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    むらくも

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    むらくも

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    師弟時代のフィガファウ。リハビリです。

    #フィガファウ
    Figafau

    agape(師弟時代フィガファウ) 与えることには慣れていた。なにせ生まれた時から『神様』をしていたから。
     幸いも、恐怖も、知識も、絶望も、助言も、予言も、実りも、安らぎも。それが例えどんなものであれ、相手が望むものを与えることには慣れていた。そうすることを望まれていたからそれに従い、それに疑問と飽きを覚えたから与える事を止めた。生きてきた千年以上。良い事も悪い事も、出来ることは何だってして来た。与えてきたから、奪う事もした。つくることも、壊すことも、出来ることなら、大概はなんだって。
     乞われれば許し、貢がれれば対価に見あった事くらいはしてきたつもりだ。それくらいの優しさも情も持ち合わせている。けれど煩わしい事は嫌いだし、自分が組み上げた予定や計画を乱されるのは好きでは無かった。総てが思うままに動くのは一種の快感に似ていたから。
     きっとだから、いまだに解からない。
     対価を問わない無償の愛を、俺は知らなかったんだ。
     きみに出会うまで、知らなかったんだ。


       【 agape 】


     はぁ、と吐いた溜息が白く濁って流されて行く。少し強い風が吹いていて、合わせて雪も吹雪いていた。北の国では珍しい事ではないし、北の国で生まれ育ったフィガロからしてみれば何時もの事ではあるのだが、今日は少しだけ、それを煩わしく思う。自身の虫の居所が悪いからだ、と言う事にはもちろん、気が付いていた。
     はぁ、ともう一度、溜息が漏れる。肩を落として瞳を細めた。吹きすさぶ風も、冷たい吹雪も、フィガロにしてみれば特に何も感じないものだ。防寒と防風の魔法で身を守っているから、自身の周りは快適な状態に保たれている。それでも感じる違和感と言うよりは不快感は、きっと先程の行為の所為だろう。
     愚かな数人の魔法使いだった。愚かと言う言葉に相応しくフィガロを倒し名を上げ、石を食べようと目論んだらしい。余りにも愚かで煩わしい事だったし、フィガロにとっては簡単に殺せてしまう相手だったし、実際そうではあったが、どうにもまだ腹の虫が治まらない。別に殺した魔法使いのマナ石を摂りこんだわけでもないのに、だ。
    (……今日は少し飲もうかな……)
     確かまだ西の国で手に入れたワインが残っていた筈だ。記憶を引き出しそんな事を思いながら、猛吹雪の中を悠然と、フィガロは箒で飛んでゆく。風にあおられることも無く、吹雪に揺らぐことも無い。寒さにかじかむこともないその手で柄を掴み直し、フィガロは自身の住居へと吹雪の空を駆けて行った。


     玄関先で流れるように箒から降りた。指先を振るうだけで玄関の扉は開き、家主であるフィガロを迎え入れる。暖炉の中には火が灯っていて暖かかった。ふう、と吐息を漏らしながら玄関先に箒を立てかけ、羽織っていたローブを取り払う。それをそのままポールハンガーへと引っ掻けたところで、足音が聞こえてきた。
    「あ、フィガロ様。おかえりな、さ……」
     廊下の奥から顔を出したのは、割と最近とった弟子だった。まだ随分と若い、中央の方で産まれたという魔法使いだ。
    「ああ、ただいま。ファウスト。……ファウスト?」
     ファウストの言葉に返事をするが、当のファウストはフィガロを見詰めて瞳を丸くして立ち尽くしている。その様子にフィガロは首を傾げ、そうしてファウストの視線の先である自身を見やった。
     フィガロの衣服は、黒く変色しかかった赤い血でそこかしこが汚れていた。
     自分の衣服を顧みて、しまった、と一瞬にして冷や汗が吹きだしてくる。虫の居所が悪かったが故に、挑んできた魔法使い達に対してそれなりにむごい事をしたのだ。これはその時の返り血だ。用事を済ませた後でもう帰るだけだから、とそのまま帰ってきてしまったのだ。
