Sweet Happy Birthday「なぁ〜〜もういっそどっかに泊まろうぜ…」
「だーめだって、明日は普通に朝から出勤なんだから」
「だ〜からさぁ、そもそもそのスケジュールがおかしいって話じゃん」
「仕方ないでしょ〜、それが俺たちのお仕事なんだからさ」
先程から助手席で延々と愚痴が止まらない後輩で年下の先輩で、それからまだ気持ちを確かめ合ってはいないが、多分両想いの相棒を宥めすかしながら、愛車のライカを駆る。
時刻はそろそろ23時を回ろうとしていた。
フロントガラス越しに見える景色は、車のヘッドライトが届く範囲以外、漆黒と呼んでも差し支えない闇が鬱蒼と広がっている。
いま走っているのは山あいの森の中。
時おり、連なる木々の切れ間から遠く眼下に街の明かりの煌めきが見えるが、それもベルランドやシールドシティに比べれば随分と控えめなものだ。
「今からシールドまで戻ったら何時になるんだっての……」
「そうだねぇ、この山降りるのに30分、街の中心まで飛ばせば20分、そこから高速に乗ったらあとは来た時と同じってとこかな〜?」
「高速5時間かかったじゃん……」
うぇ……とフィンがうんざりしたような声を出しながら、相変わらず闇が広がっているだけの窓の外に目を向けた。
ここはシルフィウム州の北部。いま車を走らせている道を逆方向に山越えすればトラプラ島北端の海に辿り着いてしまうような最果ての地だ。
何故こんな場所までやって来たのかと言えば、それはもちろんカード回収のため。プレイヤーとは一度スパーダ州の州境付近で接触したのだが、その時は逃走されてしまっていた。
その後、暫くは行方が掴めないままだったのだが、今朝ようやく舞い込んできた目撃情報がシルフィウムだったと言うわけだ。
実際に現地を目の当たりにすると、そこはヴィジャイの方が適任な環境だったことはすぐに察せられた。
元々シルフィウムは自然豊かな土地なのだ、地の利を活かすならグリーングリーンに勝るものはない筈だ。
しかし前回プレイヤーを取り逃してしまったのがクリスとフィンだったこともあり、リベンジの意味もあって二人が回収を命じられたのだ。
まるで隠れんぼでもするかのような、木立ちを避けながらの戦い。クリスにすれば足場も多く、空中を利用した三次元的な攻撃に有効活用できたのだろうが、地形上真っ直ぐな射線が確保しにくかったフィンには少々ストレスフルな戦いになった。
そんな事情もあったせいか、さっきから愚痴が止まらないのだろう。
「まーまー、いつまでもそんなに拗ねてないの。ちゃんと援護してくれたじゃない。あの角度から足を狙って確実に当てたのはすごいと思うよ?」
「別に拗ねてねーわ、それとすごいのは当たり前だ」
自信満々の返しに、はて? と暫し考え込む。
消化不良気味とは言え、仕事の内容自体に不満はなかったらしい、それならば一体何が……。
「……どこか行きたいところでもあった?」
「なに?」
「いや、今日は随分とご機嫌ななめだからさ、仕事の後、何か用事でもあったのかな〜、ってね」
「別に……、そう言うワケじゃねーよ」
「そうなの?」
急に歯切れが悪くなるフィンに、プライベートな事情かと察して、それ以上突っ込んで聞くのはやめておいた。
そのまま、特に会話もなく車は山道を下っていく。
早く帰りたそうにしていたフィンのために少々飛ばしてみたが、そんなにスピードを出すなと逆に窘められてしまった。
二人で組むことになった当初は、早朝の街中で加速しただけでもギャーギャーと悲鳴を上げていたと言うのに、こんな一寸先も見えない真っ暗闇の峠で、随分と肝が据わったものだ。
それだけ信頼を得た証でもある、と思う。
無事に山を降りて、走る道は砂利から徐々にアスファルトで舗装された道路へと変わっていく。
まだ街外れにあたるこの付近は、民家の明かりも疎で、散見される商店も軒並み営業は終了していた。
プレイヤーを追いかけて山に入ったのはいいが、夕食がまだだったのだ。
クリスは能力の都合上ファジーズを常食しているし、運転前に補給もしたが、フィンはきっとお腹を空かせているだろう。けれどこの時間になると街の中心部でも開いているところを探すのは至難の業かも知れない。さて、どうしたものか。
「……フィン〜」
「なんだよ」
「街の中でこの時間にご飯食べられるお店探すの大変そうだからさ、先に高速乗っちゃっていい? サービスエリアの方が何でも食べられると思うんだよね」
「おう、それで構わねぇよ」
「お腹空いてるよね〜、ごめんね、急ぐからさ」
「だから飛ばさなくていいって」
延々と景色の変わらない山道と違い、帰り道を行く実感が湧きやすいのか、街に出てからはフィンの機嫌も少しは上昇したようだ。
あとふたつ先の信号を越えれば、続く道の先は高速のランプだ。無意識でアクセルをわずかに踏み込みかけたところ――
「クリス、停めてくれ!!」
「えっ、なに?!」
「あそこ、ちっさいコンビニがある、ちょっと寄ってくれ!!」
「いいけど、そんなにお腹空いてたの?」
「いいから早く」
事情がよくわからないまま、急かされるままに左折してフィンの指し示す方向に車を走らせる。
なるほど、道を進んで行くうちにクリスの目にも、そこがよく見るコンビニチェーン店の灯りだとわかった。
