蓮花塢かぼちゃ事変秋とくればカボチャである。
カボチャの用途は広い。
焼いてもよし。煮てもよし。汁物にするもよし。焼き菓子にも冷たい菓子にも出来る。
金凌が妙な本を読んできたらしく、どこか遠い国の異教徒たちが行うらしい秋祭りの話を、目を輝かせて江澄に語ったのは少し前のことだった。
なんでも、秋の収穫と先祖の霊が帰ってくるのを祝い、カボチャを飾ったり食べたり、子供たちにお菓子を配ったりするのだという。なぜカボチャと先祖の霊とお菓子配りがつながるのかはよくわからないが、まあ大体、祭というのはそういうものだ。楽しい行事であれば末永く続き、起源が何であったかはどうでもよくなる。
そして、カボチャ尽くしの食卓というのも面白そうだと、江澄自身も少し思ってしまったのもあって、その祭に合わせて小さな宴をすることにした。
金凌は友人たちを呼ぶといって喜び、誘ってもいないのに魏無羨が俺と藍湛も行くからよろしくと図々しく伝えてきた。
「あなたが自ら台所に立つ必要はないのでは?」
明日に迫った宴に備えて下ごしらえをする江澄を、心配そうに見ているのは、呼んだ覚えはないのに手伝いたいと言って蓮花塢にやってきた藍曦臣だ。
正直、江澄としては台所で藍曦臣にうろうろされると少し鬱陶しい。彼は料理をしないので、台所で人がどのように動くのかがよくわからない。そういう人間は大体、どうしてよりにもよってそこにいるんだというような絶妙に邪魔な位置にいたりして、注意して移動させると、なんでそこに向かっていくんだという位さらに邪魔な場所に動いてしまうものだ。
江澄は、料理をするときだけは怒りを抑えると決めている。
怒りや悲しみなどの強い感情は料理の味に悪影響を及ぼすからだ。
だから、台所に立つ間は怒鳴り声などあげたくない。
「藍渙、手伝って欲しいときには呼ぶからそこの椅子におとなしく座っていてくれ」
「でも」
「いいから、俺を信じろ」
「はい」
魏無羨の話では、藍忘機は随分と料理上手らしい。魏無羨のために彼が作った料理は雲夢でよく食べられている味にそっくりで、魏無羨は初めて食べたときにまさか夫の手作りだとは思わず、どこかの店で買ってきたと信じて疑わなかったほどだという。
しかし、その兄である藍曦臣は、そうしたことは才能がないようで、料理はおろか、洗濯すらまともに出来ない。本人のやる気はあるのだが、やらせるとかえって周囲の仕事が増えるので、おとなしくしていてもらうのが一番いい。
江澄も、以前は手伝いたいという藍曦臣の意思を尊重しようとしていたが、調理の合間に使った食器を洗ってくれと言っただけで後悔することになった。
「藍渙、俺は皿を洗ってくれと言ったのであって、木っ端微塵にしてくれとは頼まなかったはずなんだが」
そう、洗い物をしているとはとても思えない音がして、驚いた江澄の目にうつったのは、洗い場にあった食器が全て粉々になっている状態と、心の底からすまなそうな顔をする藍曦臣だったのだ。
「すみません。努力はしているのですが、私の手の中でなぜか皿がみな形を無くしていくのです」
姑蘇藍氏の男子は、見た目に似合わぬ怪力を持つ。ことに藍氏双璧の二人は美しい外見に釣り合わないほどの力と有名だ。
どうやら藍曦臣は、家事などの慣れない手仕事をさせたときに、己の怪力をうまく操れなくなるらしい。
それ以来、藍曦臣の熱意だけはありがたく受け取って、実際には何もしないで見守ってもらうというのが、江澄が出した現時点での最適解なのだ。
藍曦臣の視線を受けながら、江澄はカボチャを取り出した。
なかなか立派なカボチャが手に入ったのはよいが、まずこいつを二つに割って、種を取り出してさらに用途に合わせて切り分けなければいけない。
勢いをつけて包丁を入れたが、料理をする者であれば予想出来る事態が起きた。
包丁が、抜けない。
カボチャに刺さった包丁は、時にこのような状態になる。
とにかく、抜けない。
まるで最初からここに刺さって生まれたとでも言わんばかりに、抜けない。
あまりに抜けなさすぎて、封じられた宝剣なのではないかと思うほど、抜けない。
この包丁を抜きしものが、世界を統べる王となる。
という伝説でもありそうなほど、びくとも動かない。
だが、これはよくあることだ。カボチャに包丁を食われて一生抜けなかったという話はないのであって、大体少しづつ揺らしたり時間をかけて力を加えていけば抜ける。
江澄もこんな場面に遭遇するのは初めてではなく、そのたびにそうして解決してきた。
慌てることなく、小刻みに動かしてゆっくり抜いていく。
だが、もう少しで一気に引き抜けるというところで、少し手元が狂った。包丁が抜けるときにその切っ先がカボチャを押さえていた指に当たったのだ。
「痛っ・・・・・・」
反射的に小さく声が出てしまったのは、少し指が切れてしまったからだ。
やれやれ、失敗した。傷の手当をしなければ料理の続きが出来ないな。
そう思った江澄が振り返ると、そこに何故かものすごい怒りの炎を背負った藍曦臣が椅子から立ち上がる姿が見えた。
「どうしたんだ、藍渙?」
藍曦臣の様子はただ事ではない。
マッド沢蕪君 怒りのデスロード!
「私の・・・・・・阿澄の美しい指に・・・傷を・・・・・・」
笑顔のまま怒るという珍しい芸当が出来る藍曦臣は、肩を震わせて低い声でそうつぶやく。
「カボチャの分際で・・・・・・」
ちょっとまて。
何を怒っているのかと思ったら、カボチャに怒っている?
江澄は、驚きあきれたが、同時にそういえばこの兄弟は、基本的にクソデカ感情を顔の良さで隠して生きているんだったと思い出す。
「許すわけにはいきません・・・・・・」
まずい。これはまずい。
藍曦臣にカボチャを粉砕されたら、メイン食材が無くなってしまう。
江澄は、可愛い甥の笑顔を見るために、険しい顔で言った。
「藍宗主、しばらくご退席願おうか」
「阿澄、私は・・・・・・」
「我は雲夢江氏宗主、江晩吟。この台所はわが領地、我が領内である。沢蕪君といえど勝手な振る舞いは許されぬ」
精一杯の宗主モードを発動して格好をつけた言い方をしてみたが、要は暴れるなら出て行ってくれということだ。
藍曦臣が例の怪力でカボチャを攻撃したら、被害は台所全体に及ぶと予想出来る。たかだか料理中にちょっと指を切ったくらいで、宴を開催中止に追い込まれてはたまらない。
数分後。
台所の外で膝を抱えて座り込んでいじける藍曦臣という、世にも珍しい光景が見られたという