追うもの--
天を焦がすような――そんな言葉が脳裏を過った。
魔物ごと一帯を薙ぎ払った炎は渦を巻き、すべてを焼き尽くさんばかりだった。ツバサはその熱気にたまらず腕で顔を覆う。熱風の向こう、黒い衣が翻っている様子が遠く感じられた。
「気合が入っているな」
楽しそうな声が背後から響く。ツバサが振り返ると、今回の魔物討伐にともに参加している団員が歩み寄ってきたところだった。黒い甲冑に身を包んだ男は今日は兜を着けておらず、穏やかな微笑が見えていた。その視線の先にいるのはツバサの元担任教師だ。
同じく討伐に参加している赤い髪の騎士が剣の露を払いながら息をついた。
「教師をやっている間は暴れられなかったからだと、グランがそう言っていた」
「なるほど」
男は苦笑する。それから、身の丈もある大剣を担ぎ直した。
「ここは任せても良さそうだな。俺は向こうを片付けてくる」
「……待て、俺も行こう。――ツバサと言ったか。こちらは頼んだ」
声を掛けられて、ツバサははっとした。
「はい!」
返事をすると、赤毛の騎士は満足そうに頷いて、もう一人の男を追っていった。
その後ろ姿を見送って、ツバサは視線を元担任教師に戻した。
「……頼むって言われてもな」
火勢は相変わらずで、おいそれと近づくこともできない。付近の魔物は彼だけで片付けてしまいそうだ。とはいえ、危険を伴う討伐任務において、やることがないからとひとり残していくわけにもいかなかった。
猛り狂う炎。後ろ姿で顔も見えない元担任教師は、しかし笑っているのではないかと思えた。炎を指揮するかのように振るわれる杖が持ち主の高揚を表している。枷を解かれた悪魔が炎の中で踊っているようだ。
周りになど目もくれず、ひとりで踊っている。
ツバサは拳を握った。
(……やることがないんじゃねェな)
できることがないのだ。
騎空団に所属している団員達と比べて実戦経験で劣ることは仕方がない。それでも、見ていることしかできないという状況は、かつてマナリア魔法学院で起きた事件を思い出させた。
悔しさと劣等感に胸を焼かれるようで、ペダルを踏み抜いて駆け出したくなる。内の澱みを振り払うべく。
そんなツバサの頬を叩くかのように、パチンと間近で火の粉が爆ぜた。
「――クソッ」
ツバサは頭を振った。大きく息を吐き出す。それは逃げなのだ。
援護の準備、周辺への警戒、やることはあるはずだ。そう思って意識を巡らせた瞬間、物陰から飛び出す魔物に気づいた。
「チィッ」
寸でのところで魔法を放つ。狼のような姿をした魔物は炎の弾を受けて地面に転がった。冷や汗をかきながら魔物を見据える。ツバサが放った魔法と魔物の属性は同じだった。効果は薄く、魔物は起き上がると再び身構える。
(火属性――今の俺がまともに使える魔法はそれだけだ)
拳で殴ったほうが効果があるだろうか。そう考えるツバサの背後で、不意に魔力が膨れ上がった。ぞっと背筋が粟立つ感覚。振り返るツバサを掠めるように炎の渦が迸った。魔物を撃ち抜き、灰と化す。
属性の相性を無視した苛烈な攻撃。
ツバサはその魔法を放った男を見つめた。黒いフードを目深に被り、その長い裾を熱気に靡かせている。フードの陰から、炎を映し取ったような金色の双眸がツバサを見下ろしていた。その眼差しを受け、総毛立ったままの背中にぞくぞくと悪寒が走る。
「怪我はねェか」
響いた声にツバサは目をまたたいた。穏やかな教師の声だった。気が付くと先ほどまで燃え盛っていた炎も消えていた。
肩から力が抜ける。悪い夢でも見ていたのだろうか。ツバサは汗の滲んだ手のひらを腰の布に押し付けた。
「……あ、ああ。助かった」
「このへんは片付いたな。他の奴らは?」
エルモートがあたりを見回しながら問うてくる。ツバサは先の二人が向かった方角を指差した。
「向こうを片付けるって」
「じゃァ、そっちに行くか。まァ、もう終わってそうだけどなァ」
あくびでも零しそうなのんびりした調子で応じながら、エルモートは杖を肩に乗せる。まるでたいした敵はいなかったとでも言うようだ。
ツバサは思わず声を上げた。
「次は!」
エルモートが振り返る。不思議そうに見つめてくる元担任教師を前に、ツバサは拳を握った。
「自分で仕留めてみせる」
エルモートはふっと双眸を細めた。唇の端を持ち上げる。
「せいぜい頑張るこった」
子供を見るような目つきにツバサはむっとした。
「あんたより強くなるぜ」
それはつい口を突いて出た強気だった。エルモートの表情は変わらなかった。だが、ツバサはぞわりと背筋が冷えるのを再び感じた。
「百年早ェよ」
息をするように自在に炎を操る魔術師はそう告げて笑った。
言葉のないツバサに背を向けて、他の団員たちがいるほうへと歩き出す。
ツバサは溜めていた息を吐き出した。寒気を感じながら、燻っている灰を燃え上がらせるような熱にも触れた気分だった。
しかし、ツバサの顔に浮かんだのは笑みだった。エルモートの背中を見つめて、ニッと牙を剥いて笑う。
ひとりで踊っていた炎の化身がようやくこちらを見たような心地がした。たとえそれが生意気なクソガキを見る目だとしても。
(ヨシヨシと頭を撫でられるより百倍いいぜ)
肌を掠めた熱気を撫でるように、頬を親指で拭う。
あの熱を自分でも呼べるようになるのだと、ツバサはエルモートを追って駆け出した。
終わり