     こんな汚い姿のまま、この子の前に帰ってきてしまうなんて。自らの失態に思わず頬を引きつらせるよりも早く。
    「フィ、フィガロ様! その血、怪我ですか!? 大丈夫ですか!?」
     先程まで立ち尽くしていたファウストが顔を蒼褪めさせてフィガロに駆け寄ってきた。天津さえその白い手で汚れたフィガロの服を掴むものだから、フィガロは慌てて「わー! 汚れるから触っちゃ駄目!!」と思わずにファウストの手を掴み上げる。
    「何言ってるんですか!! 怪我してるなら早く診ないと……!!」
    「してない、してないから!」
     そう強く答え、フィガロはファウストの手を掴んだままに呪文を唱える。
    「《ポッシデオ》」
     呪文と魔力はこころに応え、魔法となる。ふわりと柔らかな風が二人を包み込み、その柔らかな風はフィガロの血で汚れた服をみるみる綺麗にしてくれた。
    「ほら、もう平気だよ」
     言ってフィガロは掴んで居たファウストの手をぱっと手放した。平気、と言う言葉が正しいのかどうか。別段怪我をしていた訳ではないので、先程フィガロが行使した魔法は浄化の魔法だ。血で汚れていた衣服は白さを取り戻している。それを見せるようにフィガロは自分の衣服を撫でて笑って見せるが、フィガロの前に立ち尽くしているファウストは僅かに表情を曇らせたままだった。眉間に刻まれている皺と、未だ胸元辺りを見詰める薄紫の瞳にフィガロは眉尻を下げる。本当に、怪我など一つもしていないのだ。ただ血で汚れていた、それだけなのに。
     どうにも険しい表情のままのファウストが、やはりもう一度、フィガロへと手を伸ばして来た。綺麗に浄化した衣服に触れた細い指先が、糸が飛び出してほつれかけているシャツのボタンを撫でた。何処かに引っ掻けでもしたのだろうか。よくよく見やれば、服に小さな裂け目もある。恐らくファウストはそれを見付けて表情を曇らせているのだろう。そう思ったからこそ、フィガロはもう一度そのくちびるを軽やかに動かした。
    「《ポッシデオ》」
     飛び出していた糸がするりと納まり、小さな裂け目もみるみる綺麗に直ってゆく。新品同様となったシャツにフィガロはほっと笑みを漏らした。
    「ほら、もうなんともないよ。元通りだ」
     心配してくれた弟子を安堵させる為にそう伝えて笑顔を作る。けれどファウストの表情は相変わらずに少しばかり曇ったままだった。やはり返り血など浴びたまま帰ってきたから怖がらせてしまったのだろうか。潔癖で真っ直ぐな弟子だと言う事は出会った時から解かっていたことだ。正攻法でぶつかって行く器用貧乏なタイプだとフィガロは認識していたし、そう言う真っ直ぐに突き進んでいって、けれど傷付く事を恐れない所を素直に凄い、と思ったのだ。長すぎる時間を器用に生きてきてしまった自分には、もう到底出来ないやり方だった。
     この子にも、恐怖や畏怖を与えてしまったのだろうか。物怖じもせずに自分をその瞳に映し出してくれた事が、フィガロはとても嬉しかったのに。そんな不安めいた感情に肩を竦ませはしたものの、ファウストが浮かべているその表情が恐怖や畏怖と言うよりは、不満と、何故か少し寂し気なものに見えて余計に戸惑ってしまう。
    「え、っと……」
     何時もはするすると出てくるはずの言葉が濁った。何と言えばこの子は喜ぶのだろうか。大丈夫だよ、平気だよ。もう心配はないよ。きみが気にする事ではないよ。不安なんて何もない。大丈夫だよ、と、俺が全部やってあげるよ、と、そう伝えれば、大概のものは安堵し、喜ぶと言うのに。フィガロ程の実力がある魔法使いであれば、大抵の事は何でも出来てしまうのだ。それをみんなわかっているから、フィガロのその言葉に安堵し、そして恐怖し、畏怖をする。その魔力の強さを知っているからこそ信頼し、そうして恐れるのだ。
     俯いてしまったファウストにどんな言葉をかけるべきなのだろうか。こんな風に戸惑ってしまうこと自体、長い時間を生きた中でも随分と久しぶりの事でフィガロは困惑した。自分自身にもそうだし、相手にも、だ。どうしたら、どんな言葉を掛けたら、何を与えたら、この子は安堵して喜ぶのだろう。
