Disturbed水中を漂っているような浮遊感。
あたりは一面の闇で、どれだけ目を凝らしても何も捉えることができない。
うっすらと自分を呼ぶ声がして、そちらへ手を伸ばす。
腕を何かに掴まれた感覚。
…暗闇に伸ばした腕の先に、何かが絡みついていた。
触れた箇所から肌がひび割れるような音を立てて逆剥け、バラバラと崩壊していく。
狂気に悲鳴を上げる間も無く、とてつもない力で身体が闇の底へ引き摺り込まれ…
「ウェド!」
「!」
突然名前を呼ばれて、ウェドの身体がベッドの上で大きく跳ねる。直前見ていたような気がする嫌な夢の残滓か、背筋を冷たい汗が伝っていくのがわかった。
ハッと声の方を見ると、すぐ脇でカナが質素な木製の椅子に腰掛けていた。
深い青色をした右眼が安堵の色を取り戻し、細い指が手元の羊皮紙にさらさらと文字を書きつけていく。
ウェドはカナを東方へ送るついでに、薬師小屋で治療をしてもらっていた。
「診察おしまい。いつもより弱ってはいたけど、背中の傷もあわせて経過は良好だよ。問題は"中身"かな…はいこれ、薬草の葉巻」
カナが細い葉巻に火をつけ、ウェドに手渡す。ウェドは大きく煙を吸い込み、時間をかけて吐き出した。
「…やっぱりか」
「うん、調べてみたけど間違いないね。今回吸収してしまった分はそれで解毒できるはず。…というか、よく耐えられたものだと思うよ」
「…アルダシア・ガラム。あいつに一服盛られた時の薬と同じ匂いがした」
アジト侵入時にわざと襲われた際、ウェドは薬にいち早く勘付き、呼吸を止めた。
それでもしばらくの間視界がぐらりと揺れ、意識を保つのが楽ではなかったのを思い出す。
「僕の見立てだと、あれは体内から大きくエーテルを乱されてしまう危険なもの…下手をすれば廃人になりかねない、悪魔のような薬だ。気付けの葉巻を吸ってなければ、とても戦える状況じゃなかったと思うよ」
「万が一のために君から葉巻を貰っておいて助かったよ」
「薬は万能じゃないんだからちゃんと休んで…と言いたいところだけど…君のことだから、どうせやるんでしょう?」
「…ああ。そのつもりだ」
カナはウェドから葉巻ケースを受け取ると、後ろ側の取り出し口を開けて中に何本か葉巻を差し入れた。
「近頃の麻薬絡みの事件、無関係とは思えない。しばらくは俺も色々調べて、潰せるようなら都度潰す。それに…なんだか嫌な予感がするんだ…身体に纏わりつくような、不気味な気配が…」
ウェドはテッドたちの言っていた黒幕の男の末路を思い出す。あの時脳裏に浮かんだのは、かつて故郷の島で起きた惨劇の中で蠢いていたあの怪物だった。
珍しく不安を口にしたウェドの頬を、カナは音を立てて両手で挟む。
「大丈夫!ウェドにはもう頼りになる仲間がたくさんいるじゃない」
微笑みを湛えながら、カナが眼鏡の奥でいたずらっぽく目を光らせた。
「それに大事な人がひとり増えたでしょ、可愛い可愛い恋人が!」
「ははっ、からかうなよ」
カナは葉巻ケースをウェドへ返し、先ほど詰めたものの説明をした。
「また気付け作用のある葉巻を入れてある。香りでわかると思うけど、ラベルも貼ってあるから確認してね」
「わかった。ありがとう」
「無茶しないようにね」
「ああ、もちろんだ」
玄関扉を開けると、外はすっかり暗くなっていた。星の輝く空を二人で見上げ、玄関先で小さく手を振り、テレポで地脈へ消えていったウェドの気配を背後にカナはそっと扉を閉める。
ウェドとは長い付き合いになるが、あんなに露骨に不安を露わにする彼を初めて見た。人を守ろうとするあまり秘密を抱えがちな彼を、もちろんカナは理解している。大切な相手だから、辛いことや悲しいこと、不安や悩みは話して欲しいと常々願っていた。だが実際に目にしてみると、想像以上にその姿はカナ自身に不安の芽を植えつけた。
(…大丈夫。だってもう、僕らはひとりじゃないんだもの)
カナの脳裏に仲間たちの顔が浮かんでは消えていく。ウェドと同じように、昔の孤独だった自分ならここまで他人に介入することなどなかっただろう。
部屋をゆっくりと見渡してみる。ウェドの言っていた嫌な予感が実体を持って部屋に残っている気がして、カナはベッド脇の窓を開け、香に火をつける。
どこか懐かしい香りが風に乗って部屋を駆け巡り、重たい空気を取り去って夜空の先へと消えていった。