青いスノードーム青いスノードーム
※原作やアニメとは時間軸が色々ズレてます。ご了承ください
駆け出しのテナーサックス奏者・宮本大の、最近のいちばんの悩みといえば。深刻な面持ちで眉をひそめながら、大は同居人の玉田にズイと近づいた。
「な、なんだよ……大」
「あのさ。24日の晩なんだけどよ。定番中の定番・イチゴの乗ったクリスマスケーキを作るか、それとも、雪祈の好物のリンゴでアップルパイを焼くか。玉田はさ、どっちがいいと思う??」
「そ、そんなこと!?」
今年のクリスマスまであと二週間ほど。そのささやかな悩みを大から聞かされた瞬間、玉田俊二は墨田区の狭いアパートの自室ですっとんきょうな声をあげてしまった。
「そんなこと、雪祈のやつに直接聞いちまえばいいだろうが!」
大自身にはいくら真剣な悩みだとしても、カップルの間でのノロケみたいな質問をされたら、彼女(または彼氏)すらいない独り身の玉田はただ苛立つだけだ。
「オレと雪祈のふたりで過ごす初めてのクリスマスなんだから、記念にサプライズを仕掛けたいんだべー!」
自分の頭の上でガバッと子どもみたく両手を広げて主張する大に
「まったく、しょうがねぇなぁ……」
彼より少しばかりオトナな玉田は頭をポリポリと掻きながら
「それなら。今週の練習中、おまえがいないタイミングでオレが雪祈の好みをそれとなく探ってきてやんよ」
と大に約束した。熱いオトコ玉田俊二、親友の頼みは断れない。
「さっすが玉田さまサマだべー! 愛してるッ♡」
チュッ、と大が投げキスのふりをすると
「そんな安い愛は要らねぇよ!」
ビシッ。玉田は、大からの愛を無情に跳ね返すフォームを取った。
そんなふうに、数ヶ月前からバンド内で恋人同士のお付き合いをはじめた大と雪祈は今年のクリスマスを一緒に過ごす予定を立てていたのだった。一方、その日の玉田はバイト先で労働の予定が入っている。
「大はクリスマスイブに雪祈の家に泊まるんだろ。だとしたら、24日は家での夕飯はいらねぇってことになるよな」
「あぁ。イブの夕飯はオレが作ったディナーを雪祈と一緒にムシャムシャするんだべ」
「いいなぁ……。オレのバイト先のパン屋じゃ、24日は夜遅くまでコスプレ姿で店頭に立たされるんだ」
自分と同居人のスケジュールを確認しながら、玉田はグチった。
「なんでパン屋でまでケーキを売るんだっての。こうなったらシングルなオレは聖なる夜にニセモノサンタの赤い帽子をかぶって、思いっきり金稼ぎしてやるぜ」
クッソ、幸せそうなカップルなんて見たくねぇわ!ムカつく!!と虚空に向かって玉田は吠える。
「……まぁ、でもおまえはさ、大好きな雪祈くんとせいぜい楽しく過ごしてこいよな」
すぐテノヒラクルーした玉田は大の方に振り返り、気持ちよく微笑んだ。
「しっかし。好きな人とクリスマスを過ごせるなんて、オレは幸せ者だべ」
12月の外の空気は冷たいけれど、大の心の中はほこほこと温かかった。
東京の冷えたアスファルトの路上。一瞬強い風が吹いて、短い大の髪をふわりと揺らす。バイト先に行くためひとり街中を歩いていた大はふと、足元にかげる黒い影に気づいて立ち止まった。
(――オレの母ちゃんが死んだのも、こんなふうに寒い日だった)
長患いしていた大の母親の鼓動が遂に止まったあの夜、静まった病室で幼い大の体温もスーッと下がっていった。心に影が差すような事が起こるたび、あの時の凍えるような気持ちが誘い出されてしまうから、大は寒いのはあまり好きではない。
(だけど、最近は。美しい冬の象徴の名前を持ってる雪祈と一緒にいたら、いつのまにかオレは寒いのも嫌じゃなくなってきたんだ)
「……母ちゃん、オレはもう大丈夫だべ」
だから、安心するっちゃ。体の前に広げた手のひらに、ふうっと温かな息を吹きかけて暖めると大はひとり呟いた。
そんな調子で幾日か過ごした大のもとに、遂に念願のクリスマスイブ当日がやってきた。わくわくする心を抱いているからか、いまの大には心なしか街中もちょっとした遊園地みたくきらきら煌めいて見える。