     相手に触れようとして持ち上げた筈の手が、宙を彷徨う。結局その手は行き場を見付ける事が出来ず、指先を縮こまらせて握られるだけだった。
    「……あの……」
     情けない声が出た。
     それと同時にファウストがぱっと顔を上げる。見詰めていた頭がぐんっと動いて、夜明けのような煌めく瞳にフィガロを映し出した。急に動き出したファウストはその両手でフィガロのシャツを掴み、そうしてフィガロを引っ張って歩き出す。
    「え、え? ファウスト!?」
     急で少しばかり横暴な行動に、フィガロは戸惑いと驚きの声を上げながらも脚を動かしてしまう。ぐいぐいと己を力づくで引っ張って行くファウストは、そのままフィガロをとある場所へと引き摺って行って、そうして押し込んだ。
    「沸かしてありますから入ってください!」
    「え? あの……」
    「入ってください! 良いですね!?」
    「は、はい!」
     そう強く言いつけてくる姿にフィガロは思わずに背筋を正してそう返事をしてしまう。そんなフィガロの姿に満足したのか、それとも一仕事を終えた、と言う意味合いなのか、ファウストはフィガロの返答を聞いてそっと瞳を和らげ、そしてフィガロを押し込んだ部屋の扉を閉めた。
     場所は脱衣所。――つまり、風呂に入れ、とファウストは言いたいらしい。
    「……えぇ……どういう事……?」
     閉められた扉を見詰め、フィガロはゆるゆると肩を落としてそうぼやいて、頭を掻く。それから小さく吐息を漏らして、着ていた新品同様となったシャツのボタンに手を掛けた。
     あの一番弟子が、頑固で意固地だと言う事を、フィガロは良く良く知っていたから。


     *** *** ***


     ぽた、と天井から落ちた雫がフィガロの頭に当たった。当たった部分に手を当てて、それからフィガロはバスタブの中で腕を伸ばして、ぐたりと身体の力を抜いてそのバスタブにもたれかかる。ファウストが言った通りに風呂は沸かされていて、丁度良い温度だった。じんわりと身体の芯に熱が灯ってゆく感覚の心地よさにはあ、と吐息を漏らして、フィガロはそっと瞼を伏せる。
     脚を伸ばせるほど広いバスタブだ。流線型を描くそれは、気を抜けばそのまま湯船の中に溺れてしまいそうになる。だからこそフィガロは上体を捻り、脚を伸ばしたままにバスタブのふちに両腕を引っ掻けて、そうしてまた吐息を漏らした。
    (……浄化の魔法を掛けたんだから、お風呂に入る必要、ないと思うんだけどな……)
     返り血が飛んでいたシャツのみならず、あの時フィガロは自分自身にも浄化の魔法を掛けたのだ。こうして湯につかって全身を丸洗いする必要性は無かった筈なのに。
     普段ならばあんな風に返り血を浴びたりはしなかっただろう。ただ、今日は少しだけ苛立ちが勝ってしまって、早々に帰ろう、と決めてしまったから、浄化の魔法を掛けずに帰宅してしまっただけの事。フィガロ自身はそれなりに綺麗好きな所があるから、今回のような事は稀だ。けれど、北の国で生きる魔法使いならば、きっとああいう事は良く在る事だ。北の国では、強さが総てだから。
     相手を石にする事に躊躇いを持つ魔法使いは少ないだろう。そう言う事に躊躇いを持つものから石になるだろうし、だからきっと、そう言った魔法使いはこの北の国では生きていけない。フィガロは情け深い所はあるけれど、それと同時に同じ位非情さも持ち合わせている。求められるのなら優しくするし、だから自身にとって利益の無いものなら簡単に手放してきた。損得でばかり考えおって、と困ったように肩を落としたのは、果たして双子の師匠のどちらだっただろうか。そうして、それを悪い事とは言わんがのう、とやはり苦笑を漏らしたのも、果たして。
     別に風呂が嫌いと言う訳では無い。だが、魔法で浄化が出来るのであれば、それに必要性をあまり感じない、と思うのだ。魔法で済ませられるのであれば、そちらの方が楽で、合理的だと知っているから。
     濡れた空気が籠った浴室に、少しばかり控えめにノックの音が届いた。こんこん、と言う音の後に、「フィガロ様」と声が掛けられる。ファウストの声だった。
    「開けてもよろしいですか?」
    「ああ、どうぞ」
