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    めるこ

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    めるこ

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    Engagement【⠀17 years of age : 1 more days to go⠀】

    いつもと同じ朝がやって来た。

    トーストされるパンの香ばしい香り、甘酸っぱい柑橘の瑞々しさ、開けられた窓から通るからりと乾いた風、それが揺らすカーテンの音。

    (ああ、また寝坊してしまった……)

    これではスプリングにまた呆れられてしまうと心の中でこっそり笑う。
    一年ほど前から再び一緒に寝るようになった彼の温もりはもう隣にはない。そうでなければ、こんなに美味しそうな匂いが漂っている訳もないのだが、少しだけ淋しく思った。

    起き上がり、目の覆いに伸ばした手に見慣れない物が映った気がして、ぴくりと止まる。

    伸ばした、左手の薬指。

    そこには細いシルバーのシンプルなリングが嵌っていた。

    痩せぎすの白い指にぴったりと寄り添い、控えめな輝きを灯すそれは、つけた覚えのないものだ。

    「おはよう、寝坊助め」

    柔らかい声が降ってきて、後ろからぎゅっと抱きしめられる。
    言葉が出ない。何か言ってしまえば泣いてしまいそうだった。
    後ろから回ったスプリングの左手の指にもそっくりの指輪が収まっていて、はく、と息が漏れる。

    「好きだ」

    「俺と、結婚してくれ」

    あの日と同じ言葉に、けれど随分大きくなった身体と、落ち着ついた声音に。
    否定の言葉がでそうになるけど、それも掠れて言葉にならない。
    この子を縛りたくなかった。
    だって明日からは傍に居られない。
    何よりも誰よりも大切なのだ。
    自分に生きる意味をくれた。

    けれど、それも全て分かっているかのように、スプリングは翠緑を甘く染めてこちらを覗き込む。

    「いいだろ。誕生日プレゼント。一日だけ、俺に付き合ってよ」

    おままごとだと本音を飾り付けて、からりと笑う彼の顔を見あげた。鼻から大きく空気を吸い込んで、無理やり、とびっきりの笑顔を作る。

    「ふふ、大切にしてね」

    「…………イライ」

    ありがとう、と囁いた彼は、やさしく唇を重ねる。
    吐息だけが触れたようなそれの後に、ぱちりと視線があった。
    幼さも色も存在しない口付けは、紛れもなく誓いだ。

    こうして、愛しさだけが満ちる一日は始まった。



    「朝ごはん、作ってくれてありがとう」
    「まあ、変わり映えしないけど。昨日うまそうなオレンジを電解から貰ってさ」

    どこかの大陸から渡って来たらしいオレンジは、普段見かけるものよりも一回り大きい。ざっくりとカットされた形も相まってとても魅力的だ。

    あったかいパンにお気に入りのミルクジャムをたっぷりつけてお互いに頬張る。

    「美味しいねえ」
    「これ正解だったよな。別のジャムと合わせて贅沢しても美味い」
    「それは確かに贅沢だ」

    促されるままに木苺のジャムも重ねてつけると、とろっとした濃厚なミルクの香りに甘酸っぱいアクセントが加わって最高の味になる。

    「今日なんかしたいことあるか?天気も良いから、外に出かけるのもありだな」

    口の端についたパンくずをぺろりと舐めるスプリングに、両手で行儀悪く頬杖をついてにこにこと首を傾げた。

    「それって、デート?」
    「……ぐっ、げほっ、」
    「わ、ちょっと大丈夫?お水お水!」

    盛大に噎せ出した彼に慌てて水を渡すと、それをぐっと煽って、朱に染まった顔に不満をのせた。
    寝ている間に指輪を嵌めるなんて、大胆なことをしてきた癖に……こんな一言で動揺してしまう彼が可愛くて堪らない。

    「んふふ」
    「お前、意地悪いぞ」
    「えぇ、知らなかった?」
    「知ってた」

    「そういうとこも好き」と真っ直ぐに言われて、今度は此方の顔が熱くなる。肌が白いので、すぐにバレるはずなのに、スプリングは指摘することはない。
    未だ馴染まない指輪の嵌る手を机の上で器用に絡めとられる。

    「『デート』行くか」
    「…………うん!」

    それからは、一緒に過ごした場所をゆっくりと歩いて回った。

    毎日のように買い物に行った市場。
    太陽がまだ高い時間に行くことは少なかったけれど、幼い頃この辺で雑用をして稼いでいたスプリングは随分今でも可愛がられている。

    「おお、珍しいな。こんな時間に二人で買い物か?」
    「ええ。何かオススメありますか?」
    「そうだなァ……今日はこの辺りの魚か。焼いても美味いし、煮ても美味い」
    「じゃあ、それと……あと、こっちの海老も美味しそう」
    「ん、それも買うか。おじさん頼む」
    「まいどォ!」

    威勢の良い声に見送られ売り場を後にしたが、どれもこれも今日は特に目移りしてしまう。
    きょろきょろと色々なお店を忙しなく回るアテネの後ろをスプリングはゆったりと付いて来て、買った荷物だけを攫って行った。

