さないという意志が感じられる。
「う、ウルフウッド」
「……おん」
「その……ぼ、僕も、……」
「…………」
「こ、これ言わなきゃダメェ?!」
「はよ言えや! ワイも言ったやろうが!」
ウルフウッドの無茶苦茶な言い分に、勝手に告白してきたくせに、と思わないでもなかったが、ヴァッシュとて彼を好きな気持ちはあるのだ。察してくれよと言いそうになるのを堪えて、深呼吸を一つ。それから静かにウルフウッドに向き合った。
「……ウルフウッド」
「おん」
二回目の正直。ヴァッシュは口を開いて息を吸って──喉が詰まってしまった。
好きだと口にするのは、なんて勇気が要ることなんだろう。ウルフウッドが言い淀んでいたのが今更になって分かってしまってヴァッシュは一旦落ち着いた顔色をまた赤く染め上げた。
口を、舌を動かして、声に出さなければ。そうは思うものの、言葉が出てこない。けれど、ウルフウッドが待ってくれている。沈黙が長すぎて、彼の表情にも不安が過っている。
どうにか伝えないと、とヴァッシュは一歩を踏み出して、ウルフウッドの唇に触れるだけのキスをした。
一秒、二秒。ぎゅっと瞑っていた目を開き、俯き加減のヴァッシュはウルフウッドを見上げる。
「こ、これじゃ、だめ?」
「ッ……こんの……」
ドアホ!と周囲に響くような大声で叫びながらも、ウルフウッドが強く抱き締めてきて、ヴァッシュはへにゃりと身体の力を抜いたのだった。
「……ねー、あれどう思います、ダーリン?」
いつの間にか抱き枕のように後ろから抱き締められた状況で、ヴァッシュ・ウルフウッドは背後の夫に問いかけた。桜の樹はシートを敷いた場所から程近い。高校生二人のやりとりは、ほぼ丸聞こえだった。
「ヴァッシュはん、それワイに聞くんでっか? 三十点や」
「おっ、意外に高得点」
「どこがやねん。赤点もいいとこや。補習必須やぞ」
酒の所為か、常よりも低く掠れた声が耳元を擽るのと話の内容に笑っていると、ニコラスは唸るように苦言を呈す。ヴァッシュはそれを気にした様子もなく、酒瓶を抱えたまま続けた。
「その補習はお前がしてあげるの?」
「アホか。面倒見切れんわ」
「ええー? 可愛い従兄弟のために僕からもお願いできないかい?」
「どうしても言うんやったら、やってもエエけど。タダじゃあきまへんなぁ」
「やだーあ、ウルフウッドさんたらエッチなんだからー」
「今はおどれもウルフウッドさんやぞ、ハニー」
「おえっ、ちょっギブギブ! 締めないでよ吐いちゃう! お前と違って俺は吐いてないんだから出ちゃうって!」
「何が出ちゃうって? エロいこと言いなや」
「グエー! だめだこいつ!」
酒瓶を放り出してジタバタと暴れるヴァッシュを抱き締めて、ニコラスは凶悪に笑う。
年若いヴァッシュが、打ち上げられた魚よろしくビチビチしている従兄弟と決して動かない夫に苦笑するのは、あと五分後の話。