Engagement【⠀16 years of age : 1 more years to go⠀】
オートマタが急速に普及しだしたのはここ二十年ほどのことだ。
オートマタは最新モデルに近づくほど「人」から離れた機能や外見を持っている。
メンテナンスのしやすさ、維持費のコスト削減、分野の特化、それらを突き詰めて行った結果だ。機械人形師のオートマタがいい例だろう。
「人」が、いかに脆弱な生きものであるか。それを思い知らされる度に「人」である部分を排除していったのだろう、と電解は言っていた。
生み出された当初は希少価値が高すぎたアテネシリーズは、「人」に余りにも近かった為に購入をしても結局使用しないまま中古に流れされていくことが多くあった。
『アテネ』も、その一人だったのだ。
*
「母さんが良く言ってたよ。アテネを中古屋で見つけた時のこと。別のものを買いに行ったのに、お前をみつけた途端に腹の中で俺が暴れだしたってな」
「え?!なに、聞こえないよ、スプリング!?」
届かせる気もない昔語りは大きな波と風の音にかき消されてしまった。大きな声でこちらを振り返るアテネのフードは風に煽られて脱げてしまうが、白い肌は紅潮していて満面の笑みを浮かべている。
「ねえ!!ほら、あっち見てご覧よ!!すごいね、あんなに私たちの住む島が小さく見えるんだね、すごいね……!!」
「そうだな……お前ちょっと飛んでいきそうで怖いから、こっち」
はしゃいでいるアテネの腰を引き寄せて、手すりと自分で固定する。自分よりよっほど背が高いのに、薄い身体はスピードをあげて走行する船の上では見ていて不安になるほどだ。
「飛ばされないように持っていてあげるね」と出発前にアテネが言うので、預けたキャスケットは大事そうに両手で抱きしめられている。
荷物に入れてしまえばいいのにと思ったが、一所懸命抱きしめているのも可愛いので口を噤んだ。
「あと三十分はかかるぞ。外に居て大丈夫か?」
「うん!!凄く楽しい!!!あっ、みて、魚だ!!!飛び跳ねてる!!!」
「前に研究所のやつらと乗った時もいたなコイツら」
「可愛いね……!」
相当にテンションがあがっているアテネをみて、スプリングの頬も緩んでしまう。
休暇をくれた電解には感謝をしなくては。
「でも……本当に良かったのかい?」
「何が?」
「だって、君の誕生日なのに……私の方が楽しんでしまってる気がして……」
少し前に、近場で生息を止めてしまった薬草を採取する為に一度数日街を離れることになった時に、初めて目にする世界の広さや色の鮮やかさに感動をした。
留守にすると伝えた時の淋しさを隠せていないアテネの笑顔に、絶対に今度は二人で遠出をしようと心に決めたのは記憶に新しい。
一度くらい、アテネにも世界を見せてあげたいと。
「そうか?俺も楽しいよ、充分」
「向こうについたら、じぇらーと?っていうの食べようね。お金は私が出すから」
「じゃ、頼む」
うまかった、と前に言ったことを覚えていたのだろう。
きらきらと陽射しが海の蒼に反射して、アテネの瞳に少しだけ似ていると思った。まぁ、比にならないほど彼の瞳の方が綺麗だが。
飛ばされてしまわないよう、腰に回した腕に力を入れると、背中のネジが目に入る。これを巻けば寿命が延びるなんてことがあればいいのに、と思うが、実の所コレもただの飾りなのだ。
こちらの気も知らずに、アテネは海に向けていた視線をこちらに戻し、ほわりと微笑む。
「あっちに着いたら美味しいもの一杯食べよう」
蒼い海と、境目が分からないくらいに染まる空とを背景に幸せそうに笑う姿。
スプリングその光景を目に焼き付けようと、瞬きすらせずに、ひとつ息を吸い込む。忘れるな、と何度も刻んだ。
「……そうだな。楽しみだ」
「スプリング」
「ん?」
「お誕生日、おめでとう!」
喉の奥が少しだけしょっぱいのは、きっと潮風のせいなのだから。
笑うことに何も難しいことはないはずだ。
「……ありがとう」
*
「レモン……ストロベリー、チョコ……うーーーーんん」
「おじさん、レモンとストロベリーとチョコ。一個ずつ」
「へ?え、あ、ちょっと!」
慌てているアテネを気にせずに、迷っているらしい味を全部注文して支払いをしてしまう。
ほどなくして手渡されたレモンのジェラートのカップをアテネに握らせて、スプリングは残り二つを持ち、日陰を探して人が多い通りを一本はずれる。大きな木が陰を落とす細い小さな階段を見つけ適当に腰掛けた。
「こんなに食べきれないよ」
「好きなだけ食えば?残りは俺が食べるよ」
頬を膨らませていたが、スプーンでひとすくい恐る恐る口に含むと、ぱっと顔をあげる。
「つめたい!甘い!……美味しい!」
「はは、単語」
「さっぱりしてる!スプリングも食べてみなよ」
当然のように差し出されたジェラートが乗ったスプーンに、こちらも迷いなく口を付けた。
舌の上でさらりと溶けるなめらかな冷たさ。レモンの爽やかな香りと甘さが鼻を抜ける。
「ん、うまい」
わざと顔を近づけて上目遣いで、ふにゃりと微笑む。アテネがこの顔に弱いのは昔から知っている。
案の定ぐっと一瞬詰まってほんのり頬を染めたが、それを誤魔化すように「あ、あげる……」とカップを差し出してくるので、何食わぬ顔で「交換な」とチョコレートの味を渡してやる。
