花鳥風月「小次郎は、星も好き?」
「星?」
「うん。月は…好きでしょう?」
木々の揺れる音。暗い空を見上げて寝転がりながら話せば、近くに座っている彼もぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。わたしの隣に眠るマシュが起きないように、焚火の燃えるパチパチとした音よりも小さい声で、囁くようにわたし達は言葉を交わす。
「…そうさなぁ…。月だけではなく…星や、それから…肌を撫でる風や、空を自由に飛ぶ鳥」
「…」
「そういう自然のものはどれも美しいと思っているよ」
ふわり。風に舞う小次郎の群青色の髪の毛が視界の端に映って、空を見つめる頭を動かす。木に寄りかかって未だに刀から手を離さない彼をじっと見つめ、ふと振り向いた顔に微笑みかける。
「そう言う心、なんて言うんだったっけ」
「心?」
「うん。心というか…自然を愛でる、様子?気持ち?」
「…花鳥風月?」
「うん。それ。…小次郎は、自然のありのままの姿が好きなんだねぇ」
のんきに言葉を紡ぐと草を踏む音がして、閉じたまぶたを開く。先ほどよりも傍に寄った小次郎はわたしを見下ろすと、立香の好きなものは?と優しく紡ぐ言葉が耳に届いた。
「…わたしは―…」
「おや。マスター、まだ起きているのかい?」
「あ、マーリンだ」
言葉を紡ごうとしたその瞬間、少し遠くから声がして焚火に近寄る影がある。周辺の見回りでもしていたのか、彼はため息をつくと今夜は冷えるね なんて言いながら火に当たって手をさすった。
「もしかして君はマスターの話し相手でもしていたのかな?」
「まあ、そんなところだ」
「そうか。いいねそういうの。少しでも語り合うと暖まるし、君のその落ち着いた声ならマスターの眠気を誘うのにもよさそうだ」
「…それは褒めているのか?」
「私なりの褒め言葉だよ。そうだ。君にこれを貸してあげるよ。そこだと焚火の火も遠いだろうからね」
笑いながらマーリンはそう話すと手に持つ毛布を小次郎に渡して、おやすみ と囁く声がまた離れていく。歩いた先へ点々と花を咲かせて、なんとなく毛布から出した手でその花に触れてみる。
「…」
「あまり得意な方ではないんだが…」
「え?マーリンが?」
「ああ。だが…咲かせる花は美しいな」
毛布を羽織った小次郎はまだぽわぽわと咲いている花に手を伸ばして指先でちょんと触れ、その瞬間弾けるようにして消えた光を目で追う。空に昇って瞬く星々の元へ還っていくそれを見上げ、吹いた風が頬を撫でた。
「…わたしも、自然が好き かな」
「ほう?」
「小次郎みたいな花鳥風月の心ではないのかもしれないけど…わたしも、野に咲く花は好きだし…頬を撫でる風も好き。夜空に輝く月も美しいと思うし、瞬く星は見とれてしまうなって思う」
「…。そうだなぁ…そういうものは、とても美しい」
「…うん」
「其方らも花みたいなものだしな」
「え?」
夜空を見上げながら話した言葉になんとなく隣に眠るマシュに振り返ると、伏せていたはずのまぶたがそっと開く。途中から話を聞いていたのか彼女はすみません と謝って、盗み聞きするつもりはなかったと蚊の鳴くような声で話した。
「確かにマシュはきれいな花だよね」
「ははは。私は立香殿のことも言ったのだぞ?」
「そうなの?」
「もちろんだとも」
マシュが起きていると知るや否や、少しだけ他人行儀な話し方に移行する。立香 と呼び捨てで呼んでいた声は立香殿と呼ぶようになり、微笑む顔はどこかまだ固さが残っている。
「…それなら、小次郎は月みたいだよね」
「月?」
「うん。…マシュはどう思う?」
「え、わ 私ですか…?私は…小次郎さんのことは、風のような人だと…」
「あー確かにわかるかも」
「分かるのか…?」
「だって小次郎、風みたいに自由な人だから」
風みたいに自由な人。わたしはそうも思っている。いつも気付いたらいなくなって、そして気付いたら傍にいて寄り添っている。自由にふわふわ漂って、捕まえようとしてもなかなか捕まらない。
…でもこれは、みんなの前でだけだと、思う。
わたしといるときはどちらかというと…ずっと寄り添ってくれる、月に近い。傍に佇んで、そっと控えめの光で照らしてくれる…そんな彼。
風のようでもあり、月のようでもあるそんな小次郎が…わたしは大好きなのだ。
「なるほどなぁ。…では、今はさしずめ月になっているということか」
「…傍に佇んでいるから?」
「ああ。…野に咲く寄り添う花たちを見守るのも、空に浮かぶ月の役目と言えよう。…ほら、もうそろそろ寝た方がよかろう」
「…うん。マシュ、ごめんね起こしちゃって」
「いえ…!そんなことは…!」
「よい夢を」
あわあわ話すマシュに寄り添ってまぶたを伏せると、不思議と冴えていた目がすぐに重たくなる。くっつけたまぶたは開かなくなり、深く呼吸をするとだんだんと身体が重くなってくる。
吸って、吐いて。また深く息を吸って、ゆっくりと時間をかけて息を吐く。そういうことを繰り返していると、わたしはそのまま…気づくと寝息を立てる。
布団の中でマシュと手を繋ぐと彼女もスッと眠りについたような気がして、意識が堕ちる瞬間まで、風の音と草の揺れる音が耳に届いていた。
「…眠ったか」
「おや。もうお話は終わりかい?」
「いつまでも起こしておくわけにはいかんだろう」
花の魔術師は楽しそうに笑うとまた焚火の傍に座り、遠くからマシュ殿と立香を慈愛に満ちた瞳で見つめる。
「そうやって寄り添い合う野に咲く花は可愛いね」
「…そうだな」
顔にかかる立香の髪の毛を避けてやると、閉じたまぶたが小さく震える。見下ろして寝顔をジッと見つめていると、絵になるねぇ などとしみじみとした声が耳に届いた。
「じゃあ、私はまた離れるから…マスターたちの守りは君に任せたよ。最高の守り刀くん」
「貴様にそう言われても虫唾が走る」
「ははは。そう言わなくてもいいじゃないか。…それじゃあ、また翌朝にね」
胡散臭い男だ。と思いつつ、己も人のことを言えぬので結局口を閉ざすしかなかった。
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