「ちょっと待っててくれ!」
駐車場に車を停めると同時にシートベルトを外したフィンが車外へと飛び出し、店内へと駆け込んで行く。
どうせ何か買うなら一緒に、と思っていたクリスだが、フィンの剣幕に呆気に取られてしまい、言われたままに車内に留まっていた。
程なくしてフィンが店から出てくる。その手には小さな手提げの袋。
「ただいま、悪かったな」
「ほんとにね、びっくりしちゃったよ〜、おトイレ……ではなさそうだけど」
「ちげーよ、ほれ」
「なに、……俺に?」
シートに座り、ドアを閉めながら、フィンが持っていた袋をクリスに差し出してくる。
中を覗き込むと、そこに見えたのは2個入りのケーキのパック。
「ギリギリ間に合ったってとこだな」
満足げに言うフィンの目線の先には、インパネ近くに表示されているデジタルの時計があった。
時刻は、23時52分。
「あんた今日誕生日だろ、コンビニケーキで悪いけどさ」
「フィン……」
今日が誕生日なことはもちろん知っていた。
毎年この日は仕事終わりにミシェルの病室に寄って、兄妹ふたりだけで誕生日を祝うと約束していたからだ。
それなのに今日は思いがけず仕事が入ってしまった。レオは当初気づかう素振りを見せていたが、前回の失態もあって、任務は引き受けた。
この埋め合わせは必ずするからとミシェルには出発前にメールを入れて、更にはがっかりさせるのは忍びないと、時間があれば様子を見に行ってやって欲しいと詳細は告げずにチェルシーにも頼んでおいた。
順調に事が運べば本日中に帰れるかもと言う淡い期待は、山に逃げ込まれた時点で早々に捨てた。
カードを回収して、車に乗り込む時に気づいた2件の着信メール。1件目はミシェルから、気にしないでとクリスを気遣う返信。2件目の本文のないメールには、Happy Birthday と色とりどりの文字で書かれたカードを二人で掲げるミシェルとチェルシーのセルフィーが添付されていた。
そうして、いつもより少しだけ寂しい10月4日と言う日は、終わったと思っていたのだ。
「……覚えてないと思ってた」
んなワケねーじゃん、とフィンが笑う。
「サンフィールズじゃ家族の誕生日は必ずみんなで祝うって決まってたんだよ。……まぁ去年は、ちょっとバタバタしてて祝ってやれなかったけどな」
去年の今頃、退院直後だったクリスは、職場復帰を果たしたものの、事情を訊かれたり始末書を書かされたりと誰も誕生日のことを口にすることもなく、慌ただしくその日は過ぎ去ってしまったのだった。
あの時のことを思い出して、胸に込み上げるものがある。
今までなら、何を捨ててでもミシェルを最優先に生きてきたが、今日のように仕事を優先させることができるようになったのも全てはフィンのお陰だ。
そんなフィンのことを、かけがえのない存在に思ってしまうのはもうどうしようもなく仕方のないことじゃないか。
「……何か言えよ、変な空気になンだろ」
「別に、もう、いいんじゃない……?」
急に黙り込んでしまったクリスを不審に思ったのか、怪訝な顔を向けてくるフィンに、シートベルトを外して、助手席へと顔を近づける。
そっと人差し指と親指でその顎を捕らえても、フィンは少し驚いた表情を見せるだけで逃げることはなかった。
チュッと触れるだけのキスを一度。そのまま至近距離で見つめ合う視線は、逸されることなく真っ直ぐにクリスを捉えていた。
堪らず何度も唇を押しつける。
触れるだけのバードキスを飽きることなく幾度も繰り返して、ようやく離れた二人の間で、デジタルの表示が0時00分に変わった。
「ありがと」
「……どう言うつもりだよ」
離れ際、お礼を言ってなかったねと囁いたクリスにフィンから返された言葉は、それこそもう今更の問いだと笑ってしまった。
「からかってるのなら、」
「からかってなんかないよ、フィンだってもう分かってるでしょ」
「わ……かってる、なら、……いい」
「ちょっと、今さら照れないでよ」
先ほどまでの挑戦的にも思えた眼差しはどこへやら、耳や首まで真っ赤に染め上げたフィンが、ボソボソと呟く姿に、こちらまで恥ずかしくなってしまいそうだった。
まるで、ティーンの甘くて淡い恋のような。
実際フィンはまだ17歳なのだが。
「それじゃ、とにかくまずはシールドまで戻るとしますか!」
「クリス」
「んー? 今度は何だい?」
「……さっきは悪かった、八つ当たりして」
「別にいいよ、だってさ、それってずっと俺のこと考えてたってことでしょ?」
そう告げると、またフィンが顔を真っ赤にして目を逸らす。
少し体温の上がったその首を左手で引き寄せて、もう一度キスをしてから、今度こそ車を発進させた。
「ホントはさ、行きたいトコあったんだ。今日オープンだったじゃん、リバーサイドガーデンのスイーツカフェ。あんたのことだからリサーチ済みだろうけど」
「もっちろん、知ってるよ〜! 俺も今日行きたかった!」
「だからさ、そのうちやり直しさせろよ、誕生日。どうせ明日はミシェルのとこに行くんだろ?」
「どうせなら、明日はフィンも一緒に来る?」
ずっと兄妹二人で祝って来た誕生日。
相棒から恋人へ、10月4日は過ぎてしまったけれど、今年はとびきり甘くて特別な誕生日がまだ続きそうな予感に、思わず口元が綻んだのだった。