「宮本くん、おつかれさま」
「うっす」
早めにバイトを上がった大は、駆け足で雪祈のアパートのドアを合鍵で開け、駅前の専門店で買い求めたちょっといい牛肉をローストビーフに拵え、他のおかずも数品用意した後、数日前に得た玉田からの『雪祈は甘い生クリームはあまり好きじゃないってさ』という有難い情報に従い、結局アップルパイを焼いて家主のバイトの帰りを待つことにした。
アップルパイは生地からも自作できるが手間がかかるので、今日作る分はカットしたリンゴを砂糖、シナモン等のスパイスとラム酒を入れて大人の味わいに煮詰めてから市販のパイシートに乗せてオーブンで焼く簡単なものだ。
それでも『おまえって、こんなのも作れるんだな』と、調理全般に疎い雪祈はきっと感心するだろう。ウヒヒ。シリコンターナーで鍋の中のリンゴを炒めながら、大はひとりでニヤリとほくそ笑む。
この古い単身用アパートに申し訳程度に備え付けられた狭いキッチンに並んでいる、研がれた包丁、いくつかのスパイス類。金属製のザルにボウル、パイやグラタンが焼ける耐熱皿。それから便利なトング、などなど。大が雪祈のアパートに頻繁に通うようになってから、それまではごくごく貧素だった部屋のキッチンの環境も自炊ができるレベルにまで色々揃ってきた。先日はリサイクルショップに一緒に行ってこの中古のオーブン機能付レンジを買ったのだった。
今宵の楽しい憩いのために大は雪祈へのクリスマスプレゼントも用意してきた。雪祈が好きなピアニストの、なかなかレアなライブDVD。アキコさんに相談して海外の通販サイトで探したのだった。
「……雪祈は、オレに何かくれるかな」
大はいろいろ頭の中で想像してみる。いくらあっても足りないサックス用のリード、暖かい色の毛糸で編まれた帽子や手袋、ろくに靴を持ってないオレに替えの真っ白なスニーカー、とか……。
「でもオレは、おまえがいれば何もいらないけど……」
まるく染まった大の両頬が、しぜんと嬉しそうに上がった。
イブ翌日の予定はお互いフリーだし、今夜はふたりで美味しいものを食べてふたりで楽しい夜を過ごすのだ。イヒヒ。アップルパイの加熱中、暇を持て余した大は部屋のベッドサイドに普段は隠してある小箱の残弾やティッシュの予備までコッソリとチェックする始末だった。
「雪祈のやつ、早く帰ってこねえかなぁ」
古ぼけた部屋の中、前の住人が置いていったというこれまた古い時計の針がカチ、カチと鳴った。
オーブンの中、焼けたアップルパイから甘くこうばしい香りが部屋中に漂い始めた。退屈を持て余した挙げ句、ソファ代わりのベッドに座りスマホの画面をダラダラと眺めていた大はアプリに新着メッセージが届いていたことに気がついた。
『交通整理のバイト、次の人が急に来れなくて2時間追加になってしまった。悪い。【ゆ】』
【ゆ】のマークが付いているのは雪祈からのメッセだ。
「なんだそりゃ。ちぇっ、仕方ねぇべ……」
不貞腐れた大の口が「へ」の形になった。
それから数十分経ったが、いい加減、家でひとりで待ってるのにも飽きてしまった。本来じっとしていられない体質の大は、最寄り駅までの道を歩いて雪祈を迎えに行くことにした。ドアを開けたら、街は薄く白化粧を施されはじめてきていた。靴を履いた大は玄関の横に備えたビニール傘を二本持ち出してドアを閉め、カチャンと鍵をかける。
(そういえば、今夜はホワイトクリスマスになるかも。ってニュースサイトに書いてあったべ)
アパートに近い方の改札の前で待っていれば、帰宅途中の雪祈とすれ違うこともないだろう。駅前スペースに聳える大きなクリスマスツリーの前に大は立ち、渋谷のハチ公のようにじっと大人しく彼氏の到着を待った。都会仕立ての青色に統一された洒落たツリーの上部を透明なビニール傘の中から見上げれば、幻のような白い結晶が、周りを飾るLEDからの光を受けていくつもハラハラ煌めいていた。
――あぁ、すごくきれいだべ。まるで夢の中、青いスノードームにいるみたいだっちゃ。でももう、オレはひとりじゃない。大好きな雪祈とこれから一緒に眺める幸せの景色なんだ……