    いつもより、随分買い込んでしまっている。
    両手に抱えるほどの量になっても、何も言わずに微笑む彼に唇を尖らせた。

    「ねえ、私も持てるよ」
    「良いとこ見せたいだけだ、気にするな」

    なんて格好よく育ってしまったのだろう。
    自然にそんなことを言ってのける姿に思わず頬が少し熱くなった。

    そのまま昼過ぎには市場を抜け、教会近くの広場で一休みすることにする。

    「懐かしいな」
    「最近はあまりここまで来なかったよね」

    スプリングも研究所に行くようになってからは足が遠のいてしまっていたようで、感慨深そうに教会を見上げる。

    休みながら何か飲めればとテイクアウトのドリンクを売っているワゴンを見つけ近づいた。
    ちょうど待っている客を対応し終えたらしい店員の少女がこちらを振り返る。

    「いらっしゃいま……え? スプリング?スプリングだよね?!アテネも居る!わ、久しぶりだ!!」
    「?」
    「君、リリー……?」

    目の前の可愛らしい少女と、人形を抱えて泣いていた女の子が重なった。
    首を傾げたスプリングもすぐに一致したようだ。
    嬉しそうにはしゃいだリリーは「本当に久しぶり!」と笑顔を見せる。

    「相変わらず仲がいいのね」
    「リリーも元気か」
    「元気元気!!すっごく!!また顔みせてね。シスターも淋しがってたよ」
    「随分お世話になったもんね」

    その言葉に、ふるふると首を振られる。

    「お世話になったのは私たちよ。二人が今も教会に援助してくれてるの、知ってるんだ」

    お陰で多くの苦労を避け、自分で稼げるくらいにはなれた。と感謝を告げられる。
    無垢な笑顔につられて二人で微笑み返した。

    「元気そうで、私たちもとても嬉しいよ」
    「あ!ねえ、飲み物買いに来たんでしょう?ご馳走させて!」
    「いや、」
    「いいの!お人形直してもらったお礼!」

    そう言われてしまえば、強く断ることも出来ずに、押されるがままに冷たい紅茶を二つ渡されてしまう。

    「二人でまた遊びに来てね!待ってるから」
    「……ぁ、」

    にぱ、と可愛らしい笑顔に、少し言葉を詰まらせる。
    『二人』で。

    「ああ、またな。ありがたく貰ってく」
    「うん!絶対だよ!」

    ちょうど後ろに新しい客が来たようで、リリーからは死角になる位置へ背を押されて移動する。手に紅茶を二つ持ったまま、地面を見つめた。

    広場の喧騒が一際大きくなる。

    「……ナワーブ」
    「どうした、」
    「……これ、飲んだら、かえろう」

    まだ夕方になる前だ。

    けれど、今は一秒でも長くあの家で二人で過ごしたかった。



    一緒に沢山の料理を作った。
    あれも、これも、彼の好きなものを中心に。
    冷蔵や冷凍に沢山詰め込んでおく。これだけあればしばらくは大丈夫だろうか。

    食べることは大好きだけれど、己を少しぞんざいに扱うきらいのある彼だ。

    「大丈夫、ちゃんと、食べるよ」

    うれしい、と彼は笑う。
    私も微笑み返す。

    ゆっくり食事とシャワーを済ませて、沢山たくさんお話をして、ベッドに横になる頃にはあと日付が変わる頃が迫っていた。

    もうすぐ、この身体は動かなくなる。

    「窓は?」
    「……開けておこうかな」
    「ん」

    ふ、と灯りが小さくなる。
    瞳を閉じていても感じる潮の香りが、嫌いでは無かった。
    左手に嵌った指輪を見上げてなぞっていると、ベッドサイドに近づいてきたスプリングが目を細める。

    「……我儘、きいてくれてありがとな。もう大丈夫だ」

    そう言って、手を伸ばす先は、銀の証。
    それを分かっていて、私はぎゅっと右手で指輪を守るように拒んだ。

    「ヤダ。これは『私の』でしょう?」

    何も遮るもののない視界の先で、翠がまあるくなる。

    ひとつくらい、想い出を持っていってもいいじゃないか。

    そう言って微笑んで指輪にキスをする。

    「……っ」

    ずっとだ。
    今日、ずぅっと、優しく微笑んでいたナワーブの顔が、その一瞬にしてクシャりと歪んだ。

    「……ナワーブ、おいで」

    上半身を起こして微笑めば、一歩、二歩と距離を詰めながら手を伸ばされるので両手を広げて受け止める。

    ぎゅうと苦しいくらいに抱きしめられて、耳元に震える吐息を聞いた。

    「ふふ、泣き虫な旦那さんだなぁ」
    「……っ……イライ」
    「なぁに、ナワーブ」
    「イライ」
    「うん」

    何度も名前を呼ばれて、何度も返事をする。
    空白が無いくらいに身体同士をひっつけた。
    ナワーブの嗚咽と、体温を感じる。

    「ありがとう、とても幸せだったよ」
    「俺だって……おれの、方が」

    まだ、大丈夫だ。

    「可愛い君のいちばんになれて、ほんとうは、とてもうれしかった」
    「……ッ……やだ」

    まだ。

    「ありがとう」
    「やだ、いやだ、イライ」



    「…………大好きだよ、お誕生日おめでとう」



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