【hrak】茶+梅雨とダンス衣装 雄英高校一年A組の面々が暮らすハイツ・アライアンスの、女子寮四階の空き部屋。その部屋は今、台風が通過したかのような惨状だった。
理由は簡単だ。三週間後に迫った文化祭でダンス隊が着る衣装を作るための作業場に、この部屋が選ばれたからだ。他の部屋から運び込んだ机に家庭科室から借りてきたミシンが並び、開け放ったクローゼットには沢山の材料が詰め込まれている。掃除や片付けが追いついていないせいで床のあちこちに布の切れ端や糸くずが散らばっており、裁ち鋏やメジャーがしょっちゅう行方不明になる。その度に探したり互いに借りたり貸したりしているせいで、誰が誰の道具を使っているのか誰にもわからない。
既製のセットアップに手を加えるだけとは言え、衣服を加工するとなるとそれなりの裁縫の技術が必要とされる。そしてその技術は、高校生である彼ら彼女らの中で大きくばらつきがあった。
「ねえ梅雨ちゃんー! また糸絡まっちゃった! 助けて!」
中でも蛙水梅雨は、弟妹が破ってしまった服を繕ったり、雑巾や道具袋などを作ったりといった縫い物に日頃から触れていたため、クラスメイトの中で特に裁縫に覚えがあった。今日も麗日お茶子のスカートの丈を調整していたところに芦戸三奈からのヘルプ要請が入り、あちらこちらから引っ張りだこだ。
「今行くわ、三奈ちゃん」
蛙水は麗日のスカートにまち針を留め終え、「針が刺さらないように気をつけて脱いでね」と言い置いて芦戸の手助けに走った。取り残された麗日は、蛙水が調整してくれたスカートを見下ろし、小さくため息を吐いてウエストのホックを外した。
これからこのスカートの裾に白い飾りを重ねて、ミシンで縫い合わせる。元来細かいことは気にしない性格の上、五指で物に触れると浮かせてしまう"個性"を持っているせいで、麗日はどうしても、手芸や裁縫といった細やかな作業が苦手だった。
──またミシンかあ。手縫いも苦手やけども。
つい先日は、ジャケットに飾りを縫い付けるのに大乱闘を巻き起こした。ミシンにうまく糸を通せず、何人ものクラスメイトの手を借り、三人分はあるんじゃないかと思うくらいの材料の布を無駄にした。時間も他のクラスメイトの倍は掛かった。その時も、完成まで一番粘り強く手を貸してくれたのは蛙水だった。
──梅雨ちゃんはすごいなあ。
蛙水だけではない。今でこそ糸くずまみれになって蛙水にミシン糸の替え方を教わっている芦戸だが、本題であるダンスでは飛びぬけたセンスとリズム感でクラスメイトを引っ張っている。同じくダンス隊の葉隠透は、衣装のデザインを出す段階で芦戸と共に様々なアイデアを提示し、今は着々と衣装を縫い上げている。
他人と自分を比べるものではない、と頭ではわかっているものの、苦手なもの(裁縫)に対峙したときの人間は落ち込みがちだ。生来明るい性格の麗日でさえ、思い詰めた表情をしてしまうほどに。
「お茶子ちゃん、どうしたの?」
ふいに蛙水から声を掛けられ、物思いに耽っていた麗日の肩が跳ねた。芦戸のミシンが順調に動き出し、手伝いから解放されたらしい。
「スカートの長さ、合わなかったかしら」
「ううん、違うの梅雨ちゃん。違くてね」
麗日はスカートの生地をぎゅっと握り締めた。切りっぱなしの布端から糸がほつれ落ちるように、一度気づいた弱音がほろほろと顔を出してしまう。
「私だけ、何にもしてへんなぁと思って……」
「お茶子ちゃんだけ?」
「梅雨ちゃんはみんなを手伝ってすごいし、三奈ちゃんも透ちゃんもダンスできたり衣装作れたりしてすごいのに……、私だけ……」
その言葉を聞いた蛙水は、一瞬意外そうに大きな瞳をぱちくりさせた。そして弟妹に話すときのように柔らかく微笑んで、布地を握る麗日の手に、自らの手をそっと重ねる。
「……お茶子ちゃんは」
大きくてひんやりとした手で、握りしめた麗日の指を解きながら、蛙水は言った。
「"個性"伸ばしで空中でのバランスの取り方を沢山練習してるでしょう?」
「……うん」
「だからかしら、ジャンプしたときや、ひとつひとつの動きやポーズがとっても綺麗だと思うの。私にも教えてほしいわ」
「梅雨ちゃん……」
平時よりも低くゆっくりと紡がれる蛙水の言葉は、麗日の胸にじんと染み込んだ。重なったままになっていた蛙水の手ぎゅっと握ると、包み込むように優しく握り返してくれた。
「……私ね、思ったことをなんでも言っちゃうの」
ケロケロと微笑みながら蛙水は続ける。
「ヒーローになるための訓練だけれども、皆を楽しませることに使えるのってとっても素敵だと思うわ」
そう言うと蛙水は、握りしめて皺になってしまったスカートの生地をちょっと引っ張って伸ばした。「わわ! ごめん!」と麗日が慌てて謝ると、「大丈夫よ」とまたケロケロした笑顔が返ってくる。
「この前も最後の方は失敗せずにできていたから、丁寧に縫えばきっと終わるわ。一緒にがんばりましょう」
「……うん!」
心強い親友の言葉に励まされ、麗日の返事に張りが戻ってくる。「麗日ぁ、一緒にやろう!」と声を掛けてくれる芦戸の言葉にも頷いて、麗日はミシンと戦うべく、空いている椅子に腰かけた。
fin.