……しかし。雪祈は予定の時間を過ぎてもちっとも来ないし、連絡も入らない。大が何度かメッセを送って催促してみても、既読マークすら付かなかった。
「おっかしいべ? うーん……」
大がポチポチとスマホを弄っている途中、手元の電話のコール音がいきなり鳴ったので、大はビクッと身体を震わせた。――それは、玉田からの呼び出しだった。普段はJASSのメンバーの間ではメッセージアプリを使ってやりとりしているというのに、なぜか今回は電話回線からの通話だった。
「どしだべ玉田ぁ? いつもアプリなのに、なして電話で?」
はぁ、はぁ。はぁ。と、電話の向こうで息を切らせた玉田はなぜかまったく落ち着きがない。
『お、落ち着いて、き、聞けよ、だ、大ッ……』
「??? はぁ、なんだべ?おまえこそ、なんだかヘンだべ、」
『雪祈が、車に撥ねられたらしい。いま、救急車で運ばれた大学病院で手術してるって、』
「…………は?」
『さっき、事故現場にいた同僚の人からオレに連絡があって、オレも今向かってる途中で、』
握っていたはずの大のスマホが無言で手を離れて、冷えた地面の上にがしゃん、と落ちる。
『大、大!! 聞こえてるか、大……!!』
電話の向こうで激しく叫ぶ玉田の声は、大にはもう聞こえない。
あの日、母を見送った時のように大は自分の体温がスーッと下がり、身体中がしずかに凍えていくのがわかった。
***
……あれから、何年も経った。
「あっ、流れ星。また一個見えたべ」
「今度はあのタワーの向こう側だな。大はお願い事とかしないのか?」
「遅すぎっちゃ、雪祈。光はもう消えちまったべ」
今では立派なテナー奏者になった大と、新進気鋭の作曲家である雪祈は、ニューヨーク・ブルックリンの片隅のフラットで同居している。あの時雪祈が遭った事故でJASSは解散し、未熟だったふたりは胸が裂けそうな別離をしたが、数年後アメリカで再会したことがきっかけで焼けぼっくいに火がついた。
今年のイヴの日に特別な流星群がよく見えるともっぱら話題のNYシティでは、多くの人が窓の向こう側の暗闇を眺めている。普段は眠らない街も、今夜だけは流星観察のためにいくらか灯りを減らして空気もどこか澄んでいた。
「アメリカに来てから知ったけど、本来、クリスマスは家族で静かに過ごすものなんだな」
窓辺のソファで熱いコーヒーを啜りながら、焼きたての香ばしいアップルパイをつまんだ雪祈は言う。
「みたいだべなぁ」
大は雪祈と一緒にクリスマスの日を無事迎えられることが、なによりも嬉しかった。
「ここの流れ星、なんだか青っぽく見えるべな」
「大気と光の加減で青く見える、ってネットに書いてあったぞ」
「へぇ……」
雪祈の解説を聞いて、目を細めた大の両頬が上がる。濃紺色の空に流れる、いくつもの青い星の群れ。大はあの日東京の街で独り見ていた青いクリスマスツリーを思い出した。悲しい想い出が詰まった小さなスノードームは、いまはふたりで心を躍らせるNYの大きな青い空に変わった。
「雪祈。いま、ここにいてくれて、ありがとな」
雪祈の隣に座った大は、雪祈の傷だらけの右手を優しく慈しむように撫でる。
(母ちゃん。今度こそオレは、本当にもう大丈夫だべ)
祈るように頭を軽く下げた大を見て
「大。どうかした?」
と雪祈は尋ねる。
「なんでもねぇべ。あっ、雪祈。アップルパイ、まだ残ってるから腹いっぱいになるまで食うっちゃ」
真剣な気持ちをごまかすようにおどけた大に
「おまえの作ったスパイシーチキンも旨かったから、そんなにたくさんは食べられないよ」
もう十代の頃のオレたちじゃないんだぞ。口端を上げて笑った雪祈は、お代わりしたコーヒーをまた啜った。
(オレは雪祈のこと、ずっと大切にするべ)
大は、雪祈の腰にそっと手を廻す。
「メリークリスマス、雪祈」
「ハッピーホリディ、大……」
窓辺にたたずむふたりの左手に、お揃いのプラチナの銀色が星のまたたきのようにキラリと輝いた。
【終】
いいねや感想など戴けると、とっても!嬉しいです。
七篠