     声音にいつものように答えれば、それに促されるままにファウストが浴室に顔を出した。穿いているズボンの裾を折り上げて、シャツの袖は捲られているその姿に、フィガロはぱちりと瞬いてしまう。
    「お湯加減はどうですか」
     そう問い掛けられて、「あ、あぁ。うん。丁度いいよ」と、少しばかり戸惑いながらもフィガロは答えた。「そうですか」とファウストははにかんだように笑いながら、フィガロが入るバスタブに近付いてくる。その行動にフィガロは驚き、湯船に改めて身体を沈ませた。別に見られて困るような貧相な身体をしているとは思わないが、見せびらかすようなものでもないだろう。特にこんな、まだ年端もいかないような子に対して。
    「ど、どうしたの?」
     戸惑いを声に乗せたままにそう問い掛けてしまった。自分らしくは無いな、とフィガロは肩を竦ませながらファウストには背を向ける。ぺたぺたと浴室に濡れた床を踏みしめるファウストの足音が嫌に響いていた。
    「、……フィガロ様、少し辛い体勢になるかも知れませんが、そのまま頭を逸らせますか?」
    「頭……? えっと、こう?」
     そう少し柔らかく問い掛けながら、ファウストがフィガロの頭にそっと触れてきた。少しだけ濡れている髪に触れる細い指の感触に少しばかりどぎまぎしつつも、フィガロは言われるがままにくっと喉を逸らし、バスタブの縁に頭を乗せるように仰け反ってみる。
    「ええ、ありがとうございます」
     天井を背景に、逆さまに映りこんだファウストがにこりと笑顔を降らせてくる。頭に添えられていた細い指がフィガロの髪を撫で、軽く梳いたことに、フィガロは思わずにひとみを細めた。眩しかったのか、心地よかったのか、それはフィガロ自身にも判断がつかない感覚だった。
    「お湯を掛けますから、眼に入らない様に瞑って居て下さいね」
    「え、あ、うん」
     そう優しい声が語り掛けてくる。髪の毛を心地よく梳いてくれる指先の感触。言われるがままにぎゅっと瞼を硬く閉ざすと、少ししてから微かな魔力の流れを感じた。呪文を唱えずとも魔力を操る事に、この弟子は慣れてきたようだ。覚えが良い子だとは思っていたが、やはり才能と呼べるものがあるのだろう。そんな考えが頭の片隅をよぎって行くものの、そんな考えを洗い流すかのようにお湯がフィガロの髪の毛に降り注いだ。強すぎず、熱すぎない、心地よい加減のお湯が降り注ぎ、フィガロの髪の毛を濡らしてく。頭に添えられたままだったファウストの指先が、そんなフィガロの髪の毛をくしゃくしゃと乱れさせた。
     そのまま、ファウストは流れるようにフィガロの頭を丁寧に洗い始めた。強すぎない程度の力加減で、シャンプーを泡立てて髪の毛を洗っていってくれる。決して乱暴では無いその手付きはむしろ心地よいほどで、フィガロはバスタブの縁に頭を預けて眼を瞑ったまま、ファウストにされるがままだった。硬く閉ざしていた瞳も、次第にリラックスしてきたのか力が抜けて、酷く自然な様子で瞼を伏せる事が出来ている。
    (……なんだろ……きもちいい……)
     思いながら、何となく少しだけ気になって、フィガロは薄らと瞼を押し上げて見る。自分を見下ろしているファウストと瞳があった事に、お互いに少しだけ驚いた。フィガロが思っていたよりももっとずっと、ファウストは少しだけ緊張を孕んだような、眉尻を下げた、少しだけ何かを思い悩んでいるような顔をしていたからだ。視線が合った事にファウストは驚いてそのくちびるを小さく動かして、けれど何も言わずにそのくちびるを閉ざしてしまった。
     その一連の流れを見てしまったからこそ、フィガロは眉尻を下げてそっと瞼を伏せる。
    「そんなに心配しなくも俺は強いから大丈夫だよ。それに……魔法で大概の事は何でも出来るんだ。こんな風に、きみの手を煩わせる必要だってないのに」
     きっと、怖がらせてしまったのだろう。
     フィガロは自分の事を強い魔法使いだと知っているし、優しくも出来るし、非常な事も出来ると言う事を知っている。今日、無謀にも自分に挑戦を挑んできた魔法使い達を、少しばかりむごい方法で石にしたとも解かっている。あんな風に汚い姿でこの場所に帰ってきてしまった事を、少しだけ後悔している。
