Engagement【⠀14 years of age : 3 more years to go⠀】
「すきだ」
小さなちいさな手。
やわいそれに握られたのは、一等きれいに咲いていた、アテネが好きだ言った蒼い花。
「おれと、けっこんしてくれ!」
よく覚えている。
春の風が心地よくて、いつものように裏にあった森で遊んでいて。
明るい萌黄色に染まった瞳はとても真剣だったから。
アテネもしゃがみこんでそのちいさな手を両手で包んだ。
「……とても嬉しい。でも、ごめんね。『結婚』は出来ないんだ」
子どもの可愛い戯言だと流すことがどうしても出来なくて、盛大に泣かせてしまった。
彼が泣くのを見たのは二回だけ。
この時と……
*
「……きろ、起きろ、アテネ」
「……んぅ」
「……しょうがねえな」
ふわりと身体に何かが掛けられたことで、アテネがぼんやり目を開けると、それに気づいたらしいスプリングが呆れた顔でこちらを覗き込んでいた。
「……あれ、なわーぶが、おっきくなってる」
「寝ぼけてんのか?とんだオートマタだな、ホント」
「寝るならベッド行けって」とデコピンをされて、痛みで意識がだんだん覚醒してきた。
……そうだ。一通り家事をして、食事の準備をして。最近知り合いの手伝いだと言って研究所に仕事に行っているスプリングの帰りを待っていたのだ。
(随分懐かしい夢だったな……)
あれは確かスプリングが10歳にも満たない頃か。
掛けられた柔らかい毛布を身体に巻き付けて起き上がる。いつの間にかソファーで寝てしまっていたらしい。
半年ほど前に二人きりになってしまってから、すっかり静かな家になってしまったここは、それでも幸せを一つずつ集めたような温もりのある空気をしていた。
キッチンに立つ背中を見つめて感慨に耽ける。
(大きくなったなぁ)
「……調子悪いの」
色のない声に、安心させるように笑った。
「いいや、ただの昼寝だよ」
『アテネ』には寿命があった。
そして、本来なら既に国に回収されているはずの個体なのだ。オートマタは寿命まで人間の傍に居ることは無い。
最新モデルは寿命も延び、また定期メンテナンスに出すことで長く使うことが出来る。それでもエネルギーとして摂取するオイルの吸収率が悪くなって来たりと末期の不具合を起こし出す。そうなってくるとメンテナンスに出すよりも「変える」方が早いしコストもかからないのだ。
アテネの場合は、初期で与えられていたオイルが尽きるまで。それが寿命に直結していた。そもそも、アテネシリーズでは追加のオイルというものが出回らなかったらしい。
……らしい、というのは「国」と「研究所」でオートマタに対する権利でいざこざがある為、明白になっていないのだ。
「…………ナワーブ、おいで」
おっきくなっても、可愛いかわいい私のナワーブだ。
くるりとこちらを振り返った彼は迷子のような顔をしている。……うたた寝をしてしまったことを少し後悔した。
毛布ごと手を広げて待っていると、そんなにない距離を詰め目の前に膝をついたスプリングをすっぽり抱きしめる。すぐに両手が背中に回った。
「本当だよ。お天気が良くて風向きも安定してたから、お布団干したり……あとは買い物で食材買うのに張り切りすぎちゃったんだ」
『アテネ』にはメンテナンスできる施設がない。
回収の時期が終わっているオートマタは、何処もサポートが終了してしまっているのだ。
本来の回収の時期が過ぎて、もう随分経つ。
そもそも初期の型である『アテネ』シリーズは流れの魔術師が創ったもので、限りなく「人」に近く造られている。それゆえ、メンテナンス方法もその魔術師しか知らないのだ。神の御業に触れかけたその人は行方をくらませてしまったらしい。
以降のオートマタは知識や技術を継いだ研究所が開発したもので、そもそものスペックが全く違う。
希少だ、と言えば聞こえがいいから最初は多くの好事家に買い求められたらしいが、あまりに「人」と変わらない為に次第に飽きられてしまったという。己に至っては中古屋に流されていたそうだ。
――アテネの寿命は、起動してから17年。
そう刻まれている。
「お誕生日、おめでとう」
「……あ、りが、とう」
「後で母さんにも一緒に会いに行こうね」
「ああ」
「プレゼント、今年こそ選んで貰うから」
「……ん」
流行病は母を逃がすことなく、半年ほど前に還らぬ人となってしまった。
「今日は夜に綺麗な流星群が見られるよ」
「お得意の『占い』か?」
「そうさ」
わざとらしい程に明るく胸を張る。
多少勘が良い、と自負があるアテネは時間がある時に街角に座って日銭を稼ぐこともある。なんだかんだ売上もいいのだ。欲しいものがあるなら買ってあげられるほどは懐も温かい。
これは『アテネ』のちょっとしたスキルだった。
「ふは……じゃあ、バスケットにサンドイッチ詰めて行こう。母さんトコがいいか……あの丘ならまた綺麗に空も見えるだろ」
「スープも……あ、でも重いかな」
「俺が持つよ」
「君が持てるなら、私も持てるよ。私が持つ」
「ハイハイ」
「ねえ、それ絶対聞いてないよね?」
スプリング?と不満げに頬を膨らませれば、とても愉快そうに破顔して頬を優しく撫でられる。
気恥しくなるほど、その手は、瞳は愛しさを隠そうとしていない。
「…………」
けれど、彼は何も言わない。
だから、私も何も言えない。
「……具は、何がいい?」
少し掠れたような声になったが、スプリングは気にした風もなく「そうだなぁ」と立ち上がる。
「チキンかな。お前は卵とハムとチーズだろ」
「あれ美味しいよね」
「欲張りめ」
「スプリングのにもチーズいれようよ。お肉にも合うよきっと」
最高の提案をしながら毛布を放り出して彼の後を追ってキッチンへ立つ。
パリパリの新鮮なレタスをちぎったり、買ってきたパンを一度リベイクしたりとしている間に、スプリングは手際よく具材を仕上げて挟んでいく。
スープは冷たいトマトとガーリックのものを作った。きっと、お肉にもよく合うはずだ。
出来上がったそれらはとても美味しそうだが、一年に一度の特別な日にしては少し物足りないのではと思ってしまう。
「誕生日なのに、こんなのでいいの?」
「何言ってんだ。最高だろ」
目を細めてバスケットを持ち上げ、出かける準備を始めたスプリングを慌てて追いかける。
気がつけば日が暮れかけている。
「……そうだ、プレゼント!!何がいいの?お店しまってしまう」
「お前の作ったサンドイッチとスープ」
「それはもうあるよ」
「ああ、ありがとう」
そうじゃない!と思ったが、本人がとてもとても嬉しそうに笑ってくれるので、声にならない声を漏らすだけで反撃は終わってしまった。
仕方ないな、とため息をついてアテネも出かける準備をする。その際に事前に買っておいた小さな箱をポケットに押し込んだ。
――彼の瞳にそっくりな、きらきらした明るい翠色の石がついたピアス。
どうやら研究所でのお仕事を紹介してくれた『電解』という人に開けられたらしい。本当にそれに関してはどうでも良かったらしく、ずっと透明なものがついていたのだ。
(本当は、『欲しい』って言ったものをあげたかったな)
「おーい、行くぞアテネ」
「……うん!」
星降る丘であげたピアスを、己がつけてあげることになるとは露知らず、アテネはスプリングの背を慌てて追いかけるのであった。