(『可愛い可愛いスプリング』を利用しない手はないよな)
悪質ということ勿れ。
徐々に重ねてきたアピールがやっとやっと少しずつ実を結んできているのだ。
一口だけ食べてとっておいたレモンのジェラートは、予想通りアテネが一番お気に召したらしく最終的に彼の手に渡っていく。
その時、ふと視線を感じて階段の上を見上げる。
「……?スプリング?」
「アンタ、誰?」
「え?」
そこに立っていたのは金の瞳を持った随分と浮世離れした雰囲気の男だった。何故かそこだけ空間を切り取ったように、しんとしている。
この空気をスプリングは知っていた。研究所で何回か接した事のある類の人間……魔術を使うやつらの気配だ。
無意識にアテネを庇うように立ち上がった。
魔術師というのは皆が皆悪ではないが、警戒するに越したことはない。
ゆっくりと口を開いた男に緊張が高まったが、異様に背が高くみえる彼は整った顔をふと緩ませた。一瞬で親しみやすい空気感をだす。
「…………?」
「いや、すまない。懐かしい子を見つけたから、つい。不躾だったね」
「『懐かしい子』……?貴方は……」
「邪魔をした。幸せそうでなによりだ」
そう言うなり背を向けて行ってしまう。
慌てて追いかけたが、階段を登りきった先にその男の姿はもうなかった。
少し遅れて立ち上がったアテネが首を傾げながら「なんだか、不思議な人だったね……」という声を背中で聴く。
誰もいない小路に視線を向けたままスプリングは小さく返事をするしかなかった。
それからは色々な食べ物を二人で堪能し、近場に予約をしてあった宿に辿り着く頃にはすっかり日が落ちてしまっていた。
ぽふ、とソファーに腰かけながらアテネは満足そうに腹をさすっている。
「おなかいっぱいだなぁ」
「本当に、一泊で良かったのか?」
休暇はもう数日あるし、アテネが「一日だけ、行ってみたい」と言わなければ二、三日は宿泊しようかと思っていたのだ。
それを聞いたアテネは、柔らかく微笑む。
「うん」
「俺だってもう子どもじゃないんだから、我儘言ってくれればいいのに」
少し口を尖らせれば、くふくふと笑い「私にとってはずっと可愛いナワーブだよ」と告げられる。
「そもそも、君の誕生日だっていってるでしょう。私にもお祝いさせてよ」
「充分貰ってるよ」
「またそればっかり」
そっと耳に触れれば、星降る夜にアテネにもらってから肌身離さずつけているピアスがそこにある。
「……アテネ、今日は一緒に寝よう」
「ふふ、寂しいの?可愛い」
「子ども扱いするな」
「私は21歳らしいからね!スプリングはまだまだ子どもでいいんだよ。どんどん甘えて欲しいな」
「この、ずりぃ、プログラムされてるだけだろ!」
「そうだけど、そうじゃありません~~~」
鼻歌を歌って上機嫌にベッドを整えるアテネをみれば、複雑な気持ちになる。
最終的には彼が嬉しいのなら、まぁ、いいか。と自分を納得させて、シャワーを浴びた。
部屋に戻れば、先に身支度を済ませていたアテネがベッドですやすや寝てしまっている。
どっちが子どもだ、と少し笑ってしまう。
迷ったが、開けていた窓は閉めずににアテネの隣に身を滑り込ませた。治安は悪くない街だし、階数も高い。普段とは違う風の香りを胸いっぱいに吸い込む。
「……んぅ……」
ころりと寝返りを打ったアテネは何とも平和な寝顔を晒している。目隠しの外された目元をさらりと手の甲で撫でた。
月明かりが差し込む、知らない香りの部屋。
思った以上に落ち着かず睡魔が随分遠くにあるようだ。
スプリングたちの街はすっかり灰色が多くなってしまった。よく遊んだ裏手の森はまだ開発が進んではいないが、そう遠くない未来にそこだって灰色に埋められてしまうのだろう。
あと、一年だ。
何も見つけられないまま、時だけが過ぎていこうとしている。事情を知った電解達も協力をしてくれているが、どうにかなるものではなかった。
自分より低いが、確かに温もりを持ち、鼓動を刻むアテネの身体をぎゅっと抱きしめた。
『アテネ』はオートマタとしての特化は無いものの、他のシリーズと違って、寿命が近づいても不具合を起こすことがなかった。ひどく劣化しにくいように造られているらしい。
ただ、源となる、オイルが尽きてしまうだけ。
それだけで、彼は動かなくなってしまう。
温度をなくしてしまう。
しゃべらなくなってしまう。
出来るだけ沢山の『楽しい』と『幸せ』をアテネにあげたかった。
幼い頃から自分が沢山たくさん注いでもらった愛情以上に返してあげたかった。
「……ぅん?……なぁーぶ…?」
腕の中で身じろいだアテネがとろりと蒼を見せた。
苦しかったのかもしれない。掠れた声に、囁くように返した。
「……悪い、寝てていいよ」
少し抱擁を緩めれば、寝ぼけているのがむにゃむにゃしながら背中に腕が回って優しく身体を包み返して来た。
「……だいじょうぶ、こわくないからね」
背中をさすってくる手があたたかい。
「わたしが、きみを、ずっと」
ずっと。一緒に。
は、と湿った息がでる。目が熱い。
「……ねぼけてんな、 ほんと 、、とんだオートマタだ……」
こわくない、こわくない、と何度も何度も撫ぜる手と声に導かれて、終わって欲しくない日は終りを迎えた。