     この世界に、汚く穢れた物など無いと思っているような、そんな弟子に、見られてしまった。自分の事を素直に尊敬してくれている弟子に、畏怖を抱かせてしまったのかも知れない。
     そう思うと、少しだけ胸の内が冷たくなる。
     フィガロは、ファウストにだけは嫌われたくは無かったから。
     フィガロを、手の届かない所にいる神様でもなく、理解を越えた所にいる存在でもなく、ただ純粋にこの世界に生きる強い魔法使いとして――フィガロとして認め、尊敬し、師と仰いでくれる。そんなファウストを、フィガロは純粋で綺麗なものだと思った。
     そんな純粋で綺麗なものに、自分の総てを捧げても良いと、そう思ったのだ。
    「……そうですね……」
     ほんの少し、沈んだ声音だった。気落ちしたようなその声音にフィガロが瞼を押し上げれば、視線が合ったファウストは少しだけ、やはり困ったように笑いながら、「流しますね」と囁いた。そのくちびるが、小さく呪文を形作る。すぐ傍に水の玉が浮かび上がったかと思いきやそれはすぐさま膨れ上がり、そうしてフィガロの髪の毛へと降り注いだ。ファウストは丁寧にフィガロの頭を洗い流してゆく。心地よく優しい指先の感触にフィガロは瞼を伏せる。髪の毛の生え際や耳の後ろを、濡れた指先で撫でられる感触がこそばゆい。小さく肩を竦ませて、「終わりましたよ」と声がかかるまで、フィガロは瞼を伏せたままそのこそばゆさに耐えた。
     ずっとバスタブの縁に乗せていた頭を持ち上げる。濡れそぼったままの髪の毛を掻き上げながら「ありがとう」と振り返りフィガロが笑いかければ、ファウストは「いえ、」と小さく肩を竦ませた。濡れた両手を触れ合わせて、ファウストは何か言葉を探している。基本的に真っ直ぐに何でも言葉にする彼らしくは無いな、とフィガロが見詰めて居れば、やがてファウストは言葉を探すことが出来たのか、ぽつりと、小さく言葉を紡ぎ始めた。
    「……確かに、普通の人間よりは、魔法が在れば出来ることは多いと思います……でも僕は
    当り前にフィガロ様に比べればまだまだそれが拙くて……だから、こうして伝えたいんです」
     そう、それこそ自分自身で確かめるかのように呟いたファウストは、伏せていた瞼を押し上げる。その瞳に、真っ直ぐにフィガロを映し出した。
    「僕は貴方を恐れないし、あなたが例えどれだけ強くても、あなたを心配します。血が付いていたのなら怪我をしたのではないか。言葉を濁すのであれば心を隠しているのではないか。遠くを見つめるのなら寂しいのではないか、と」
     浴室内の空気は湿っていて暖かく、湯船に浸かっていない素肌の部分さえ包み込まれている様で心地が良い。こう言った直に感じる感覚や感触は、呪文を紡いで行う浄化の魔法では感じられないことだろう。
    「魔法で何でも出来るからと言って、手を使ってはいけない訳ではないでしょう? ひとりで何でも出来るからと言って、すべて一人でする必要はないでしょう。今までも一人で生きてきたと言っても、寂しくない訳でも、痛くない訳でもないでしょう……こころは何時だって剥き出しです。魔法使いである僕たちが、それを一番よく、解かっているじゃないですか……」
     触れ合わせていた指先を、きゅっと握る。きっと出過ぎたことを言っていると言う自覚があるのだろう。猪突猛進な所がある子ではあるが、それと同時に思慮深い所も、礼儀正しい所もあって、正義感も強い子だと言う事を、フィガロは知っている。
     自分が正しいと感じたことを、正しいと素直に口にするような子だ。真っ直ぐにぶつかってきて、そうして真っ直ぐに傷つくような、少し不器用な生き方をしていると、フィガロはそう思う。
     けれどそう言う不器用で真っ直ぐな生き方を、フィガロは眩しいと思ったのだ。
     この子はただ、自分を心の底から心配している。魔法では無く、こころそのもので、フィガロに触れてくれたのだ。
    「そ、それに! ……弟子が、師匠の身の回りのお世話をするのは……当り前のことですし……」
     照れ隠しのようにそう告げて、けれどファウストは肩を竦ませたままに俯いてしまった。先程まで優しくフィガロの頭を洗って、撫でてくれていた手が、まるで行き場がないかのようにお互いの指先に触れている。そう気付いたからこそ、フィガロはふっと眉尻を下げて、その手に手を伸ばした。
     濡れた手でファウストの手を掴み、そうして少しだけ強く、ぐっと引っ張る。ファウストが少しだけ驚きながらも、その手に引かれるがままにバスタブに近付いてくれたからこそ、フィガロはそのままもう片方の腕を伸ばして、ファウストの胸元にそっと頭を寄せて相手を一度強く抱きしめた。
    「えっ、あの、……フィ、フィガロ様……?」
     戸惑いの声が落ちてくる。それに笑いながら、フィガロはぎゅう、とファウストの腰に腕を回して抱きしめた。
    「……うん、そうだね……ありがとう、ファウスト」
     確かに、フィガロ程の力があれば、魔法で大抵の事は何でも出来るだろう。けれどきっと、だからといって、総てを魔法で解決しなければいけない、と言う訳では無い筈だ。魔法で解決できない事だって、この世界には数多い。それをフィガロは知っている。
     魔法で大概の事は何でも出来るが、だからこそ、魔法で捻じ曲げてしまえるものが純粋なものでは無い事をフィガロは知っている。そんなものでは自分の心は満たせないと言う事を、フィガロは呆れるほどに、飽きるほどに良く知っていた。
    「……あはは、びしょびしょになっちゃったね」
     ファウストを抱きしめていた腕の力を緩ませ、フィガロは顔を上げて肩を竦ませた。濡れそぼった髪の毛のままにファウストに抱き付いたのだ。ファウストの服は当たり前に濡れて、少しばかり肌に張り付いている。
    「、誰の所為ですか……」
     フィガロの笑い声に、ファウストは呆れたようにそうぼやいて肩を竦ませる。だからこそフィガロは改めてファウストの手を引いて、そっと小首を傾げて見せた。
    「どうせだからこのまま一緒に入ろうよ。ね?」
     そう甘えるように誘えば、ファウストは少しばかり驚いたように瞳を開いたあと、その瞳を僅かに泳がせる。ほんのりと頬を朱色に染めて、瞼を伏せて、恥ずかしそうにしながらも答えてくれた。
    「……服を脱いできますから、待って居て下さい」
    「ははっ、はーい」
     答えてくれたその言葉に満足げに笑って、フィガロはファウストの細い手を手放した。ファウストは柔らかな表情で吐息を漏らし、服を脱ぐために一度脱衣所へと向かっていく。その背中を見送り、フィガロは改めたように広いバスタブに脚を伸ばして、湯船に身体を沈めた。
    (……恐怖した訳でも、畏怖した訳でもなく……俺の心配をしたんだ……あの子は……)
     怪我をしていたのではないかと、そのせいで疲れているのではないか、心が傷ついたのではないか、と、ただ。
     その真っ直ぐさに、柔らかさに、優しさに、こそばゆさが溢れて小さく笑ってしまう。変な子だ、と思いはするが、だからこそそれがどうしようもなく嬉しかった。
    (……心配、は……双子先生たちもしてくれてたんだろうな……でも、誰かに頭を洗って貰うの何て、どれくらいぶりだったんだろう……)
     思い返しながら自分の濡れた頭を撫でて見る。師匠であるスノウとホワイトに洗って貰った事もあったのかも知れないが、遠い昔過ぎて、その記憶はもうおぼろげだ。
     与えることには慣れているが、してもらうことには、余り慣れていない。貢がれた対価に見あったものを与えはして来たが、ただ何かを貰うだけだと言うのは、余り身に馴染まない事だった。
     ただ心配をされること。ただ傍に在る事。寄り添おうとしてくれているのだと知って、それが酷くこそばゆい。
     無防備なこころに触れられている様で、少し怖くて、けれどそれが酷く心地が良い。
     与えることには慣れている。だからあの子が戻ってきたら、今度は俺が、頭を洗ってあげようかな。そんな事を考えて、フィガロの口元は思わずに緩んだ。魔法を使わずに手ずからやるのは余り上手ではないかも知れない。けれど、きっとそれでもあの弟子は、何時ものように真っ直ぐに、けれど少しだけはにかんで、「ありがとうございます」と笑ってくれるんだろう。
     そんな想像に胸がくすぐったくなる。
    「……あぁ……好きだなぁ……」
     そんな甘い呟きが、浴室の濡れた空気に融けて行った。




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